【対談】地域観光プロデューサーの先達に聞く(4)

地域観光プロデューサーの先達が実際に地域に入っての実感や苦労談、やりがい等、通常は書籍や文献等で得られないような話も収録ー第4回ー

中根 裕

中根 裕 主席研究員

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目次

【JTM企画】地域観光プロデューサーの先達に聞く(4)
市町村・県・国に望むこと

中根 まちづくりと観光は一体のものとして捉えないといけないと思います。あくまで個人的なお考えで結構ですので、市町村や県、国に対する役割・要望はいかがでしょうか。

浅井 我々が実践しているニューツーリズムの分野の観光では、もっときめの細かな情報を発信しないと観光客に伝わらない。マスコミに対するアピール、観光キャラバン、HPによる情報発信といったこれまでのプロモーションは網を投じるような手法ですが、それだけでは交流観光を求める新しい層に対する情報がなかなか浸透しない。プロモートの仕方も変わっていかないとならないと思います。DCキャンペーンが終わった後、千葉県では今後3年間観光プロモーションを展開するために協議会を立ち上げました。幸いニューツーリズムに属する千葉自然学校が役員団体として認知されることになりましたので、プロモーションのあり方についても発言できるようになったと思います。

村上 行政の観光課と観光協会との人材面で差がある。伊豆では観光協会の方が観光のプロである。行政は人事異動で担当が替わるのでノウハウが継承されない。そのため観光協会に挨拶・伺いに行かないと何事も進められないようになってしまっている。そこで行政にアドバイザーのような人材が加わると観光行政も変わってくると思う。浅井さんの意見にあった観光協会のやり方については、観光協会としてはこれまでの方法を変えてまでは進めたくないという意識の表れであると思いますね。下田市では、私が6年間携わっている間に観光課長は5人替わりましたから。

浅井 観光協会と我々が実践している事業との連携も十分にとれていない。

渡邊 観光協会として進めるには同意を得られないと難しい。行政は当てにならないので、自分たちが自立して、自らが収益性を求めて取組むしかない。補助金は一定ではなく年々減額されることもある、また当然ながら一定の制約もある。慣例として変更できないイベントもある。着地型旅行は、実践しつつ、その中で収益をあげて自立して取組むスタンスしかないのではないかと思っています。新しい事業に取り組むにあたっては、皆さんにタダ働きしていただいていることが多いので、少しでも人件費を支払えるようにしてゆきたい。

村上 東伊豆町は稲取温泉観光協会だけではないので、さらに仕組みとしては複雑で難しいでしょうね。

渡邊 稲取温泉観光協会としては行政は当てにせず、独自路線で行くしかないのですよ。そのため、会社を組織化して自立の道を一刻も早く拓く必要があるのです。

中根 厳しい見方ですが、これまでの伊豆半島の観光行政は計画行政に乏しかったと感じています。右肩上がりの時代では、行政はポスターを作ったり、キャラバンを張ったりのプロモーションを実施していれば、実際の集客は民間事業者が引っ張ってくれたという図式があった。
収益性を担保しようとすると短期的にも結果を出さないといけないですが、一方で中長期的に10年間スパンで観光を健全な産業として育てるシナリオを、誰かがみていないといけないのです。短期的には成果は得られなくても、次の世代のためにも取組む必要があるということを、きちんと誰かが明言して実行することが大切です。

村上 行政は単年度決算です。足りなければ行政から、あるいは行政から出ないのならその範囲でやりましょう、では継続的にレベルアップする地域にはならない。

浅井 行政も進化したと感じるのは、観光と観光地づくりの違いに気づき始めたこと。観光とは何かの原点に戻って観光地づくりを行おうとするようになったことは評価できると思う。

村上 観光を掌握する課の名前も変わってきた。館山の取組みは早いのではないでしょうか。

浅井 行政としては前例があると取っ付きやすい。全国的にもっと多くのモデルが出てくることを期待していますね。我々の地域は半島ですから、全国的なモデルとはちょっと異なる。全国的には観光資源とは何かを再度考え始められている。観光資源の見直しから観光地づくりを目指していく際に、観光プロデューサーの役割があるように思う。観光資源の見直しだけなら、地域だけでできるものであると思う。

中根 価値観の変革に最も腰が重かったのは役所だったのかも知れませんが、その役所の内部が変わってくると今後の期待・展望が広がる。そのように持っていくには、観光協会や観光プロデューサーの力だけではなく、むしろ市民やNPO等の組織が、観光プロデューサーをバックアップして声をあげることが大切なのですね。

浅井 私や村上さんが始めた頃には、そのような動きはまったくなかった。

中根 だから先駆者のお二人は随分とご苦労されたと思います。以前から旅行会社から観光協会への出向はありましたが、現在のような役割を担った観光プロデューサーの公募としては、私の存じている限りでは1998年に湯布院と松江市で実施したのが始まりではないでしょうか。そしてその仕組みを館山に持ち込んだと聴いていました。館山市が観光プロデューサーの人件費と活動費をきちんと担保して取組んだことは先駆的であったと思います。

浅井 ニューツーリズムという言葉もなかったですよね。

村上 2001年頃から、観光・旅行業のみならず、様々な分野で民間を登用するという風潮が全国的に展開されてきたように思います。

浅井 中根さんの紹介で、村上さんを紹介いただいたことは、地域にとってプラスになっている。そして本日はまた、渡邊さんをご紹介いただきましたが、このような観光プロデューサーの輪が広がることを期待しています。地域は異なりますが、同じような仕事に携わっているので直ぐに分かり合える、お互いの悩みを相談しあえるように思えます。

村上 愚痴をこぼせることが良い。地元では絶対に言えないからね。伊豆での活動では、新聞社と巧く連携されることが効果的であると思います。観光に協力的ですから。

渡邊 今回の組織化の話題も新聞社に情報提供していますので、書いていただけると思います。

中根 浅浅井さんと村上さんは前例がない中で先駆的に力仕事で地域を開拓してこられたと思います。今回の稲取の公募では、外部から女性が切り込んでいったこと、女性の役割も高まってきていることが適時性を得たものと思っています。観光はもてなしの産業ですので、ますます女性の力が期待されてくるものと思いますね。

浅井 最近女性のプロデューサーの方とお会いすることが多いのですが、女性はシャープであることに加えて、これからの観光は生活・環境が売りになるので女性のセンスが必要だと感じています。この分野は女性が進出する領域であると思いますね。

渡邊 仕事で福岡に行った際に仕事が終わって居酒屋さんに入ったら殆どが男性客。東京では女性客も多くなってきていますが、まだ地方ではそのような状況であったことにびっくりしました。女性は、忍耐強いので調整役に向いていると思います。観光プロデューサーまでは無理でも、コーディネーターの役回りを外から入って実践することはできると思う。中間支援組織の人材を育てることは一番大切な仕事。その重要性に行政は認知していただきたいと思います。

村上 観光客の半分は女性なのですがね。

浅井 先日、旅のもてなしプロデューサー養成講座に出席いたしましたが、受講された方の2割が女性でした。生涯学習をテーマとすると女性の方が多いですね。

地域観光プロデューサーの先達に聞く中根 議論がまだまだ続きそうですが、お時間となりましたので、本日はこのあたりで座談会を閉じさせていただければと思います。観光プロデューサーの輪を広げようというご意見もいただきました。ネットワークというか“縁”を広げるという意味から、またこのような場を開催いたしたいと思います。
また、観光プロデューサーという領域での活動についても、教本には書かれていないような皆さんの苦労ややりがいを、様々な方々に知っていただけるようにアピールしていきたいと思っています。本日はお忙しい中、貴重なご意見を賜りありがとうございました。

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懇談を終えて

今回初めての試みであった『地域観光プロデューサーの先達に聞く』は、お世話になっていた観光プロデューサーの方々と、当初は“気軽に一杯やりましょう”程度の思いであった。しかし観光立国推進基本法が施行され同基本計画が閣議決定されるという時代変化の中で、観光を通じた地域の活性化にとって「観光プロデューサー」に対する期待と役割が大きく注目され始めている。厳しい財政状況にも関わらず予算を捻出し観光プロデューサーを招聘しようとする地域の思いや、ライフワークとして地域に飛び込み、地域と一緒になって役に立ちたいと考える方々に、少しでも先駆者達の苦労談ややりがいを伝えられたらと考え、多忙な御三方に懇談と公表をお許し頂いたしだいである。
地縁血縁もない地域に一人切り込んでゆく意気込みと覚悟への報いは、金銭だけで計れる問題ではない。浅井氏は言われた『観光協会長とお会いする機会があり、「浅井さんが取組んでくれたことが地域の新しい観光の始まりだった」と言っていただきました』と。
また三人が共通して言われたことが人材の発掘である。村上氏は言われた『着任当初は、地域の方々と会うことに時間をとりました』と。また浅井氏は3年間の間で5つのNPO法人の立ち上げに尽力され、現在はNPO同士の連携により館山市の横断的な活動が継承されている。さらに渡邊氏は言われた『・・人材を見つけ出すということは可能であると思います。そういう人材がいれば意識の後継はできると思います・・』と。
数年間の任期の中で、たった一人の観光プロデューサーが、地域の観光のすべてを改革し、数字で結果を出すことなど容易ではない。限られた時間の中で観光プロデューサーに対する最大の期待は、地域を良くしたい、変えたいという“人材”と“思い”を地域で発掘し、役者として舞台に引きあげ、プロデューサーが去った後も“意識の後継”がなされる道筋をつけることと言えるだろう。

外から地域に入られた観光プロデューサーを、“無医村に派遣された医師”に喩えらたら失礼だろうか? 彼らはいわば地域観光の“掛かり付け医”である。掛かり付け医は例え専門分野が外科であろうと内科医であろうと、地域のいかなる病症から逃げるわけにはいかない。一方われわれ東京に拠点を置く調査機関やコンサルタントは専門医である。専門医は地域で孤軍奮闘される彼ら掛かり付け医と連携し、サポートできる関係を築くことが使命であると痛感させられた。

2007年9月
(株)ツーリズム・マーケティング研究所
中根 裕

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