『変革する観光旅行産業-「ニューツーリズム」の時代』 その1:国策として旗揚げされた「観光」

1963年に制定された観光基本法が約半世紀ぶりに「観光立国推進基本法」として改正され、国策として観光や旅行の推進に取り組み始めたところである。ここでは4回にわたりわが国の観光や旅行について、政策、地域、マーケットそしてビジネスの視点からご紹介したいと思う。

中根 裕

中根 裕 主席研究員

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2008年10月、国土交通省に観光庁が設置されたことは記憶に新しいことと思う。そして1963年に制定された観光基本法が約半世紀ぶりに「観光立国推進基本法」として改正され、国策として観光や旅行の推進に取り組み始めたところである。あいにく同時期のいわゆるリーマンショックが世界的にあらゆる分野に影響を与え、観光・旅行分野も例外ではないが、長い目でみれば観光がわが国の産業、経済、文化に大きく寄与することは疑いがない。ここでは4回にわたりわが国の観光や旅行について、政策、地域、マーケットそしてビジネスの視点からご紹介したいと思う。

観光、旅行の促進を国策として取り組む背景

わが国が国策として観光に取り組むことは、なにも今回が初めてではない。江戸幕府から明治に入り開国によって欧米諸国からの訪日外国人客が増え、受け入れ組織として現在の㈱ジェイティービーの前身である「ジャパンツーリストビューロー」が1912年に設立されている。当時の主たる目的は、外国人客の斡旋、誘致とそれによる外貨獲得であった。その後、第二次世界大戦の敗戦から経済復興に国を挙げて取り組み、高度経済成長を果たしたことにより、1964年に観光目的の海外旅行自由化が図られることとなった。この当時の為替は1ドル=360円の固定相場制であり、持ち出し外貨も制限されていたが、1973年に円が変動相場制となり、さらに1985年の「プラザ合意」による円高を契機に日本人の海外旅行が急成長することとなった。わが国の旅行業界が成長したのは、国民の旅行の大衆化の波に乗ったこの時代であった。一方、国の政策としては貿易黒字の解消のプレッシャーもあり1987年に「テンミリオン計画」が発表され、海外旅行者を500万人から1000万人という目標を掲げ、目標年次を待たず達成されている。さらに2003年1月には、当時の小泉首相の施政方針演説において、「日本の魅力再生」の一環として、当時海外旅行者数1600万人に対し500万人に留まっていた訪日外国人客を2010年までに1000万人とする目標が掲げられた。

今般の観光庁設立はこうした経緯、背景を経ているが、海外旅行、訪日外国人旅行を含めた「国際相互理解の促進」と共に、観光を通じた「地域経済の活性化」を課題として掲げている。この観光を通じた「地域経済の活性化」に対しては、観光が食べる、楽しむ、買う、移動する、泊まるといった様々な分野に波及することから、限られた観光事業者に留まらず、地域をあげた活性化の有効な施策として期待されているのである。

観光・旅行による経済波及効果は2007年度で23.5兆円の消費額と推計され、産業としてわが国の国内総生産(GDP)への貢献度は2.3%を占めている。これは製造業(食料品)や電気・ガス・水道業に匹敵する産業として位置づけられる。この観光による経済的波及効果に対し、特に第一次産業の衰退や高齢化、地方自治財政の逼迫という課題を抱える地方にとって、地域を活性化させる有効手段として期待されているのであるが、観光振興を図ることは、こうした経済的効果だけでない。地域社会の活性化やグローバル化、国土資源の保全や文化、伝統の維持、継承、そしてなによりも地域社会や地域産業の自立のための有効な施策として活用されることが望まれている。

成田国際空港に近接する成田山新勝寺の参道には、古くからの門前町として様々な商店が軒を連ねている。そこには成田空港からの外国人観光客のみならず各国の航空会社のクルーも訪れるスポットである。各商店主の中には70歳を上回る方も多いが、外国人との接客、電話応対、道案内など、少しも物怖じせず単語と身振りで応対している姿を見ることができる。こうした国民一人一人の意識のバリアが取り除かれることこそ、観光を通じてわが国の国際化とかグローバル化は図られるのでないだろうか。

(日刊工業新聞:平成21年5月6日掲載)