<連載>『JTM海外旅行実態調査』から海外旅行とデスティネーションの魅力を探る 第2回  2011年3月11日に起こったこと ~ 自分なりの速度と目線から観光を提案するスイス ~

東日本大震災は、私たちに価値観の大転換を迫る出来事であったような気がしてならない。20世紀的価値観からの抜本的脱却を促すものだったのではないだろうか。そして、当然のこととして旅行に対する価値観も大きく変わらざるをえないだろう。今回は、その予感とスイスの魅力について考えたみたい。

磯貝 政弘

磯貝 政弘

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目次

2011年3月11日に起こったこと

2011年3月11日を、私たちはけっして忘れることがないだろう。
激しい大地の軋みとともに湧き上がった海面が巨大な津波となって、人も街も港も田畑も工場も、すべてを呑み込んでしまった。被害の大きさと被災地の範囲の広さは、1995年1月の阪神大震災をはるかに凌ぐ。

それだけではない。傷ついた原子力発電所が福島の海辺に取り残された。どれだけの危機がそこから発生するのかは、まだ誰にもわからないらしい。それゆえに増殖する不安。日本全体が鬱の状態に陥った感じさえする。

さて、こうした状況だからこそみえてきたのが、人間という存在の魅力と愚かさではないだろうか。原発は「絶対に安全」であると言い続けてきたエリートたちが、”想定外”の災害に周章狼狽する姿が連日テレビ画面に映し出される一方で、ボランティアとして被災地の復興や被災者救護に取り組む数多くの人たち。そこに人間という存在の、理屈抜きでの魅力を感じた人も多いのではないだろうか。そして、社会の基本が、人と人との関係であることをあらためて認識させられる光景でもあったのではないだろうか。

さらに、かつて町があった場所に広がる廃墟のような風景。失われてみてはじめて気がつく、長い歴史が育んできたその土地ならではの生活や文化、風土の価値。だからこそ、土地を離れたがらない人が数多くいるのだろう。

東日本大震災がもたらした変化とは

東日本大震災は、私たちに価値観の大転換を迫る出来事であったような気がしてならない。20世紀的価値観からの抜本的脱却を促すものだったのではないだろうか。そして、当然のこととして旅行に対する価値観も大きく変わらざるをえないだろう。いや、前世紀末期から萌していた変化が、これからいよいよ広く一般化することになるといったほうが正確だろう。
では、これからの時代の旅行の価値観とはどのようなものなのだろうか。

私はそれを3つのキーワードで考えている。
第一のキーワードは、ある土地に固有の生活、文化、風土、そしてそれらの背景にある歴史、連綿と続く時の流れ。
第二は自然、または都市の中での時間からの解放と想像力の奔出。時を忘れて森や路地を無目的に彷徨できる自由。
第三のキーワードは、人との繋がり、出会い。知らない人との予期せぬ出会いや家族、恋人、仲間などとの絆をより強固なものとする至福のひととき。

近代の産業社会が”豊かさ”を追求し続けてきた結果として、いつしか突き当たった閉塞感。それを本格的に感じだした多くの人が希求する旅とは、畢竟、自分にとって快適な速度で感じとり、自分なりの目線の高さから世界を見つめられるものにほかならない、のではないだろうか。

自分なりの速度と目線からの観光を提案するスイス

前回テーマにしたドイツの隣国スイスを訪問した人たちが、スイスの良さをどのように評価したのかを要約すると次のようになる。(図1参照)

図1

雄大で神々しいまでに美しいアルプスの山々を目の当たりにした時、夏の大気の澄明さがひときわ心地よく胸に沁みわたった。幸福な気分が五感に充満して、口にする食べ物はすべて美味しく、地元の人たちはだれも優しくもてなしてくれた。こうした高揚感を引き出す源である自然の価値を利用しつつも、けっして損なうことなく守り続けてきたスイスという国家と国民には最大の賛辞を呈したい。

ウィリアムテル伝説以外に劇的な歴史を持たないスイスが、JTBレポートの「行ってみたいデスティネーション」で毎年ベスト10に位置する理由も、スイスに固有の自然の恵みとそれを長きにわたって矜持としてきたスイスの人たちへの尊敬を覚える日本人が多いことに求められるだろう。

ところで、スイス政府観光局が紹介する体験プログラム「スイス・モビリティ」に注目したい。国家が整備した総延長9千㎞のウォーキングコースやサイクリングコースのほか、マウンテンバイク、ローラースケート、カヌー用のコースで、スイスの魅力をそれぞれの人が自分なりの速度、自分なりの目線から見つけ出し、楽しんでもらおうというものだ。
参考:スイス政府観光局 スイス・モビリティ

こうしたアクティビティが日本人に受け入れられる時代になろうとしている。そうした土壌がこのたびの震災を契機に急速に広がるだろうと信じている。昨今、中高年の間でもサイクリング人気が高まっているが、その聖地としてスイスが位置づけられる可能性を感じるのだが、どうだろうか。

また、ヨーロッパは国境を越えるたびに生活や文化、風景や歴史が異なる。そこが魅力の深みを形成しているのだが、スイスからサイクリングで国境を越えて、スイスでは味わえない魅力、例えば劇的な歴史を追い求めてドイツ、オーストリア、フランスにまで足を伸ばす日本人旅行者も珍しくなくなるような時代が到来するような気がする。