BCPとしての観光危機管理(第3回)
観光危機管理の事例について、今回は、観光危機管理の実践により、危機に的確に対応しつつ、危機後の観光復興に繋げていった国内外の事例(香港のSARSや東日本大震災など)についてまとめてみたい。
髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表
目次
(1) SARS(香港)
2003年3月、SARSが中国で発生し、香港でも発症例が出たとき、香港特別行政区政府と香港政府観光局は、すぐに香港全土で危機管理の体制をとった。香港から出国するすべての人に体温計測を義務付け、SARS感染者を香港から出さないようにするとともに、SARS患者が発生したホテルを封鎖した。
世界の各国は、香港をはじめ、中国、台湾などアジアへの渡航自粛勧告を発出した結果、香港の同年4月の外国人入国者数は前年同月比64.8%の大幅な減少となった。
5月に入り、SARSの新規患者発生は目に見えて減少し、WHOは香港と中国広東省に出していた渡航延期勧告を解除した。これに伴い、日本を含む各国は香港や中国に対する危険情報のレベルを引き下げた。
WHOの渡航延期勧告が解除された4日後、香港貿易経済部と香港政府観光局が東京で記者会見を行い、総額150億円に上る予算を準備し、リカバリーキャンペーンを実施することを発表した。6月には、世界の主要新聞上に香港政府名で「香港へのWHOの渡航延期勧告は解除され、市民生活は平常に戻った。」という趣旨の意見広告を掲載した。さらに、6月下旬にWHOが香港をSARS汚染地区リストから除外したのを受けて、7月より大々的なリカバリーキャンペーン「Hong Kong Welcomes You!」をスタート、その一環として、8月には世界各国から3500名を招待した「Welcome Day」イベントを開催した。こうした矢継ぎ早な危機後の対応が功を奏し、香港への観光客の入込は早期に回復した。
ただちに発症者を封じ込めて新たな患者の発生、伝染の拡大を防止するとともに、同時並行でリカバリーキャンペーンの準備を着実に進めることで、香港は観光危機管理に成功し、SARS禍を乗り切った。
(2) スマトラ地震・津波(プーケット島)
2004年12月にインドネシアのスマトラ島沖で発生した巨大地震は、インド洋に面したアジアやアフリカの海岸に大きな津波の被害をもたらした。タイの有数なリゾートであるプーケット島も数メートルの高さの津波に襲われ、ビーチ沿いのホテルやレストラン、土産物店などが被害を受けた。プーケットを訪れていた北欧や英国からの観光客も多く被災した。
こうした非常事態の中で、プーケット島にある三つの民間病院は、津波の被害で負傷した外国人を積極的に受け入れ、廊下やロビーにベッドを置いて臨時の病室、手術室とし、最大限の医療ケアを提供した。
自国民に対するプーケットの病院の献身的な働きを知ったスウェーデンのグスタフ・カール国王は、自らプーケットに赴き、入院中のスウェーデン人観光客を見舞い、病院や州政府等の関係者に感謝を表した。翌年、同国王は再度プーケットを訪れ、自国民に対する手厚い対応への感謝の徴として、病院の一つに自分の名前を冠した国際会議室を贈呈した。
こうしたことが欧州で報道された結果、プーケットは「津波が来ても安全なリゾート」、「高いレベルの医療サービスとホスピタリティのある観光地」としての評価を高め、早期に欧州からの観光客を取り戻すことができた。さらに、積極的なプロモーションを行っていないにもかかわらず、医療サービスを目的にプーケットを訪れる外国人の増加にもつながっている。
また、津波後、ただちにタイ政府はTATを中心とした危機対応プロジェクトを設置し、世界観光機関(UNWTO)や太平洋アジア観光機構(PATA)の協力のもと、観光の復興に向けたさまざまな活動に着手した。後述する危機後の回復に必要な対応である、マーケティング・コミュニケーション、セールスプロモーション、コミュニティー支援、観光人材育成、持続可能な再開発などを含んだ「プーケット・アクションプラン」を策定し、寸暇を置かずに実行に移した。
現在、プーケットはビーチ沿いを中心に津波への備えが整ったリゾートとして完全復活し、ホテルや観光施設のサービスレベルも向上し、津波前を上回る外国人観光客が訪れるようになっている。
(3) 9.11後のニューヨーク応援ツアー(H.I.S.)
2001年9月の米国での同時多発テロは、航空機を利用して米国へ行くことに対する恐怖感を世界の人々に植え付けた。「安全・安心」に対してきわめて敏感な日本人の米国行をはじめとする海外ツアーはことごとく催行中止となり、旅行会社の中には年内の米国ツアーの再開は難しいだろうとの空気が一般的だった。
そうした状況下で、H.I.S.が市場の静寂を破った。事件から1か月もたたない10月2日に「ニューヨーク復興へ向けて―We Love New York」と銘打ったツアーを新聞広告で募集したのだ。当時の旅行業界には、H.I.S.がスタンドプレーをしている、との批判もあったが、最終的にニューヨーク応援プロジェクトは10月2日から12月19日の間に1,600名の日本人をニューヨークに送った。ツアーを受け入れたニューヨーク市では、「海外からの観光客が極端に落ち込んでいる中で、H.I.S.は勇気をもってツアーを催行し、我々を支援してくれた。」と最大限の賛辞を同社に送った。また、同社では、このツアーの売り上げの5%を当時のギリアーニ ニューヨーク市長が設立した「ツインタワー基金」に寄付をした。
伝統的な日本人的心情からすると、危機に見舞われた地域に旅行することは、安全面での不安があるとともに、現地で復興に苦労している人、不自由な生活を送っている人の横で自分たちが楽しむことであり、気が引ける。日常が戻るまでは訪問を遠慮した方がよい、という意見が多数を占めるのかもしれない。しかし、観光地の地元からすれば、義援金はありがたいが、それよりもこの地域を訪れて、宿泊し、食事をし、観光を楽しみ、買い物をしてくれる方が、災害で失われた雇用機会を再創出し、経済を活性化することにつながるので、それが最大の地域に対する支援であり貢献である。
H.I.S.にとって「We Love New Yorkツアー」は、米国でトップを争う人気観光地であるニューヨークとの絆を強めるとともに、これを9.11以降「凍結」していた日本の海外旅行市場を「解凍」するきっかけにするという意図があったと思われる。別の見かたをすれば、海外旅行を主とする同社が事業継続を検討するなかで、他社に先駆けて市場の再活性化を図る戦略として考案・実行されたのであろう。
(4) 東日本大震災への対応(JR東日本)
東日本大震災が発生した瞬間、JR東日本管内では新幹線27本が走行中であった。同社独自の地震予知システムが地震の初動を捉え、直ちに走行中の全新幹線を緊急停止させた結果、乗客は全員無事であった。
また、地震後の津波によって、JR東日本の普通列車5本が流されたが、これらの列車の乗客全員は、地震による緊急停止後、乗務員の誘導で安全な場所に避難していたため、一人の死傷者も出なかった。
これだけの地震・津波の被害を受けながら、乗客に一人の死傷者もなかった背景には、同社の危機管理のしくみがしっかりと機能したことがあると言えよう。
第一に、地震に対しては、緊急停止システムが、気象庁の緊急地震速報の発出よりも1秒早く作動できるしくみになっている。高速で走る列車の緊急停止においては、1秒でも早く制動がかかると、地震の揺れが列車の走行地点に到達する時点で、その分列車の速度を落としておくことができる。速度が遅ければ、脱線などのリスクが小さくなる。すなわち、この1秒早い緊急制動が地震に対する安全性を高めているのだ。
第二に、危機発生時に間髪を置かず、津波の危険性のある地域に停車している各列車の乗務員に、輸送指令室から的確な指示が出されたことが挙げられる。
そして何よりも、その指示を受けた被災列車の乗務員が、乗客全員を確実に安全な場所に避難誘導したことが、津波での死傷者ゼロという奇跡的ともいえる対応を可能ならしめたのである。JR東日本では、普段から乗務員に対して非常に厳しい安全訓練を実施している。繰り返し行う安全訓練が身についていたからこそ、未曽有の危機に直面した際にもそれを行動に移すことができたのであろう。
同社の危機管理は、綿密な計画が、システムと人的な教育訓練に確実に反映されたモデルケースである。
(5) 東日本大震災への対応(オリエンタルランド)
今般の大震災への対応で注目を浴びたのが、東京ディズニーリゾート(R)(TDR)を運営する株式会社オリエンタルランドである。
地震発生時、東京ディズニーランド(R)と東京ディズニーシー(R)の二つのパークには、合わせて7万人以上のゲスト(来場客)がいた。地震発生と同時に、すべてのアトラクションは緊急停止した。キャスト(従業員)は、ただちにゲストに体を低くして、落下物から頭を保護するように指示した。最初の揺れから40秒後、日本語と英語の場内アナウンスが、大きな地震が発生したので、できるだけ身をかがめて、揺れが収まるまでその場に留まること、パーク内は耐震構造になっており、安全であることを伝えた。キャストたちは落ち着いた表情で、ゲストの避難誘導を開始した結果、パーク内でパニックの発生は皆無であり、ゲストの死傷者もゼロだった。
しかし、地震後の安全確認のために、東日本のJRおよび私鉄がほぼ全線で運転を停止したため、2万人以上のゲストが帰宅できなくなり、翌朝までTDR内に留まった。この間、それぞれのキャストもパーク内に留まり、ゲストの対応に当たった。
余震への恐れや寒さで震えるゲストに、それぞれのキャストが自分の判断でショップにある衣料品やぬいぐるみなどの商品を無料で渡し、防寒具や頭の保護に使ってもらい、ゲストの不安や寒さを軽減した。販売しているお菓子などの食品もゲストに提供し、空腹のゲストのおなかの足しにした。さらに、不安がる幼いゲストたちの気持ちを和らげるために、即興でお話をしたり、「隠れミッキー探し」などのゲームをしたりした。
TDRのキャストの半分以上は、いわゆる非正規雇用の従業員である。それにもかかわらず、現場における自分たちの判断で、震災のショックと不安に震えるゲストたちに、安心とディズニーらしい楽しみを提供することができた。それを可能にしたのは、世界中のディズニーリゾートで一貫している行動指針が、TDRの全キャストに浸透していたことである。
その行動指針とは、SCSEと呼ばれる。S:Safety(ゲストの安全)を守ることが最高のプライオリティであり、その次にC:Courtesy(ゲストへの心配り、礼儀正しさ)、S:Show(ショー、楽しみ)そして最後にE:Efficiency(効率性、企業利益)が位置づけられる。
震災という危機的な状況でも、TDRの全キャストがSCSEにもとづいて判断・行動した。その結果が、7万人のゲストの一人もけがをしないで安全に避難できたこと、パーク内で一夜を過ごした2万人以上のゲストが、「ちょっと怖かったけど、またTDRに来たい」という気持ちで、翌日それぞれの自宅に向かうことにつながったのだ。
また、「S:安全」を具現化するために、TDRでは夜の閉園後と早朝の開園前の時間に、年間180日安全訓練を行っている。アトラクションの安全な乗り降り、万が一の事故の際の対応、そして今回のような緊急停止と避難誘導などの基本が、全キャストに叩き込まれている。それがあるから、あとはSCSEの行動指針にもとづいて、現場に判断の権限を委ねることができるのであろう。