”A Time for Leadership”「リーダーシップの時代」~WTTC Global Summit 2013 に参加して~
アラブ首長国連邦のアブダビでWTTC Global Summit 2013が開催された。テーマは「リーダーシップの時代」であり、旅行・観光の市場が大きく変化する時代に、ツーリズム業界が的確に変化に対応し、新たなチャンスをつかんでいくためには、強力なリーダーシップが求められるという趣旨である。討議内容や会議から得られた示唆についてレポートする。
髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表
目次
アブダビの朝
飛行機の窓の外が白み始めた頃、私の乗ったエティハド航空機は目的地アブダビ空港に向けて降下を開始した。他の多くの空港への着陸時のように、街の表情が見えてくる高度まで下りてきても、見えるのは一面薄褐色の大地。ところどころに建物らしいものが建っているが、それらを結ぶ舗装道路は見当たらない。見えるのは、大地と同じ色の線、舗装されていない砂の上の轍(わだち)なのか。それが地平線までまっすぐ続いている。ふと脳裡に旧約聖書の出エジプト記が浮かぶ。モーセに率いられた何万というイスラエルの人々は、きっとこんな砂漠の中を歩いてエジプトから逃れ出たんだなあ。文句の一つどころじゃないだろう。暑さ、寒さ、砂嵐から身を守ることもできない、果てしない砂の世界を、いつ終わるともわからずひたすら歩き続けたのだから。
アブダビ空港に到着したものの、周囲には街らしきものは見えない。片側4車線の高速道路を車で20分ほど走っていくと、目に入る建物が増えてきた。そろそろ街に近づいてきたようだな、そう思ったとき、道路の右手に白いモスクが見えてきた。近づくにつれて、その大きさが想像以上であることがわかってきた。「世界で3番目に大きなモスクだ」運転手が誇らしげに教えてくれた。
さらに20分ほど走ると、道路の先にキラキラと輝く超近代的な高層ビル群が見えてきた。あちこちでビルの建設工事が進んでいる。「アジアにある高層ビル建設用のクレーンの3分の1が、今、アラブ首長国連邦に集まっているんだ」運転手は、また嬉しそうに話してくれた。車は、そうしたビルの中でも最も目立つビルの駐車場に滑り込んだ。ジュメイラ・アット・エティハドタワー、2年前に開業したアブダビで最高級のホテル。今年のWTTC Global Summitの会場である。
世界最大の産業、ツーリズム産業の重要性
オープニングセッションで、UNWTO(世界観光機関)のタリブ・リファイ事務局長は、ツーリズムが、今や世界の雇用の1割を創出する世界最大の産業に成長し、今後も着実な成長が期待されていること、なかでも途上国においては、観光がもたらす経済効果が、貧困からの救済や社会の活性化に大きく貢献していることなどを改めて力説した。
講演の最後にリファイ氏は、国連のパン・ギムン事務総長から託されたメッセージを読み上げた。「全世界のツーリズム業界が協力の精神でつながることで、世界の人々の観光活性化を実現し、何十億人の人生を変え、めざすべき世界を実現してほしい。」国連事務総長からのメッセージが観光関連の会議に寄せられることは、私の知る限り初めてのことであり、世界全体がツーリズム産業の成長に期待していることの表れでもあると言えよう。
これに続くセッションでも、WTTCのデービッド・スコーシルCEOが、「旅行・観光は、経済をけん引し、雇用を創出する。厳しい経済状況下にあっても、世界の消費者の海外旅行に対する意欲は下がらず、観光の成長のポテンシャルは変わらない。」とツーリズム産業の成長可能性を強調した。
世界のGDP・雇用のそれぞれ1割がツーリズム産業によって生み出されること、ホテルやレストラン・観光施設等で観光客が消費する食材の調達や旅行先での購買、さらに言えば、旅行者の増加が航空機などの製造にも影響し、二次・三次の経済波及まで含めると、ツーリズム産業が世界経済に与える影響はさらに大きい。従来、製造業が中心となってけん引してきた日本の経済界も、このようなツーリズム産業の成長可能性・重要性に対する認識をより深めていただきたいものである。
世界の旅行・観光業界の三大潮流
オクスフォード大学のゴールディン教授は、世界の旅行・観光業界の三大潮流として、1) 人口高齢化に伴うニーズの変化、2) コネクティビティ(インターネットによる高度な接続性)、3) 変動する経済 を挙げ、そうした流れのなかで、急速に進むグローバル化をどうマネジメントするかが課題になると問題提起した。
国際化は、その後の業界別のセッションでも繰り返し論議された。とりわけ、ビザや入出国手続きは、今後の国際間の人の交流の拡大に大きな障害になりかねないことから、ビザ免除、電子ビザ、ビザ申請手続きの簡素化、ICTを活用した入国手続きの効率化などの必要性が提言された。世界経済フォーラム等の場でも、国際間の人流の促進は、これからのグローバル社会における重要な課題として取り上げられており、単にツーリズム業界の発展や成長に係る問題だけではなくなっている。
航空業界の視界は乱気流、それとも快晴?
国際間の人流に欠かせないインフラとして、航空業界の動向に注目が集まった。LCCの急速な成長により、これまで海外旅行に出かけられなかった層が、気軽に国境を越えられるようになり、旅行市場を大きく変化させ、成長させている。一方で、国際航空路線を維持拡大し、航空座席供給を安定化するためには、既存のフルサービス・エアラインを含めた航空会社の経営を長期的に維持することが求められている。
その文脈で、BA/IBの持ち株会社International Airline GroupのウェルシュCEOは、英国を始めとする主要空港における空港税の問題を取り上げた。各国政府が税収不足を補う目的に空港税を上げる動きに対し、ただでさえ航空燃油の値上げが航空会社の経営を圧迫しているなかでの空港税の値上げは、航空会社の収支をさらに悪化させる要因となる。利益が減少すれば、新機材投入や新路線開設の投資のための原資が不足し、場合によっては路線撤退や減便につながる。その結果、国際旅客が減少し、長期的にみると、その国において国際航空業界がもたらす経済波及を阻害するだけでなく、空港税の増収分を上回る税収の減収が見込まれるとシミュレーション数値を示して主張した。
エティハド航空のホーガンCEOは、コストを増やすことなく付加価値を創出することができる点で、航空会社間の提携は、今日の航空事業モデルにおいてきわめて重要であると、提携に積極的な同社の戦略を説明した。
世界のホテルブランドが次に目指すのは?
ホテル業界もお客様の変化を敏感に感じている。IHGのソロモンズ社長は、顧客を理解することは、ブランドの強化よりもはるかに重要であり、ホテルゲストの最大の関心事は、安全、清潔さと快適な睡眠であると、顧客理解の原点に立ち戻ることの必要性を力説した。それに対し、Booking.comのハストンCEOは、流通の立場から「インターネットの時代、ブランドは、消費者に対する『約束』であるゆえに、今日も意味を持ち続けている」と発言、予約するホテルのコンセプトやイメージをお客様に伝える役割を、ブランドが果たしており、それゆえに、お客様がブランドに対して期待するサービスを確実に提供することが大切だとした。
各ホテルチェーンがブランドを細分化し、再構築していく流れの中で、ブランドの役割・意味を改めて二つの異なる視点から議論したものとして興味深かった。いずれの発言も、お客様が誰であり、お客様の期待やニーズが何であるかを確実に把握し、求められることを確実に実現するという、サービス業の根幹に根差したものであることは間違いない。
次の10億人の海外旅行者達成に向けて
世界全体の年間の国際旅行者数が10億人を超え、さらに20億人をめざすために、障害となっている課題とその解決策について話し合いが行われた。
ここでも、ビザや入出国手続きの簡素化、ビザ発給手数料などの問題がさまざまな角度から取り上げられた。JTBの田川社長は、頻度の高い旅行者に対して、旅券とビザが一体になった「ゴールドカード」を発給し、セキュリティを確保しつつ国際間の行き来が容易にできる仕組みの開発を提案した。
このセッションの後半では、ツーリズム産業に携わる人材の教育が議論となった。この10年、20年の間に、旅行・観光ビジネスは大きく変わったにもかかわらず、業界の最重要な資産であるスタッフに対して、ほとんど何もしてこなかった。従業員の再教育、再訓練に本気になって取り組んでこなかった。観光が好きで業界に入ってきた人たちが、このままではやる気を失ってしまうなど、業界としての反省や懸念の声が上がった。
会議の前段でも取り上げられたツーリズム産業の雇用創出力も、そこに教育・人材育成が伴わなければ、より高いレベルのサービスや付加価値の高い観光プログラムにはつながらない。各事業者はもとより、WTTCとして全世界的に取り組むべき課題の一つであろう。
希少な資源・環境とツーリズムの成長
世界の人々が地球温暖化や環境汚染、CO2排出量削減等の課題に真剣に向き合う時代になってきたが、有限な資源と環境の問題への対応は、ツーリズム産業にとってきわめて重要度が高い。女優であり自然保護活動家でもあるダリル・ハンナは、「旅行・観光産業の役割は、旅行を通じて人々が世界に“恋に落ちる”ようにすること、それにより自然資源を保護し、持続可能性が高まる。」と述べた。
旅行・観光の活動が拡大するのに伴い、航空機、自動車、宿泊施設等におけるエネルギーの消費やCO2の排出は、否応なしに増加する。これらを抑制するため、燃料効率がよくCO2の排出量の少ない航空機や自動車が開発され、ホテル等では廃棄物の再利用やエネルギーの効率利用が進められている。この面で、日本はかなり進んでいると言えるだろう。
さらに指摘されたのは、水の効率利用についてだ。水資源の豊かな日本においては、水の使用量抑制については、個々の事業者の問題であり、国全体としてあまり突っ込んだ議論がなされてこなかった。しかしながら、世界の多くの地域では、水は貴重な資源であり、観光客の増加によって真水が不足する事態が発生している。使用する水の総量を測定し抑制することが必要な時代になってきた。海水の淡水化などを含め、水が今後の旅行・観光産業の重要な課題になることを、アブダビという乾いた土地でより強く感じた。
WTTC Global Summitを終えて
2日間の会議を終えて、今回のテーマである「リーダーシップの時代」に対する答えは何だったのかと考えてみた。
世界の変化が加速していることについては、全く異論がない。国際化、環境、資源、人口構成、経済、ICT、新たなビジネスモデルやサービスの登場。そして、それらの変化がツーリズム産業に大きな影響を与えることも、事実である。では、「ツーリズム業界が的確に変化に対応し、新たなチャンスをつかんでいく」のは、ツーリズム産業自身の発展のためだけでいいのだろうか?必要なのは業界発展のための強力なリーダーシップだけなのか?
ツーリズム産業が世界最大の産業であり、さらに大きな成長可能性と他への影響力を持つ産業となった今、私たちは視野を「ツーリズム産業」から「地球」にまで広げるべきだろう。つまり、ツーリズム産業の持つ力で、世界中の人々にとって、地球にとっての新たなチャンスをつかんでいく時代が来ている。WTTCメンバーを中心とした世界のツーリズム業界のリーダーたちが、より豊かで平和な「地球」の実現に向けてリーダーシップを取ることが期待されていると受け取ることができる。これはWTTCの三つの活動方針の一つ”Tourism for Tomorrow”(明日へのツーリズム)につながっている。
貧困や南北問題の解消、異文化間の交流を通じた相互理解、地域の活性化、雇用の創出、自然環境と地域文化の持続、疲れた人々の心の癒し、リタイアした高齢者の生きがいづくり、こうした社会全体の課題の解決にツーリズムは貢献できるし、それが地球というコミュニティがツーリズム業界に期待することでもある。
筆の任せるままに、年甲斐もなく青臭いことを書いてしまったが、ある意味で、私が30余年前に旅行業界を就職先として選んだ時に理想として考え、その後、企業人としての現実を目の当たりにして心のどこかに封印してきた思いが、WTTCや世界経済フォーラムの会議をきっかけに、当時より現実味を持って再浮上してきたのかもしれない。旅行業界に入りたての頃、「もし太平洋戦争前から海外旅行パッケージがあって、日本の人々がもっと世界と交流していたら、あの戦争は起こらなかったかもしれない」という言葉を聞いたことを思い出す。