海外渡航自由化50周年に向けて
海外渡航の自由化とは、直接的にはOECDの勧告に従って1964年4月に実施された外為規制の緩和措置のことを指している。本コラムでは、海外渡航自由化後の50年間を回顧して年代ごとに市場の変化をもたらした年代層・世代に着眼して50年間の大きなトレンドを描き出すとともに、次の50年間を考える上での論点について考察する。
黒須 宏志 フェロー
目次
はじめに
海外渡航の自由化とは、直接的にはOECDの勧告に従って1964年4月に実施された外為規制の緩和措置のことを指している。言うまでもないことだが、そもそもこうした措置が取られるに至った背景には日本の経済成長と輸出入の増加があった。海外旅行とはこうした経済活動や人口構造、社会の変化などと関連付けて議論されるべきものと考えられる。そこで本稿では海外渡航自由化後の50年間を回顧して年代ごとに市場の変化をもたらした年代層・世代に着眼して50年間の大きなトレンドを描き出すとともに、次の50年間を考える上での論点について考察する。
1.海外旅行50年 -市場回顧
プレ自由化期の様相
海外への渡航は自由化を機に突然動き出したわけではない。海外渡航の自由化、即ち持ち出し外貨の規制が緩和された1964年4月以前にも様々な目的で海外に渡航していた人々がいた。法務省のホームページには1950年からの旅行者数を記した出入国管理統計が掲載されているがこれによると64年の自由化に先立つ1960年以降の数年間において渡航者数が既に年間10万人以上に達し拡大の一途を辿っていたことが分かる。海外渡航の自由化は外貨準備という観点からはリスクとなるが、他方では人々に海外の様子を直接見聞する機会を与える、いわば第二の開国である。自由化はこうした世の大きな趨勢にも鑑みた政策判断でもあったのではないか。
自由化5年前の1959年には金融機関における海外旅行代金の積み立てが始まっていたことにも注目したい。当時の旅行代金は平均的な月収の数倍から10倍以上に相当したため、一般の人々に海外旅行を楽しんでもらうには旅行積み立てのような仕組みが不可欠であったといえよう。実際に海外渡航が自由化された後、この積み立てを使って旅行した人は意外に少数であったらしいが、海外旅行が貯蓄の強い動機づけとなったということに、当時の人々の海外に対する強い憧れ、単なる旅行意欲というより海外を見聞するということに対する強い関心があったことを感じさせる逸話である。
最初の積立海外旅行は、1964年4月6日発の旅行倶楽部の欧州旅行団、同年4月8日発のハワイ旅行団「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」であった。ハワイ旅行団の旅行日程は、7泊9日、オアフ島、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島の4島めぐりで、旅行費用は36万4千円(全日食事付)。この旅行費は当時の大卒新入社員の1年半分の給料額であり、いかに高額な旅行費であったことかがわかる。
男性がリードした70年代までの海外旅行
1964年の自由化の後、70年代にかけて旅行者数は男女、及び各年代で大きく増加したが、その中で先頭を走っていたのは男性の20代から40代までの層であった。この伸びには観光性だけでなくビジネス性の需要が大きく寄与していたと推測される。
またこの時期から女性では20代の旅行者数が最も多かったが、20代旅行者数を男女で比較すると、この時代までは男性が女性を上回っていた。後に女性に凌駕されて動きが鈍くなってしまった若年男性市場だが、70年代の様相は現在と大きく異なっていたのである。
この時代に20代だった人々とは現在60代の団塊世代である。団塊世代では20代のうちに約2割が海外旅行を経験したとみられる。団塊世代より上の世代では海外旅行が自由化される前であったために30歳までに海外を見た人口比は5%未満に過ぎない(1950年以前の渡航経験は除外)。団塊世代、特にこの世代の男性は旅行好き(即ち世代特徴として旅行頻度が高い)と言われるが、この世代がその青年期にあった時に海外旅行の自由化とジャンボジェット就航をきっかけとする旅行費用の低廉化という幸運な出来事が起きたことは、その要因のひとつとして挙げられるかもしれない。
(注)各世代の定義づけに関しては文末の参考図を参照
若年層などの観光性マーケットが大きく拡大した80年代
80年代に入ると20代女性が大きく伸びはじめ、特にプラザ合意をきっかけとする円高が進んだ80年代後半は、40代男性などとともに旅行者数の伸びをリードした。40代男性は70年代同様にビジネス性と観光性の両方で伸びたと推測されるが、20代女性の旅行は多くが観光目的であったと推測される。これは所得水準の上昇で若年層でも海外へ行くお金を工面することが充分可能となり、そうした需要の受け皿となる旅行商品も充実してきたことを示すものといえるだろう。
こうした環境を背景に20代旅行者では1982年に女性が男性を抜き、1987年には20代女性の旅行者数が40代男性を抜いて性年代別でトップに立った。80年代を通じた20代女性の年平均伸び率は約14%に達しており、特にプラザ合意後の5年間は年率20%近い成長を遂げている。OLという和製英語が世界のツーリズム関係者に認知されるようになったのはこの頃ではないだろうか。この時代の20代女性は世代でいうと団塊世代のひとつ下にあたる新人類世代、いわゆる「バブラー世代」である。この世代は現在40代後半から50代にかけて分布している。
一方、ビジネス関連の需要などもあって大きく伸びた40代男性には団塊世代とひとつ上の第一戦後世代(戦争中に幼年~少年期を過ごした世代)のそれぞれ一部が含まれている。これらの世代では仕事を通じて海外渡航の機会を得て徐々に旅行経験を積み増して行った人が多い。このため業務旅行の経験は豊富な反面、レジャーでの経験が乏しいといった人も、間々、見受けられる。こうした点は20代で多くの人が海外旅行を経験し、若い時からレジャー目的の旅行を経験してきた人が多数派を占める新人類など下の世代との大きな相違点といえるだろう。
シニアマーケットの顕在化と若年層の減速 -90年代以降
90年代は前半と後半とで大きく様相が変化した。いわゆる金融バブルの崩壊は90年代初頭に起きたが海外旅行者数は90年代前半までは伸び続けた。この90年代前半の伸びをリードしたのは、80年代同様、20代女性であった。しかし90年代後半以降はマーケットの停滞が始まり、結果的にこの停滞状況は2000年を越えて約15年間にわたって続くことになる。
停滞の中でマーケットを底支えしたのが60代以上の男女、即ちシニアマーケットである。この時期のシニアマーケットの中核は戦争中に幼少期から少年期を過ごした第一戦後世代だ。彼らは選ばれた者にしか海外渡航が許されなかった時代に青年期を過ごし、海外に行くこと自体の価値を幅広く共有している世代といえよう。この世代の女性は同世代の男性と違って仕事で海外に行く機会もなく、新婚旅行による海外経験をした人もほとんどいないため、子供が大学入学したり就職するなど手離れしたのをきっかけに初めて海外旅行をした人が多い。このように90年代半ば以降の市場停滞期はシニア旅行市場が大きく顕在化した時期にあたっており、現在はこの層に団塊世代が加わることで、シニア旅行市場は一層の拡大へと向かっている。
一方、同じ時期にマーケット停滞の主因となったのは20代女性である。90年代前半までは先頭を走っていた20代女性だが状況は一転した。女性だけでなく同年代の男性の旅行者数も同時期に大きく減っている。この時期の20代は団塊ジュニア世代。この世代は青年期にバブル後の雇用制度の大変動にさらされたために上の世代に比べて生活防衛を重視して消費全般に控えめな態度を取るようになったといわれている。海外旅行に対しても上の世代に比べて冷淡であり、これが約15年間にわたる旅行者数減少の大きな要因になったと考えられる。
市場の女性化と近隣アジアへの志向の高まり
この時期についてもうひとつ付け加えておくべきことがある。それは市場の女性比率が男女半々に近い水準に近づき、それと並行してバリやタイ、韓国などアジアのデスティネーションに向かう女性旅行者が大幅に増加したことだ。デスティネーション側のイメージ転換に向けた努力に加え、アジアの経済成長が衛生状況などを含む観光インフラのレベルを飛躍的に向上させたことが大きい。
欧米の旅行市場、及び新興のアジアの旅行市場においても旅行者数が最も多いデスティネーションは近隣諸国である。これが日本の場合はアジア各国が旅行デスティネーションとして開花する前から海外旅行が自由化されていたために、欧米や豪州などより遠くのデスティネーションへの志向が先行して形成され、近隣アジアへの関心・志向は後から高まっていくという経過をたどったのである。
市場停滞からの脱却 -リーマンショック以降から現在まで
約15年にわたって続いた停滞の構図、つまり若年層旅行者が減り、その分をシニア層など他の年代層が埋め合わせることで1700万人前後の旅行者数で横ばいが続く膠着した状況は2008年秋のリーマンショックで円安から円高基調に大きくシフトしたことなどをきっかけとして崩れた。まず20代女性が反転して増え始め、11年の震災後はこれに同年代の男性も加わった。この点に関しては、若年層の旅行者の減少が始まって15年が経過し、20代人口が団塊ジュニア世代から次の世代へと交代しつつあることも付言しておかなくてはならない。
羽田の4本目の滑走路が供用され国際線の発着数が拡充されたこと、また地方空港から国際線への乗り継ぎの環境が改善したことなどもリーマンショック以降の流れを加速する役割を果たした。こうして2012年の旅行者数は過去最高を塗り替えたが、一方で同年の夏以降、中国・韓国との政治問題が顕在化したこと、また同じ年の末の政権交代以降のいわゆるアベノミクスで円安が進んだことなど短期的要素の悪化により、2013年の旅行者数は前年を割り込んだ状態となっているのが現在の状況である。
(参考図)
各世代の定義づけはNHK放送文化研究所「現代日本人の意識構造[第七版]」に基づいている。
2.次の50年に向けた論点
「旅行」と「旅」
最初の論点は「旅行」と「旅」をめぐるものだ。「旅=旅行」ではないかと思われるかもしれないが、両者には似て非なる意味合いがあり、我々はそれを意識するとしないに関わらず使い分けをしている。例えば「巡礼」とくれば「旅」であろう。四国四十八か所巡りなどは今日ツアー化もされているとはいえ、いまだ旅の域にあるもののひとつではないか。初期の海外旅行には未だこの旅の要素が色濃く残っていたのではないかと思われる。
人生が旅になぞらえられるように旅とは究極的には命を落とすことさえある試練であり、あらゆる危険と、同時に可能性とを秘めた営みである。従って人がそれを旅として認識するとき、許容範囲は自然に広くなる。「多少の予定変更は致し方ない。何しろここは日本ではないのだから。」という感覚が初期の海外旅行者にもあったはずであり、それは旅に通じる感覚であった筈だ。
一方、「旅行」とは支払った代金に対して約束されたサービスだ。それゆえ旅行者はフライトの出発が遅れるとイライラし、予定の観光が実施できなくなると、そこには旅程保証という契約に基づく旅行代金返金の義務が生じる。旅行は本来「旅」でありこうした不測の事態は付きものなのだが、その本性を人為的にマスクしたものが旅行といっても良いだろう。
このように、海外旅行が商品化され市場がマス化されていく過程で初期の旅行者にあった「旅人の心」はやがて「消費者の視線」に取って代わられていったと考えられる。「旅」の持つ無限の可能性は歓迎されないリスクととともにそぎ落とされ、商品としてより確かな約束ができる部分、即ち「契約」という概念に耐える部分に限定されていった。
「旅行」が失ったもの
商品化によって「旅行」はどんな要素を失ったのだろうか。小職が10年ほど前に参画した旅行欲求に関する研究がその問いにひとつの答えを与えてくれる。この研究では海外旅行の経験が豊富なリピーターのデプスインタビューを行い、旅行欲求によるタイプ分けを試みた。なお欲求との関連付けと大本となる欲求体系についてはe-falcon社の知的財産である「欲求辞書」を用いた。
「欲求辞書」は図示したように内的世界・他との関わり、静的・動的、本能的・理性的の3軸で整理された27の欲求区分から構成されている。この内的世界・他との関わり、という軸に着目して対象者の欲求を整理したところ図のように大きく3つの類型が出てきた。先ず「やすらぎ」「情動(感動)」「自己世界(自分なりの理解や世界観への欲求)」「知的創造(知識への欲求)」など「内的世界(自分の中である程度完結する」」の側の欲求が強い類型が存在する。具体例を挙げるなら海外の世界遺産を訪ねまわることを主な動機としているようなタイプの旅行者である。実はこのタイプの旅行者が持つ旅行欲求はツアーパンフレットやガイドブックが刺激する欲求の範囲と重なっている。そこで研究ではこの類型を「紀行・観光」タイプと名付けた。
これとは逆に旅先での人との出会いや同行者との会話を楽しむといった「他との関わり」側の欲求が強いタイプの旅行者も存在することも分かった。こうした人々は旅行の下調べにはあまり関心がない。そこでこの類型は「旅は戯れ」タイプと名付けた。
最後に内的世界から他との関わりまで、幅の広い欲求を持って旅行するタイプの人々がいる。この人達は旅行に多様な意味や可能性を見出しているのが特徴だ。このタイプの人の旅行経験を聞くのはあたかもその人の人生観を聞くかのような印象があったので「旅は人生」タイプと名付けた。
海外旅行の大衆化とそれを可能にした旅行産業の仕組みは「紀行・観光」タイプという類型を作り出し、強化していったと考えられる。それは旅を契約に基づく商品として販売する上では避けられない道であったといえよう。旅行に行けば素敵な友達ができますよ、とは約束できないからだ。しかし海外旅行の場合は「旅行商品を買うこと≒旅行に行くこと」という固定観念が形成され、これが冒頭に述べたような「旅行」から「旅」の要素を奪い、「旅行」と「旅」とを似て非なるものに変えて行ったのではないかと考えられる。
次の50年は「旅」を取り戻す過程に
震災以降のマーケットでは海外旅行のもつ幅広い可能性、つまり「旅」の要素を人々が取り戻そうとしているように感じる。海外旅行を単なる消費としてではなく、学習や経験の機会、つまり「投資」として捉えなおす動きもみられる。「ひとり旅」が静かな広がりを見せつつあることなどが、そのひとつの表れではないかと考えている。
旅行は消費論や商品論の観点から多く論じられてきた。一方で旅は旅する主体の側の観点から論じられるべきものである。次の50年においては「旅の力」だけでなく「旅する力」が大きな論点となり、人々の旅行(=旅)の仕方を変えるものとなって行くのではないかと考えている。