観光経済新聞再掲 ~マーケットを読む・「観光振興と地域振興は車の両輪か」他
地域振興には「光」が、観光振興には「心」が求められているように思う。そのための特効薬は「交流」であり、訪問者との交流が拡大すれば、地域は活性化し、そこに暮らす人々の心に光を灯すことができる。それが成功した暁には観光振興と地域振興は同じ概念になっている気がしてならない。今シリーズでは、こうした観光・地域一体振興論について紹介したい。
山口 祥義
目次
観光振興と地域振興は車の両輪か(観光経済新聞2013年8月31日掲載)
「本物」が求められている。都市部では「ふるさと」を持たない人、「中山間地」に足を踏み入れたことがない人、「自然の中での営み」を体験したことがない人が増えている。私は2013年3月まで総務省過疎対策室長として、全国各地に足を運び、地域振興のお手伝いをしてきたが、地域では過疎化、少子高齢化が進捗し、現状では維持できない集落が増加し、外部から大学生などサポート人材が多く入っている状況にある。「交流」が、今ほど必要とされ求められている時はない。
遡ること約20年、私は1994年度から2年強、鳥取県観光物産課長であった。近畿圏からのアプローチが約1時間短縮された智頭急行開業効果などもあり、経年変化で見れば好調な時期であった。クチコミをねらった「美容師招致ツアー」や「空飛ぶ温泉便」などを活用したキャンペーンなど官民あげた宣伝に明け暮れていた。既存の観光商品を宣伝して販売することが観光振興だと広く考えられていた時代だった。
観光物産課長時代の経験で、忘れられない出来事が二つある。一つは、境港市「水木しげるロード」である。商店街の衰退という厳しい状況の中で、妖怪をモチーフとした銅像を設置した通りがオープンしたばかりであった。当初、これで観光客が呼べるのか半信半疑であったが、さまざまな媒体で紹介していくうちに徐々に訪れる人の輪が広がっていった。妖怪たちが魂を吹き込みにぎわいがもたらされた通りの姿は人の心に響き、それが反響を呼び、訪れたいという大きなモチベーションとなっていった。像が盗まれる騒ぎも大きくなり、地元では財政的に厳しいといった声が大きくなったが、情報発信と考えたら安いものだと話をしたのも今ではよい思い出と言えよう。
その後のイベントや関係者の努力も相まって、観光地として大きく成長したことは周知の通りである。順風満帆では決してなかったが、試行錯誤を繰り返し少しずつ前に進んでいったものである。この小さな成功体験の積み重ねは、地域振興の大きな成功要素である。そして、今思うに「着地型観光」原型モデルのようにも思えるのだ。
もう一つは、ある温泉地で温泉街を観光客が散策できるよう外湯を設置する企画があったのだが、旅館の反対で頓挫したことである。当時、バスで入ってくる団体客を旅館で囲い込み、出発前のお土産販売まで館内で完結できる仕掛けにいくつかの大型旅館が取り組んでいた。今思えば、インターネットの普及や職場環境の変化などで、観光を取り巻く状況も大きく変わろうとしていた潮目の時期であった。右肩上がりの時代をピラミッド型社会で駆け抜けていった日本が個の自立時代へと徐々に幕を開けていたのであった。
冒頭の現状に戻るが、地域振興には「光」が、観光振興には「心」が求められているように思う。次回以降でその意味を伝えたいが、そのための特効薬は「交流」であり、それが成功した暁には観光振興と地域振興は同じ概念になっている気がしてならない。今シリーズでは、こうした観光・地域一体振興論について紹介したい。
交流で地域振興に「光」を(観光経済新聞2013年9月7日掲載)
総務省の過疎地域集落対策調査では、集落単独での維持が最も困難になっているのは「地域文化の保存・継承活動」であった。都市部に移住することなく、一貫して集落の維持存続に尽力してきた世代が80歳代に入り、集落固有の祭りや伝統行事が消滅していくことへの危機感が強くなっている。
現在、いわゆる限界集落が増加しているが、廃校数も近年増加し、毎年400~500校の廃校が発生している。皆が通い、長年親しまれた学校は地域の中心にあり、思い入れが強いものだ。地域づくりの拠点として廃校の利活用に取り組み、新たな交流を生み出す事例も出ている。高知県津野町の宿泊施設「森の巣箱」や、島根県飯南町の石見神楽拠点施設「谷笑楽校」など、さまざまな用途で地域文化の保存や継承の一翼を担っていると言えよう。
集落の地域振興策には三つのポイントがあると考える。一つは、地域住民やNPOが主体的に取り組み、行政が触媒としてそれをサポートしていく仕掛けづくりだ。行政はさまざまな地域おこしのきっかけづくりを行うが、継続的な担い手となっては成功しない。
二つ目は、外部の力の活用である。昔なじみばかりのメンバーで話をしても、アイデアも踏み出す元気も出てこないことが多い。「地域おこし協力隊」は、地方公共団体が都市住民を3年受け入れ、さまざまな地域おこし活動や協力活動に従事してもらう制度で、平成24年度は207自治体で617人にのぼる。山形県村山市「農業ガールズ」、島根県邑南町「耕すシェフ」、長崎県対馬市「島デザイナー」など地域の文化や産業など各々の特性に応じた活躍を見せている。
さらに、約4割の自治体が「域学連携」に取り組んでいる。これは、大学生や教員に地域の現場に入ってもらい、地域の課題解決などに継続的に取り組んでもらう仕組みである。担い手不足に悩んでいる地域で、祭りや伝統行事の一翼を学生が担ってもらう事例も少なくない。
三つ目は、「心の過疎」の状態から「誇りの地域」へ気持ちを変えていくことである。地域には、自然、水、エネルギー、コミュニティなどに根差した伝統ある営みがある。高度経済成長期以降、道路舗装や生活環境改善など、快適さや利便性の追求といった都市型の生活をモデルにした施策が図られてきたが、地域は自らの地域を誇る気持ちが奪われると、自信を失い、外の人々を引付ける魅力まで失うことになってしまう。一方、都市部の若者など外部の声により、地域の魅力に気づき誇りを取り戻した例もよく聞くようになった。
子供たちが生まれ育った土地の自然や歴史、文化を深く理解し、誇りを持ち、そしてそれらを守り、継承する気持ちを育むような教育を行ってほしい。
地域振興には「光」が求められている。交流は地域振興の特効薬だ。外部からのサポート人材と交流し、さらに訪問者との交流が拡大すれば、地域は活性化し、そこに暮らす人々の心に光を灯すことができる。そのためにもともと地域が持っているさまざまな資源を磨き上げ光らせるのである。「観光振興」と重複して見えてくるものは多い。
暮しているような滞在を(観光経済新聞2013年9月14日掲載)
地域で都市部からの誘客を考え、交流を持とうとする場合、都市部で何が起きているのか、どんな現状にあるのかという考えに立脚することは、マーケティングの観点からも、真の交流を生む意味でも、意義深い。
今、都市部では何が起こっているのか。1960年代の急激な工業化に伴って、農村部から都市部へ大量の人口移動が発生した。その中心となっていたのが、いわゆる団塊の世代だ。団塊ジュニアは70年代に年間約200万人生まれ、子供の頃は盆正月に農村部にいる祖父母たちと野山や海で遊ぶ経験があった。時は流れ、現在は団塊ジュニアの子供の世代となり、ルーツである農村部との縁は薄くなり、中山間地に足を踏み入れたことのない若者が増えている。
都市部は「バーチャル」の宝庫だ。そこに住む若者たちは、懐深く時には猛威をふるう自然と付き合うことがなく、リアルな人との対話も減っている。気付かぬうちに都市部は「自然体験・コミュニティ欠乏症候群」に陥っているのではないか。
こうした環境の中、子どもたちに果たしてたくましく生きる力がついていくのか疑問だ。総務省、文部科学省、農林水産省の「子ども農山漁村交流プロジェクト」では、3泊以上の宿泊体験、自然体験を取り入れたプログラムを推進している。都市部では自然体験を売りにした塾も増えているようだ。年間単位では農村部への山村留学もある。こうした機会を通じて地域を経験した子供たちは、目を輝かし、大きく成長して帰路につく。前号で紹介した域学連携で地域活動をした学生は、地域を好きになり卒業後定住する人も増えている。定住までいかなくても旅行として再訪する機会もできる。
地域に出向き、交流を持ち、地域でなければできない体験をする。こうしたことが、本能を呼び起こし、大きな感動になる。裏返せば、そういう感動を生む地域づくりができているところに、多くの人が集うということであり、そのまま現在の観光動向にもあてはまる。着地型観光や滞在型観光がクローズアップされる背景がここにある。
現在の都市部では、老人の孤独死が社会問題化している。英国やイタリアでは、老後は農村部で過ごすことが理想である。地域で自然と語り合い、集会を楽しむのである。今後の高齢化社会の中で、若者定住に加え、高齢者を農村地域にいかに受け入れて新しいコミュニティを作っていくかが重要ポイントであろう。同時に、定住ではなくとも、物見遊山に終わることなく、「まるで本当に暮らしているような」滞在が可能であるということが、その地域の魅力の一つとなり、リピート率を上げることにもつながっていく。
人は、本物に出会った時に感動するものである。とりあえず観光客だけが飛びつき、喜ぶものがあればいいということではなく、住民自身の支持や誇りも得られるような、文化、技術、体験、交流などについて、しっかり掘り起しをし、磨き上げる「本物づくり」が必要なのだ。同時にその本物を求めて訪れる人たちをとりまく環境や気持ちを理解できるかが地域の将来を大きく左右しそうだ。
地域自らが資源を掘り起こす(観光経済新聞2013年9月21日掲載)
県庁や市役所の組織には、観光担当課と地域振興担当課は別に設けられている。観光担当課は、商工労働部門の一部であることが多く、業界活性や産業振興目的である。
個人旅行が大半となる現在、かつての団体旅行中心型の観光振興は壁にぶつかっている。経済が成熟した日本の旅行者の嗜好は多様化が進み、また趣味性も高くなり、個々のマーケットは小さくなっており、単なる物見遊山で「満足する」より、「感動」が求められている。こうした中、近年の観光は、着地型、体験型、交流型などに脚光が当たっている。感動が得られる観光地になるには、地域そのものが活性化し、その地域の住民自体が輝かないと魅力があるとは言えない。そのための戦略は、まさに地域振興の手法と同じである。
地域振興では、限界集落に見られるように、地域の担い手そのものが減少していることが問題である。一部の地域は都市部からのIターンや交流によって、徐々に元気を取り戻している地域が増えているが、地域振興には、地域と都市部との人と人のつながりが重要である。これは、まさに「よそ者」が観光振興に取り組むことと同じ意味であると言えるのではないだろうか。
国の動きを見ると、観光庁は地域資源の観光活用に本腰を入れ、一方で、総務省地域力創造グループは地域おこし協力隊や域学連携などさまざまな交流事業に取り組んでいる。交流事業は観光のものだけではなく、農林水産省や経済産業省なども含め、より一層の連携が求められる。地方公共団体でも、今後さらに地域振興と観光の一体化や連携を図る必要がある。
高度経済成長期のような国主導の一律の地域振興の時代は終わった。地域が自らの力で資源を掘り起こし、磨き、連携し、交流していく時代になってきた。国は、自ら輝こうと頑張る地域をしっかりサポートすることが主要な役割となってきた。そして地域で輝く人材を育てていくことが重要となっている。さまざまな交付金事業も、すべての地域平等に、ではなく、自立して積極的に事業に取り組む地域を重点支援する政策が増えている。
これまで近年の農村地域と都市部の状況を通じ、感動を呼ぶ「滞在」や「交流」が両者にとって需要な意味を持ち、その必要性はさらに増すと述べてきた。「選ばれる観光地」となる上で、流行に安易にのったものとは違う、「本物の価値」を見出し、磨き上げ、時に新しく創造できるかが大きなポイントである。そして住民が誇りに思える地域づくりを行うことが選ばれる観光地へのパスポートとなるのではないだろうか。