国連世界防災会議と観光危機管理

観光が経済を牽引する産業といっても過言ではない中、災害や危機によって、地域を訪れる観光客が長期にわたり大幅に減少すれば、観光依存度の高い地域の経済は致命的な打撃を受けてしまう。どのように災害や危機の被害から観光客と観光産業を守り、危機後の回復を迅速かつ確実に行えるよう準備するべきなのか、国連防災会議と観光危機管理について述べていく。

髙松 正人

髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表

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第3回国連防災世界会議が来月3月14日(土)から18日(水)まで仙台で開催される。国連防災世界会議は、10年に一回開催される国際的な防災戦略について議論する国連主催会議である。今回の会議ではじめてツーリズムをテーマにしたセッションが持たれる。

国際交流人口が拡大し、観光が経済を牽引する産業といっても過言ではない中、災害や危機によって、地域を訪れる観光客が長期にわたり大幅に減少すれば、観光依存度の高い地域の経済はたちまち致命的な打撃を受けてしまう。
本コラムでは、どのように災害や危機の被害から観光客と観光産業を守り、危機後の回復を迅速かつ確実に行えるよう準備するべきなのか、国連防災会議と観光危機管理について述べていく。

経済における観光の役割と災害・危機

UNWTO(世界観光機関)の最新の発表によると、2014年に世界の国境を越えた旅行者数は、前年から約5千万人(4.7%)増加して11億3,800万人となった。国際観光客の増加率は、5年連続で世界のGDP成長率を上回っている。すなわち、観光が世界の経済成長をけん引する産業となっているということである。

(出典:UNWTO Tourism Barometer 2014.12)

今や観光は国・地域の経済に大きく影響し、島嶼国家の中には、国のGDPの3分の1以上を観光が稼ぎ出している国もあるなど、社会・経済の観光への依存度は、これまで以上に高まっている。昨今「雇用なき成長」といわれるように、製造業などの産業では、機械化・合理化による生産性向上により企業は成長しても、雇用は増えないという状況が見られるようになっている。これに対して、主に人的サービスが付加価値を生み出す観光分野は、成長に伴い雇用をも創出するという点で、地域社会への貢献が大きく期待されている。

もし災害や危機によって、地域を訪れる観光客が長期にわたり大幅に減少すれば、観光依存度の高い地域の経済はたちまち致命的な影響を受ける。災害や危機の被害から観光客と観光産業を守り、危機の影響からの回復を迅速かつ確実に行えるよう準備しておくことは、観光分野のみならず、国・地域の社会・経済全体を守ることにつながるのである。

防災・危機管理から見た観光

観光はさまざまな危機・災害による影響を受けやすいという特性を持っている。観光施設は、風光明媚なビーチや断崖上、湖や川沿い、離島、山間部等に設置されているものが多いが、これらの立地はもともと自然災害の影響を受けやすい場所である。テロや凶悪犯罪、航空や船舶の事故、油や有害物質による海水面やビーチの汚染など、人為的な原因で発生する危機やエボラ出血熱など新たな感染症も、観光客の大幅な減少につながる。

災害や危機による実際の被害や影響は限定的であるにもかかわらず、センセーショナルな報道や誇張された情報のために、その観光地は危機によるリスクがあるという事実に反したイメージや認知=「風評」が広がり、観光客が減少することがある。風評による影響が、実際の災害や危機による直接的な被害を上回ることは、観光危機の特徴のひとつである。米国同時多発テロ、SARS、新型インフルエンザ、最近では、御嶽山噴火などによる観光客・旅行者の大幅な減少は、風評の影響によるところが大きい。

世界がめざす観光危機管理の方向性

国連防災戦略事務局(UNISDR)は、従来、各国政府や自治体の自然災害に対する取組の促進を中心に活動してきたが、近年は、防災における民間事業者の役割や官民連携を重要視してきている。なかでも観光分野における減災・危機対応は、UNISDRの新たな活動分野として注目されている。

UNISDRが観光分野における防災の促進のために提言していることは、1)観光の主要課題として観光産業や観光行政自体が減災・防災に取り組むことを促進することと、2)観光分野が国・地域の防災行政との連携を強め、【減災>危機対応>回復】という防災・危機管理計画や実施体制の中に、観光をしっかりと位置づけることである。いずれも災害時の観光客の安全確保や、危機後の観光産業の早期回復を可能にする仕組みが強化されれば、その影響は観光以外の分野に及び、地域社会・経済全体の持続的な発展に寄与するという考えにもとづくものである。

UNISDRの観光分野での取り組みのひとつに、ホテル防災評価プログラムの開発がある。ホテルの立地、設備、災害への対応体制など防災レベルを総合的に評価し、その評価結果(格付け)を利用者に公表することで、ホテルの防災への取り組みを促進するとともに、利用客に安心感を提供しようという試みである。現在、フィリピンとインドネシアでパイロットプログラムが進められている。

こうした国連の動きを背景に、3月に仙台で開催される第3回国連世界防災会議では、「観光セッション」(3月16日 12:00~13:30)が初めて設けられることとなった。セッションには、「防災大国」として有名なキューバの観光省防災部長、2009年にM8の地震と大津波で大きな被害を受けたサモアの災害対策室次長、UNWTOの観光危機管理オフィサー、ル・メリディアン・ホテルのリスク管理部長など、世界の観光危機管理の専門家・実務者の登壇が予定されており、世界の観光危機管理の進むべき方向や最先端の取組みなどを学ぶには絶好の機会となるだろう。ちなみに私(高松)もこのセッションの講演者として登壇することになっている。

日本における観光危機管理の取組

日本において、「観光危機管理」という言葉はまだ耳新しいく、観光関連事業者の防災・危機管理に対する取り組みは、事業者間でのばらつきが大きい。航空や鉄道などの規模の大きい交通事業者は、安全のための設備投資を積極的に行い、事故やさまざまな危機・災害への対応をマニュアル化し、定期的な訓練を行っているが、中小企業の多いバスやタクシー業界では、安全に対する投資やマニュアル整備、従業員の防災・危機管理訓練などに十分に手が回らない事業者もある。

宿泊施設での被災者、帰宅困難者の受け入れ ホテルメトロポリタン(池袋)


宿泊施設でも取り組みのばらつきは大きい。グローバルホテルチェーンのように、世界共通の危機管理マニュアルを整え、危機管理の専任担当者を置き、従業員を教育・訓練しているホテルがある一方で、小規模宿泊施設の多くは、行政の指導で作成する防火・防災計画と年2回の防火・避難訓練の実施がやっとという状況にある。
「安全第一」の考え方のもとに、従来から災害や危機に対する取組を積極的に行ってきている事業者も少なくない。それらの取組が成果となって表れたのは、東日本大震災時であった。

JR東日本は、中越地震での新幹線脱線事故を教訓に、全路線で地震に対する安全対策を強化した結果、東日本大震災における走行中の新幹線の脱線や乗客の死傷はゼロであった。海岸線を走る路線では複数の列車が津波で流されたが、それらの列車のすべての乗客は乗務員の適切な判断と誘導で津波の被害を免れている。

宿泊施設での被災者、帰宅困難者の受け入れ 南三陸ホテル観洋(宮城県南三陸町)


ホテルや旅館では、利用客の安全を確保し避難場所等への誘導を行っただけでなく、津波から避難してきた住民や帰宅困難になった一般の人々を館内に招き入れ、屋外の寒さから逃れることのできる避難場所を提供した。宿泊施設等の観光関係者が震災時に取った行動は、必ずしもすべて防災計画や避難マニュアルに記載されていたものではなかった。一人ひとりのスタッフが、お客様の安全を最優先に、マニュアルにないことでも、その場でできうる最適な対応を考え実行した。おもてなしで最優先すべきことは、お客様の「安全」を図ること、という行動規範が徹底されたのだろう。

民間事業者に比べると、わが国における行政の観光危機管理の対応は、ようやく緒に就いたばかりと言わざるを得ない。いまや全国のあらゆる自治体で観光を推進し、観光客誘致に取り組んでいるといっても過言ではないが、観光客を公的な防災計画の対象として明文化している自治体は、まだ少ないというのが実態だ。

従来防災を担当する部署と観光担当部署とが対話をする機会が少なく距離があったことが、二つの部署の接点となる「観光危機管理」という取組が進んでこなかった要因のひとつではないだろうか。あるいは、その必要性は感じつつも、行政機関の中で観光客や観光産業の防災・危機管理を管轄する部署は、防災か観光かが整理されず、どちらの部署も積極的に手を付けないままになっていたのでは、と思うような事例も少なからず耳にする。

もう一つの要因は、防災に係わる法的な問題だ。日本では、災害対策基本法にもとづき、国の防災基本計画、都道府県・市町村の地域防災計画が策定され、全国津々浦々まで防災や災害対応の仕組みが整っている。同法の第一条(目的)には、「この法律は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する…」と書かれており、それに基づく自治体の防災計画は住民を主な対象として作られている。裏返して言うと、災害対策基本法では、観光客や旅行者を防災の対象として規定していないのである。そうしたなかで、地域防災計画で観光客や旅行者も「県民」に含めると明確に定義している千葉県や、県地域防災計画の中に観光客対策の条項を独立させて規定している沖縄県は、観光客の防災意識が進んでいる自治体である。

そうは言っても、観光危機管理に向けた行政の取り組みは、少しずつではあるが着実に動き出している。その先頭を走っているのは、沖縄県である。震災直後から、観光危機管理モデル事業を立ち上げ、観光客の危機管理に関するさまざまな取組を実施し、現在は、全国の自治体で初めての「観光危機管理基本計画」の策定を進めている。(この計画の詳細については、次々回のコラムで紹介予定)

沖縄県以外でも、青森県、静岡県などで同様の事業が実施されている。東京都は「外国人旅行者の安全確保のための災害時初動対応マニュアル」を取りまとめ、宿泊施設・観光関連事業者を対象としたセミナー等を開催し、災害時の外国人旅行者対応の普及啓発を行っている。

国レベルでも、観光庁は「訪日外国人旅行者の安全確保のための手引き」を作成し、全国の自治体で地域防災計画に訪日外国人観光客対応を記載することを促進している。国土交通省の「港湾の津波避難対策に関するガイドライン」には、旅客船や釣り客など、観光客への対応が盛り込まれた。

観光立国推進基本法第二十二条には「国は、観光旅行の安全の確保を図るため、国内外の観光地における事故、災害等の発生の状況に関する情報の提供、観光旅行における事故の発生の防止等に必要な施策を講ずるものとする。」と規定されている。これを根拠法として、観光客及び観光産業の防災・危機管理の充実に向けた動きが、国、都道府県、市町村それぞれのレベルで進むことを大いに期待する。

次回は、沖縄県における観光危機管理の取組を紹介する。