戦後70年を経て今変えるべきもの~人口構造の変化とユニバーサルな社会への変革
生活者のライフスタイルを考える上で、各国の長い歴史のなかに根付いている慣習や法制度、価値観などによる違いはあるものの、一貫した大きな潮流がある。少子高齢化や人口減少がそれだ。今なぜ多様化と言われているのか、戦後70年というこの節目に、人口オーナス対策としての「ユニバーサル」もしくは「ダイバーシティ」ということを述べてみたい。
若原 圭子 主席研究員
目次
これまでの業務の中で、生活者のライフスタイルや価値観、消費の動きを、一貫してみてきた。社会背景や政治、経済、技術革新と歴史の中での関係性を長期波動の中でみると、技術革新と戦争、経済の影響が大きいと考えていた。
これまで60年周期説などの長期波動(景気循環)における経済停滞を一転させるものとして戦争があったが、現在では先進国が国際秩序の中で世界大戦のような戦争を始めることはあまり考えられずこれまでの長期周期説の説得力はなくなる。その一方で、第二次世界大戦後70年の経済成長と消費の成熟化の中で、先進国が辿る道というものが見えている。
生活者のライフスタイルを考える上で、各国の長い歴史のなかに根付いている慣習や法制度、価値観などによる違いはあるものの、一貫した大きな潮流がある。少子高齢化や人口減少がそれだ。技術革新と平和がもたらした経済成長は国民の所得を向上させ、消費が成熟する。所得が上がり、消費が成熟し、物質的充足ができてくると、モノからコトへ欲求は変わる。そして、出生率が低下する一方で高齢者の寿命が延びることで少子高齢化が進む。こうして人口減少社会となり、年金や高齢者医療などの仕組が成り立たなくなり財政逼迫に陥る。時間のずれはあるものの、これは多くの国が同じ道をたどるのではないか。では、これからどのようにして、今の生活を守り、人々は「幸せな=満足して将来に期待が持てる」生活が送れるのだろう。
これからのライフスタイルや消費を考える上で、「人口オーナス」という考えを知った。ご存知の方には当然のことかと思うが、私はこれが非常に腹に落ちた。そして今なぜ多様化と言われているのか、その必要性も自分として納得ができた。
戦後70年というこの節目に、人口オーナス対策としての「ユニバーサル」もしくは「ダイバーシティ」ということを述べてみたい。
1 人口ボーナスとオーナス
戦後70年の間で日本の人口は約1.7倍に増えたが、世界の人口は約3倍になった。第二次世界大戦前までは10億人増えるのに1世紀かかったが、20世紀に入ると12年毎に10億人増えきた。これは経済発展と医療技術の進歩が背景だ。一方、経済の発展に伴い出生率が低下し、先進各国は徐々に人口減少に転じていった。
日本では、2011年から人口減少社会になった。総人口の減少が問題視されているが、総パイが減少するということ以上に構成比の問題が大きい。たとえば2060年の日本の総人口は9,000万人を割り込むがこれは1960年頃の総人口とほぼ同じだ。1960年当時問題がなかったことが、なぜ今問題となるのか。生産年齢人口の比率や高齢者の比率といった人口構造が問題なのだ 。
ここで人口ボーナスとオーナスという考え方について述べてみたい。
「人口オーナス(負荷)」とは、人口に占める生産年齢人口の割合が低下していく状況で、対局が「人口ボーナス」である。日本の高度経済成長期はこの「人口ボーナス」の時期であった。「人口オーナス」の程度は、従属人口指数((年少人口+老年人口)/生産年齢人口)でみるのだが、従属人口指数が高いほうが人口オーナスの度合いが高い。国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計によって、従属人口指数をみると、1950年から70年位かけて低下した後、90年以降は上昇に転じ、今後さらに上昇する。
このように人口ボーナス期には人口が増加し、生産年齢人口が多く経済発展をする。その際には画一的なビジネスモデル、画一的な働き方での成長ができるが、経済成長をし、所得水準があがり、一定の消費の成熟化をすると、少子化が進む。これは世界の先進国で起きている現象であり、今後アジアなどでも進んでいくことである。
日本はこの人口オーナスの度合いが国際的にみて際立って大きい。高齢化のスピードが速く、レベルも高いからであり、日本は人口オーナスの超先進国だという。人口ボーナスは一度しか訪れず、日本はオーナスが進むばかりである。詳しくは小峰隆夫氏の「人口負荷社会」「日本経済に明日はあるか」*1に詳述されているが、現在日本はオーナス期にあり、これまでの生き方、働き方では、経済は減退し、現在の生活レベルを維持できなくなる状況に至る。小峰氏は人口オーナスのもたらす課題として、労働人口の減少による経済成長の制約、貯蓄率の低下、年金・医療・介護などの社会保障制度の行き詰まり、地域の疲弊、シルバー民主主義の5つをあげている。
また、世代間、世帯間で、所得格差、教育格差などが拡大しており、どの年齢層でも二極化が進んでいる。出生率の問題だけでなく、非正規雇用の若者などを中心に婚姻率は低下し、晩婚化と未婚率の上昇の一因となり、さらに少子化が進むということが起きている。
以上のように、戦後70年で変わったことで将来に大きく影響を与えるのは、人口構造の変化であり、その背景には少子高齢化、経済成長、消費の成熟化、ライフスタイルの多様化がある。現在起きている現象の根幹にあるのが、この人口構造の問題だったのである。そしてこのままでは経済成長率の低下、医療費財政の逼迫、地方の疲弊、そして格差(二極化)の拡大が進んでいくことになる。
2 社会の仕組の変換の必要性
今後サスティナブルな社会であり続けるには、人口オーナスの度合いを減らすことが必要だ。そのためには、労働力人口を増やす必要があり、少子化対策が急がれるところである。そのためには晩婚化、未婚化にも対策を打たなければならない。2014年の人口動態統計によると、出生率は9年ぶりに低下し、晩婚・晩産化がなお進んでいる実態が明らかになった。日本は欧米と違い、未婚のまま子供を産む女性は少なく、このままでは、より一層の人口オーナスの度合いが進む。世代間格差、経済格差(世帯間の格差)、そして今の社会システムが続く限り、働く女性、若者は将来や子育てに希望を持てず、晩婚化、少子化を抑止するのは難しい。
ではどのようにすればいいのだろう。生産年齢人口を増やすには、これまで以上に女性や高齢者の雇用を進めること、外国人や障がい者の雇用についても、より一層拡大する必要がある。その結果納税者は増加し、各人の生きがいや社会参加意識も高まるであろう。生産年齢人口の増加だけでなく、「生産性をあげて効率良く」働く必要があり、そのためには、ダイバーシティの仕組みやワークライフバランスを考慮する必要がある。一人の個人がモーレツに働くのではなく、より効率的な働き方を多くの人と分け合って行うという方法が必要になる。それを支えるのがICTであり、IoTであろうと考える。
こうしたときに、これからの社会に必要なことは、これまでの人口増加時代に都合のよかった社会システムを大きく転換させることである。画一的な労働者が効率的に同じことをすることで生産性をあげていたビジネスモデルは、消費の成熟した人口減少社会では成り立たない。必要なのは、多様性へ対応し、他社や他の商品・サービスとの差別化のためにいかに付加価値を付けられるか、である。
また、少子化を抑止すること、婚姻率をあげることを検討しなければいけない。さらには、シングルマザーや未婚子や同性カップルの子供を認める社会になる必要もあるだろう。生活の主役に多くのマイノリティーが参加することが必要になる。
このようなことはきれいごとにすぎず、実際には皆、日々生きていくのに精いっぱいで、現実には無理、という声が聞こえてきそうだ。しかし、何かをきっかけに、誰もが意識を変えなければいけない時期にきているのではないか。
3 障害者差別解消法の意義と期待
日本では2016年4月より「障害者差別解消法」が施行され、障がいを理由として、正当な理由なく、サービスの提供を拒否したり、制限したり、条件を付けたりするような行為は、不当な差別的取扱いとして禁止される。この法律の目的は、障がいの有無によらず、誰も分け隔てられず、お互いを尊重して、暮らし、勉強し、働くことができるように差別を解消し、誰もが安心して暮らせる豊かな共生社会の実現にある。2006年に国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」に、日本は2014年に批准書を国連に寄託し、世界で140番目の締結国となった。そしてこの条約の批准に向けた国内法整備の一環として、2013年6月に「障害者差別解消法」が国会で成立した。ようやく世界基準のスタートラインに立つ状況である。これまでの健常者中心、人数が多いものを是とする文化や社会システムからグローバルスタンダードへ大きく価値観や前提を変える必要がある。
2020年のオリンピック・パラリンピックにむけて、様々なインフラが整備されていくなかで、障害者差別解消法は、社会システムに対する人々の意識をも大きく変えるトリガーとなることが期待されている。
画一的な、健常者だけが猛烈に働く、たとえば一家の大黒柱が他を顧みず外で働き、妻が家庭を守るといった構図ではなく、だれもが家庭や地域社会に向き合いながら、あらゆる人が社会に出て働き、税金を納めるという時代にならなければ、人口オーナスの度合いは改善されない。そのままでは、人々の暮らしにマイナスしかない時代に突入してしまうのである。
ワークライフバランスの必要性が叫ばれて何年も経過するが、誰もが効率的に働き、子供やお年寄りのいる家庭や地域を温かく見守れるようにならない限り、家庭を持ちたいと思い、子供を産もう、育てようと思える社会にはならない。
これから必要なのは、ユニバーサルな社会であり、それが世界標準であることを忘れてはならない。
欧米など先進国ではすでに進められていることであり、例えば米国においては、この「障害者差別解消法」にあたる法律「ADA法(障がいを持つアメリカ人法」が25年も前の1990年に制定されている。法制定後20年以上経過した米国では、車イスなどハンディキャップを持った人を分け隔てなく見る環境が市民のなかで定着している。舞台や映画などでは多様な人種だけでなく、車いすの登場人物が、ほぼいるのをご存じだろうか。日本で「かわいそうな人と思われる、もしくは邪魔と思われる」と肩身の狭い思いをしていた障がいを持った人が、米国で皆と同様に見てもらえて、大変嬉しく思ったという話をよく聞く。米国の場合はこの法律の背景には数多くの戦争から帰国した傷兵のための国策というものがあったのだというが、そのような事情もなく、人種もほぼ画一的な日本で、マイノリティが多くの生活者に認識、理解され、受け入れられるまでには多くの年月を要するだろう。
しかし、2020年のオリンピック・パラリンピックにむけて、人種、障がい、宗教、嗜好などあらゆるものにおいて差別をしない世の中が求められている。キーワードは「共生」である。
この動きが、人口オーナスに対抗する社会システムの変化のための意識改革のトリガーになり、ひいては、地域における経済効果を期待される訪日外国人を含む他地域からの訪問者への「優しさ」や「魅力」につながるだろうと考える。
*1 小峰隆夫『人口負荷社会」日本経済新聞社、
小峰隆夫「日本経済に明日はあるのか」日本評論社