WEF(世界経済フォーラム)旅行・観光競争力レポート2015の概要
世界経済フォーラム「旅行・観光競争力レポート2015」では、日本が前回(2013年)の14位から9位にランクアップしたことが話題となったが、このランクアップにはどのような意味があるのだろうか?さらに日本の競合国は、今回どのように評価されているのだろうか?このような疑問を持ちながら、競争力レポートの内容を深堀してみた。
髙松 正人 客員研究員
観光レジリエンス研究所 代表
目次
1.「旅行・観光の競争力」が示すもの
そもそも、この競争力ランキングとは、何を表すものなのだろうか?このランクが高い国が、外国人観光客が多いとか、観光への経済波及が大きいということではなさそうだ。今回のランクは6位に落ちたが、これまで3回連続トップの座にいたスイスへの外国人訪問者数は920万人で、第3位のフランスの約9分の1である。7位のオーストラリアへの入国者数は690万人で、同じアジア・太平洋地域で25位にランクされているマレーシアの約4分の1である。
各国の競争力の評価点と入国者数との相関係数は0.6で、ある程度の相関はあるものの、強い相関があるとは言い難い。観光消費額との相関もほぼ同様である。
このレポートでは、「旅行・観光の競争力ランキング」を「旅行・観光分野の持続的な発展を促進し、それによって国全体の発展や競争力強化に資する、要因や政策の組み合わせを総合的かつ戦略的に評価する指標とする」定義している。つまり、現在どれだけ観光客を誘致できているとか、観光消費を引き出しているか、という「発揮された」競争力ではなく、今後の旅行・観光分野の継続的な発展や、それによる国全体の経済や社会への貢献の可能性を、その国の持つ観光魅力や観光客の受入体制、観光に関わる政策や制度という視点から見た「観光成長可能性」を表す指標なのだ。
2.ランキング上位国
この競争力ランキングは、評価算出基準となる4領域14項目93指標に基づき、オープンデータや各種調査により算出している。前述の意味を踏まえて、今回のランキング上位国を見てみたい。
(1)世界のランキング上位国
今回初めてスペインがランキング1位になった。総合評価点5.31は、2位のフランスの5.24との差が大きい。世界的に有名な建築物や芸術作品、多くの世界遺産、昼も夜も楽しめる都市、観光に高い優先度を置いた政策などが高く評価された。フランス、米国に次ぐ世界3位の入国者数(6,500万人)を誇っている。
2位のフランスは、世界で最も入国者数が多い(8,370万人)国で、自然・文化いずれの観光魅力も豊かである。環境への取り組みの評価が高く、空陸の交通インフラも整っている。
スイスは6位に後退したとはいえ、観光の事業環境や人的資源など、多くの評価項目でトップ10に入っているが、価格競争力と文化資源の2項目が総合評価を下げる結果となった。
イタリアは、前回の26位から8位へと大躍進した。世界遺産の数は世界一であり、文化だけでなく自然の観光魅力も豊富だ。サービス施設の評価も高く、すでに世界5位の観光客数(4,860万人)だが、観光事業環境や海外直接投資に対する規制などが改善されれば、さらに伸びる余地は十分にある。
(2)アジア・太平洋地域のランキング上位国
アジア・太平洋地域のトップは、世界第7位にランクされたオーストラリアで、9位に日本、11位にシンガポール、13位に香港、16位にニュージーランド、17位に中国と続く。世界のトップ20にアジア・太平洋地域から6か国が入った。この地域における観光の成長の可能性が、ランキングにも表れている。
オーストラリア(7位)の最大の強みは、世界で2位にランクされる自然観光資源である。航空と観光施設インフラも整っており、観光の安全・安心や環境持続性に関しても高い評価を得ている。一方、広大な国土ゆえ、地上交通インフラの整備が弱み。物価が高く、価格競争力が低いことも課題。
シンガポール(11位)は、ビジネス環境、国際的な開放度で世界のトップにランクされ、地上交通・港湾インフラ(2位)、人的資源と労働市場(3位)、旅行・観光の優先度(4位)をはじめ、14の評価項目のうち8項目でトップ10に入っている。都市国家ゆえの観光資源の乏しさと、価格競争力が総合評価を下げている。
香港(13位)の都市としての評価は、シンガポール同様に高い。地上交通・港湾インフラは1位にランクされているほか、ビジネス環境、ICT活用、航空インフラ、人的資源と労働市場の各項目でトップ10入りしている。
3.日本のランキングと評価内容
日本は、今回のレポートで世界9位にランクされた。2013年は14位、2011年は22位、2009年は25位と、2年に1回のレポートの度にランクアップしてきている。
では、日本のどのような点が高く評価されているのか、以下の評価領域・評価項目別のスコアと順位を見てみよう。
(1)ビジネス環境(27位)
企業活動がしやすい政策や環境に関する評価。ビジネス環境の良さと、経済成長の間に高い相関性が見られる。
- 高評価:財産権の保護、紛争解決の効率性、市場の独占性の低さ
- 低評価:建築許可の所要日数、法人所得税率をはじめとする税率の高さ
(2)安全・安心(22位)
安全・安心は、国の観光競争力を左右する決定的な要素となる。多くの旅行者は、安全・安心度が低い国に敢えて行こうとしない。
- 高評価:テロの発生度、殺人発生率、警察の信頼度
(3)健康・衛生(13位)
健康・衛生も観光競争力の重要な要素である。飲み水や食の安全性や万一旅行中に病気やけがをしたときの対応などが含まれる。
- 高評価:衛生的なトイレ、飲料水、病床数
(4)人的資源と労働市場(15位)
質の高い人的資源を旅行・観光産業に提供するための人財育成や、個人の能力やスキルに応じた職業への就業を確実にするための仕組みを評価。
- 高評価:初等・中等教育への就学率、人材育成への投資、企業の顧客対応、生産性に応じた報酬の仕組み
- 低評価:採用・解雇の柔軟性、外国人雇用の容易さ、女性労働力の参画
(5)ICT活用(9位)
今日、ICTは旅行・観光ビジネスに不可欠になっている。ICTインフラの整備状況のみならず、ICTの活用度についても評価する。
- 高評価:BtoB、BtoCのICTを利用した電子取引、高速接続のモバイル端末の普及度、モバイルネットワークの普及度
(6)旅行・観光の優先度(20位)
政府の政策における旅行・観光の優先度。観光分野への投資を促進する政策なども評価の対象とする。
- 高評価:国のブランド戦略、最新観光統計の公表、総合的な観光統計
(7)国際的な開放度(16位)
国が世界に開かれていることは、国際観光の必要条件。評価項目には、二国間の航空協定や地域内での自由貿易協定の数なども含まれる。
- 高評価:二国間航空協定の開放度
- 低評価:入国ビザが必要な国・地域の数
(8)価格競争力(119位)
旅行費用が安く上がる国には、多くの旅行者が訪れるとともに、観光分野への投資も促進しやすい。空港利用料・着陸料等も評価指標に含まれる。
- 低評価:空港利用料、物価、燃油価格
(9)環境持続可能性(53位)
将来にわたって魅力的なデスティネーションであり続けるためには、環境を維持することが必要。環境に関わる規制やその適用、水、森林、海洋資源の保護の現状なども評価する。
- 高評価:環境規制の厳格さ、規制の適用、環境関連条約批准数
- 低評価:絶滅危惧種の割合、P.M.2.5濃度
(10)航空インフラ(19位)
航空は国際観光促進になくてはならないものであるが、航空輸送量とともに航空インフラの質についても評価する。
- 高評価:国内線・国際線輸送量、運航航空会社数、航空インフラの質
- 低評価:人口当たりの空港数
(11)地上交通・港湾インフラ(17位)
道路、鉄道などの地上交通、港湾の質及び交通インフラ整備状況を評価する。
- 高評価:鉄道・道路の質、地上交通網の整備、鉄道網の密度
(12)観光施設インフラ(75位)
質の高い宿泊施設、観光施設等の整備状況を評価する。
- 低評価:初訪日のビジネス客への延泊と観光の勧め
(13)自然観光資源(30位)
自然観光資源の量的評価に、インターネット上での自然観光に関する検索数を加えた。
- 高評価:世界自然遺産数
- 低評価:国土面積に占める自然保護区の割合
(14)文化観光資源・業務旅行(6位)
従来の世界文化遺産の評価に、口承・無形文化遺産、大型スポーツ施設数、インターネット上での文化観光検索数を追加。
- 高評価:口承・無形文化遺産数、大型スポーツ施設数、文化観光・エンターテインメントに関する検索数、国際組織開催の会議数、世界文化遺産数
4.観光競争力レポートから見えてくる観光立国日本の強みと課題
(1)日本の強み
- 観光資源の豊かさが、日本の観光の最大の強みである。口承・無形文化遺産が評価項目に加えられたこともプラスとなり、文化観光資源で世界6位にランクされた。アジアで日本を上回るのは中国だけである。自然観光資源の順位は30位と中国、タイ、インド、インドネシア等の後塵を拝しているものの、四季の美しさ等、日本独自の価値が評価指標に含まれていないことを考慮すれば、日本の自然資源の競争力はかなり高いといえよう。
- 日本の観光事業促進のための環境整備も強みと言える。主要観光地における無料Wi-Fiの整備など、観光のICTインフラは急速に整いつつあり、また、安全・安心、健康・衛生といった、不安なく観光を楽しめる環境は世界のトップレベルである。最近、観光に影響を与える災害が多いことを考えると、これに観光客の危機管理の体制が整えば、さらに強みを増すだろう。また、日本の観光関連スタッフの顧客対応(おもてなし)は名実ともに世界の頂点にあり、日本の魅力でもある。さらに磨きをかけていく必要がある。
- 観光政策では、観光立国推進基本計画にもとづき、省庁横断の観光振興の体制が整ってきた。これをさらに推し進め、官民連携による国を挙げた推進体制を強固にすることが期待される。国際的な開放度の評価も、アジアではシンガポールに次いで高い。
(2)日本の課題
- 事業促進環境の中では、建築確認を含む許認可手続きに時間がかかることや、事業者に対する税率が高いことが課題として浮かび上がった。また、採用・解雇における柔軟性や外国人雇用の煩雑さなど、国民の雇用を前提としてきたこれまでの労働政策と、急速な観光分野の国際化に伴うグローバル人財のニーズとの間のバランスを見直す時期に来ている。
- 外国人観光客に対するビザ手続きの簡素化は、政府が精力的に進めているものの、世界との比較の中では、2013年の93位から111位へとランクダウンした。世界の各国でビザ免除や到着ビザ、電子ビザ等の導入が進み、ASEAN共通ビザも検討されていることから、一層の進展が望まれる。
- 価格競争力は先進国の共通の課題であるが、日本はこの数年の円安により外国人観光客から見た価格レベルは少し下がった。価格競争力評価指標には、航空会社の支払う空港利用料も含まれる。空港利用料の軽減は、航空路線の拡充、ひいては国際観光に大きく影響する。一方で、宿泊料金等の極端な値下げは観光の経済効果を損なうことになるため、事業の持続的運営の視点で価格政策を行う必要がある。
5.政府の取り組みと「旅行・観光競争力」
先日、国は「観光立国実現に向けたアクション・プログラム2015」を発表した。その内容は、2020年2,000万人の目標の確実な達成と、外国人による旅行消費額4兆円の実現に向けた、マーケティング(コンテンツ開発とプロモーション)が中心である。このレポートで評価された日本の強みをより強くするという点に重点が置かれ、上に指摘された弱みへの対応は比較的ウェイトが低い印象を持った。
もちろん2020年に向けたアクション・プログラムであることを考えれば、強みをより強くするというのは理に適っているが、2020年以降を見据えた持続的な競争力の向上のためには、建築の許認可や雇用の柔軟性、ビザ手続きの一層の簡素化など、政策・制度面での取り組みも併せて進める必要があるだろう。観光関係の省庁と民間が中心に進められるマーケティング施策などと異なり、さまざまな省庁や関係機関との調整が求められる政策・制度面の取り組みは時間がかかるが、UNWTOやWTTC等の国際機関のリードに呼応して世界の国々が本腰を入れてきている中、観光立国実現をめざす日本としては、正面から取り組むべきであると考える。