誰もがわくわくする旅へ: 最先端技術を活用したパーソナルモビリティが実現する旅の魅力の拡大

高齢者、障がい者の行動範囲を広げるためのインフラ環境整備が全国で始まりつつある。介護される人も介護する人も、誰もが抱くわくわくしたい心を、当たり前に満たすことができる環境が本来の目指すべき姿なのだろう。最先端の技術を活用したパーソナルモビリティのWHILL社の協力を得て、いかに旅の魅力を拡大し、感性に訴求することができるか検証をした。

立花 一成

立花 一成 主任研究員

伴流 高志

伴流 高志

関 裕之

関 裕之 株式会社ジェイティービー 旅行事業本部マネージャー

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目次

1.介護人口の増加や、心を満たす体験を求める声の強まり

現在、日本の高齢者、および肢体不自由者数は2013年度の想定人口で約3,269万人である。また、寿命の延びに比べ、介護なしに暮らせる期間である健康寿命の延びは鈍く、何らかのサポートが必要となる高齢者の数は今後も増加が予想される。加えて、これからのシニアの中心となる団塊以降の人々は、若い頃から豊かさを享受し、様々な体験を楽しんできた世代だ。たとえ介護が必要になったとしても、若い頃と同じようにわくわくし、心を満たす体験を求める声は、現在よりも強まるだろう。

2016年4月に施行される障害者差別解消法(*1)や、その先の20年の東京オリンピック・パラリンピック競技会の開催に先立ち、高齢者および障がい者の行動範囲を広げるためのインフラ環境整備が日本全国で始まりつつある。しかしながらまだ整備の実態は、本来ならもっと多くの要介護高齢者や障がい者が自由に行ける場所での「受け入れ」のための物理的支援が進んでいる段階と言えなくもない。介護される人も介護する人も、誰もが抱くわくわくしたい心を、当たり前に満たすことができる環境をつくることが本来の目指すべき姿なのだろう。

今回、このめざすべき姿をどう実現できるかという課題のもと、最先端の技術を活用したパーソナルモビリティ(外出支援機器、いわゆる電動車いす)のWHILL社の協力を得て、いかに旅の魅力を拡大し、感性に訴求することができるか、検証をした。

(*1)「障害者基本法」の基本的な理念にのっとり、差別の禁止や合理的配慮の規定を具体化する法律。2016年4月1日施行。

2.最先端パーソナルモビリティWHILLとは?

WHILL社は、歩行困難者用のパーソナルモビリティ、いわゆる電動車いすのベンチャー企業である。NTTグループや米系有名ベンチャーキャピタルの投資で話題になった。その最先端の歩行支援機器WHILLは、安定した力強い乗り心地、直感的な操作性を兼ね備えた、新しいパーソナルモビリティといえる。主たる機能を下記にあげてみた。

  • 様々な旅行環境に対応するために、最高速度6㎞/h(歩道走行可)、走行距離約20㎞、登坂力10°、電動スライドシート前後15㎝のスペックを実現
  • 個人の体型や運動機能に合せた乗り心地の良さを追求するために、シート角度、フットレスト高さ・角度、ハンドルバー高さ、バックサポート角度等のカスタマイズが可能
  • 独自に開発された前輪駆動タイヤを使い、後輪を中心に最小回転半径70㎝を実現
  • iPhoneを活用したリモートコントロール機能

WHILLは狭い範囲での小回りの良さだけでなく、7.5cmの段差の乗越えや、悪路もこなす。
慣れれば間違いなく、行動が広がり、またデザイン性の高さから、かっこよくありたいという気持ちも応えてくれそうだが、一方で、116㎏という重量と、従来の車いすと比較すると高額となる車両価格で、現段階では、個人で購入して、気軽に使用できるものではない点が挙げられる。

3.WHILLの持つ新しい走行性能と、旅における利用者の側から見たWHILLの検証

今回の検証の会場として、2000年から3年に一度、新潟県十日町市および津南町で開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(世界最大級の国際芸術祭)」を選定した。「人間は自然に内包される」を基本理念としたアートを道しるべに里山を巡る新しい旅は、アートによる地域づくりの先進事例として、国内外から注目を集めている。美術館の施設もあれば、田園地帯に散らばるアート作品など、一定の広さがあり、歩いて散策するにもそれなりの体力が必要な広さや高低差がある。

【仮説】

  • 超高齢化に伴う障がい者比率の拡大を鑑みて、旅行業界でもユーザーが一層旅行を楽しむ上で、適切な機器の提案や提供が必要になるのではないか。
  • 利用者の活動範囲や視界が今まで以上に広がり、出掛ける楽しみや生活に潤いが生まれることが予想される。その前向きな気持ちが体調の回復にもつながるため「旅の力」を一層強化できるツールとしても可能性があるのではないか。
  • 先端技術でコンピューター制御も進んではいるが、ユーザーの誤操作も想定される。使用に関する安全をどう確保するか、また経済的負担も軽微ではなく導入に当たっては幾つかの壁を乗り越える必要があるが、どういう手法が検討できるのか。

【検証方法】
一般的な車いすとWHILLの比較をしながら、ユニバーサルツーリズム担当者、介護福祉士、福祉用具プランナー、一般観光客の目線で旅行シーンにおける外出支援機器活用の可能性を検証する。

【調査内容】

  • 一般的な車いすとの比較(機能面、活動範囲、利用者・同行者の負担、その他変化等)
  • 利用に適する環境(機能レベル、安全レベルを一定以上担保出来る推奨環境)
  • 重量、安全、経済面含めた導入に向けての課題

【実験場所】
下記2か所および美人林で有名なブナ林で検証した。

  • 限られたスペースの中で安全・快適に鑑賞を楽しむことを検証するために、十日町市街にある施設「キナーレ」
  • まつだい駅にある「農舞台」周辺に広がる田園地域。アート作品が点在し、高低差があり、公道の体験がある。

以上の前提を踏まえ、一般的な車いすとWHILLを比較し、どう言ったシーンで活動範囲が広がるか、旅のストレスが軽減されるか、旅のわくわく感が高まるか、を検証した。

4.行動範囲の広がりが旅の楽しさを倍にした検証結果

<高いデザイン性と、歩行者と変わらない視界>

写真1からもわかるように、WHILLは、車いすというより、なにか近未来の乗り物を連想させる。キナーレの回廊で撮影したが、周囲にすっかり溶け込んでいた。既存の車いすとの大きな違いは、座面の高さと着座姿勢が車いすとは異なることだ。(写真2)実際、WHILLに乗った状態では、車いすよりも頭1つ分高くなるため、視界が広くなるとともに、同行者と並んで移動していても普通に会話が楽しめる。
着座姿勢も自然で、座面のクッション効果もあり、脚や内臓への圧迫が少ないため、包まれるような安心感もある。また、シートスライド機能を使うと、立ち上がり時や移乗、食事の際に、楽なポジションに変えることができる。今回お世話になった「松之山温泉ひなの宿ちとせ」ではこの機能のおかげで足湯(写真3)に入ることができた。以上のようなことからも、ネガティブな感情を抱くよりも、何だか楽しそう、動かしてみたい、いつもと違うことにトライしたい、と期待感をあげる性能が揃っている。

<介護する人、される人への配慮>

WHILLは、基本性能もさることながら、介護する側とされる側とが向き合うスタンスが全く異なる。既存車いすは路面状況や介助者のスキルに大きく左右され、移動できる範囲にも限界がある。対してWHILLは自ら操作することを前提とするため、能動的であり、ユーザー本人が乗り続け、WHILLの性能を超えない範囲まで楽しむことができる。

実験の際にも、その違いは歴然としていた。キナーレの2階には展示物があり、レイアウトも様々で、通路の広さは車いすが通れる幅は確保されているが、動線が広いとまでは言えない。小回りが利き、目線が高いことから、WHILLは車いすを超えて、様々な角度で展示物を楽しめる。これは移動中の視界にも言え、写真4にある通り、同じ動線でも見える範囲が全く違った。向こうに何があるかがわかるか、わからないかでは、旅の楽しみ方が全く異なる。

雨の合間を縫って訪れた農舞台では、フィールドミュージアムマップに従い山道にある展示物を見て回ったのだが、先がわかるのとわからないのとでは、乗る側の心理的負担が大きく異なる。雨天のせいもあり、一般的な車いすに乗っている方は、後ろを押してくれる介助者の負担がとても気になる(写真5)。視界という点でも、特に下り坂では、後ろ向きで進むため、他人に操作され、先が見えない不安も手伝い、さらに押している時間もそれなりにかかるため、双方に気疲れは大きい。逆にWHILLはそんな心配もなく進む。四輪駆動のため、路面でスリップすることもなく、自分で操作できるという気分の良さも手伝い、終始安心感に包まれていた(写真6)。最終的な疲労度の差は歴然で、ユーザー自身も同行者も疲れず、心理面の負担は大きく減った。これは旅の効果を一層強化できると言えるだろう。

5.課題と今後の期待

美術館のような混雑した施設での安全性の確保が大きな課題だ。WHILLは、直感的に操作できるとはいえ、手首付近に麻痺があれば、誤操作がないとは言い切れず、利用者の運動機能や身体状態により十分な操作訓練や使用条件等の検討も必要だ。また、畳のような床面ではこの重量が原因で傷をつける可能性があるため使用には向かない等、ハンドル型電動車いすと同様の課題を抱え、公共交通機関における利用制限が設けられているケースもある。

今の日本の旅行環境では、これ1台で全て済ませることは難しいとも感じた。そして、個人で所有するには経済的負担が大きい点も見逃せない。

これらを踏まえて、利用に適した環境は我々が推測した通り、一定の広さのある観光個所で、歩いて回るにはそれなりに体力が必要な場所であるということであった。ひどく混んでいる時は、貸出しの制限も検討する必要はあるかもしれないが、WHILLのようなものを貸出機器として備えておけば今まで行くことを諦めていた人たちが、家族や友人と来場する可能性が出てくるだろう。

以上見てきたように、一定の課題はあるものの、WHILLのようなパーソナルモビリティが旅の魅力を拡大する力はとても大きいと感じた。旅は転地療養にも使われていたように一定の心理的効果が見込めるが、障がいがあると、実際はとても疲弊する場面が多いのは述べてきた通りである。しかし、パーソナルモビリティがあれば、物理的なハードルはもとより、心理的なハードルも下がり、開放的になれる。障がい者だけでなく、何らかの不自由さを抱える人たちの、楽しめる範囲が大きく変わる可能を秘めている。

WHILLは2014年10月の販売開始から間もないが、今のところ大量生産が難しい現状もありコストダウンが難しく、使える範囲も限られるため、普及には時間がかかるだろう。しかしながら、カーシェアリングやレンタサイクル同様、誰でもが使える足となる貸出機器として、大型観光地や美術館、博物館等で備えることが、「最先端技術を活用したパーソナルモビリティが実現する旅の魅力の拡大」の最初の一歩になり、誰もが目に触れる場所で、世間に知らしめることで、障がい者だけでなく、すべての高齢者にとって魅力的な乗り物へと認知されることだろう。