具体的戦略を導くための生活者(旅行者)行動調査とは
観光は地方創生の要となる産業として期待される一方で、生活者(=旅行者)からみれば旅行や観光は多様な消費の1つにすぎず、動機や目的は人それぞれで感性や気分に影響されることもまた事実です。だからこそ普段の生活者の行動や意向を把握してニーズを汲み取った商品やサービスを提供することは重要です。当社は生活者の価値観や日常の行動に焦点をあて、旅行や観光の消費への影響と具体的な課題解決を導き出せるような調査手法の研究をしてきましたが、このたび公益財団法人 吉田秀雄記念事業財団が発行するAD STUDIES(アド・スタディーズVol.59 SPRING 2017)の「特集 観光研究の課題と展望」にて発表する機会を頂戴しました。今回許可をいただき、字数の関係上一部表現を変え再掲します。
目次
※参考:特集 観光研究の課題と展望
旅行者不在の観光振興にならないために旅行者行動を深掘りしよう
多くの人びとに支持される商品やサービスを生むための‘戦略づくり’には (1) 市場調査データを商品やサービスに活かすこと(顧客ニーズの把握)(2) ターゲティング(どのような利用者をイメージするか)が欠かせない。これは観光振興でも同様のことが言える。観光に注目が集まる中、従来型の観光資源を持たない地域も地場産業などと連携し、旅行者誘致に成功している地域も現れているが、観光分野における地域間の競争はより激しくなり、旅行者に‘選ばれる’とは何か意識せざるを得ない。
観光に関わる公的データは近年整備が進み、またビッグデータの解析技術向上とともに今後さらなる活用が期待される。以前、筆者は旅行事業のリテール担当として販売促進に携わり、顧客の属性や旅行商品の購買履歴などから仮説をたて様々なアプローチを試みていた。顧客に‘選ばれる’には、顧客をより知ること、顧客が生活者として持つ背景の理解とともに、旅行の前、中、後の一連のサイクルの中で行動を深掘りし、ニーズを引き出す重要性を実感していった。
本文では生活者(旅行者)の行動調査について、観光振興の具体的な戦略や戦術を導くために旅行者のニーズを引き出す目的で独自に開発した2つのマーケティングメソッドを軸に進めていく。ひとつは、特定の観光地に対する旅行者のイメージや行動、訪問満足度などの調査により改善すべき課題を明確にする「JTB地域パワーインデックス」。もうひとつは‘生活者’という切り口で旅行者を5つの価値観グループに分類して行動や好みを可視化し、ターゲティングに導く「旅ライフセグメント5(TLS5)」である。さらに今後活用が期待されるビッグデータと旅行者行動調査との分析を紹介した上で、旅行者行動の変化について考察したい。
旅行者データから戦略を導き出すためのマーケティングメソッド
(1) 観光地の強み弱みを明確にするJTB地域パワーインデックス
JTB地域パワーインデックスとは、観光地の強みや弱み、今後強化していくべき点は何かといったことを明確にするために、対象地域についての認知、関心(行ってみたいか)、訪問経験者に対する再訪意向、イメージ、満足度などを調査分析したものだ。現在全国約250の観光地と県庁所在地を網羅している。この調査の特徴の1つは、3年以内に対象地域を訪問した経験者に満足度を「観光・活動・体験」「地域の料理・食材」「まちの景観」など全12項目で聞くと同時に、その地域の住民に対しても「観光客は満足していると思うか」という住民が考える観光客の満足度を同じ内容で聞いていることだ。これにより観光客と住民それぞれが考える満足度のギャップが分かり、改善点として検討すべき課題を捉えることができる。
仙台市を例にとってみよう。満足度ではほとんどの項目で、旅行者と住民との評価に大きな差異は見られなかったが、「地域の温泉」と「地域の自然」に大きな違いが表れた(図表1)。仙台にある温泉に住民の67%が‘観光客は満足している’と考えている一方、実際には20%の訪問者しか満足と答えていない。これは仙台の温泉に対する評価ととることもできるが、仙台市街から気軽に行ける温泉があること自体があまり知られていないのではないかという仮説も成り立つ。
図表2は仙台への訪問経験者および非経験者に対し、仙台に持つイメージを22の項目で聞き、訪問意向との相関関係をマッピングしたものだ。仙台のイメージは「料理がおいしい」が飛びぬけて高く、訪問意向にも高く影響し、重点的に維持し続けるべき項目と判断できる。一方「温泉が良い」はイメージの指数が0.8、影響度が0.04と特別高い結果ではない。しかし項目全体の中では、温泉は訪問意向への影響度は全体の平均値(指数)より高い一方でイメージが平均値(%)より低く、より仙台の魅力の幅を広げるための重点改善分野と位置付けることができる。仙台市内で都市型観光を楽しみながら、同時に東北らしい温泉で癒されたいという旅行者ニーズを汲んだ新しい提案も可能だ。
(2) 旅行者を可視化する旅ライフセグメント5(TLS5)
社会経済が成熟し様々な情報が溢れ、生活者の価値観や行動が多様化する今日では「誰にとってもいいもの」は特徴が見えにくくなり、人々の目に留まらず「選ばれない」可能性がある。利用者はどんな人で、どんな価値観のもと消費を決定しているのか分かれば、誰に買ってほしいのかターゲティングの検討が容易になり、ニーズにあう特徴ある商品やサービスを提供することが可能だ。ターゲティングはプロモーションのみならず、ブランディングにも関わる。利用者を可視化するため、旅行やライフスタイルに関わるいくつかの設問から、5つの代表的な価値観を見出し、その価値観の重視度の組み合わせから旅行者を5つの価値観グループに分類した。これを「旅ライフセグメント5(TLS5)」と名付けた。
年齢やライフステージ等、それぞれの人が置かれた環境(属性)が変われば、旅行やライフスタイルもそれに応じて変化する。一方で属性が似ているからと言って、同じような生活や旅行をしているわけではなく、個々人の持つ考え方(価値感)によって大きく異なる。しかし人々の異なる価値観すべてを把握することは実際困難だ。そこで、独自の設問への回答傾向から人びとに共通する5つの価値観(A.情報感度の高さ B.人との繋がり重視 C.等身大でいたい D.一味違った旅行がしたい E.価格合理性を重視)のそれぞれの重視度合いにより、同じような消費や旅行の傾向を持つ5つのタイプグループ(「高アンテナ」タイプ、「共感」タイプ、「メリハリ消費」タイプ、「体験重視」タイプ)に分類した(図表3)。
ところで、TLS5の各タイプは、新しい商品やサービスの普及する過程についてそれぞれ特徴がある。LCCの事例で紹介したい。
ロジャース教授のイノベーター理論によると新しいサービスや商品の普及過程では、消費者は大きく3つに分類される。真っ先に利用するイノベーターと、それに続くアーリーアダプター、普及が進んでから利用を始めるフォロワーだ(図表4)。「新しい」ことだけに価値を求めるイノベーターと比較して、アーリーアダプターは新しいサービスや商品の価値を認め、口コミなどでフォロワー層へと拡散する力が強いため、オピニオンリーダーとして重要視される。
国内線LCCが2013年に就航してから3年連続して実施した調査で各年の利用者をTLS5に分類した(図表5)。13年にLCCを利用した人で最も多かったタイプは、流行に敏感で人との繋がりを重視する「共感」タイプ、次いで価格を重視し無駄のないシンプルなものを好む「合理派」タイプだった。新しいことに価値を求める「高アンテナ」も一般の生活者タイプより割合が高い。就航翌年の14年の調査では、LCCの路線が拡大し、利用者がさらに増加する中、「共感」タイプは1位だったものの、割合は41%から33%へと減少した。最も増加したのは、流行には捉われず、自分が本当に納得したものであれば支出を惜しまない「メリハリ消費」タイプ(14%→18%)だった。15年に実施した調査では、LCCがさらに普及する中、「共感」タイプの割合はさらに下がり、一般的な旅行者の散らばり方に近くなっていった。この結果をイノベーター理論にあわせると、LCCは、イノベーターの「高アンテナ」やアーリーアダプターの「共感」タイプが最初に利用し、フォロワーである「メリハリ消費」や「合理派」タイプなど他のタイプへと波及していったことがわかる。
このようなTLS5各タイプの特徴と、利用者の属性、旅行や購買履歴などを掛け合わせることによって可視化でき、ターゲティングを明確にし、仮説建てが容易になる。この考え方は国や地域別の訪日外国人旅行者の分析にも活用可能だ。
図表6は日本への旅行経験がある、または予定のある台湾、中国(沿岸部)、中国(内陸部)タイの旅行者および一般的な日本人をTLS5でタイプ分類したものである。本文では記載しないが、これに旅行者行動や意向調査の結果を組み合わせることで旅行者の詳細な可視化が可能だ。
中国やタイは経済成長で中間層が増え、査証緩和で近年日本への旅行者が増加した。一般的な日本人旅行者のタイプ分類に比べると高アンテナや共感タイプの割合が高く、フォロワー層の各タイプが少ないことから、日本への旅行は人気が広がりつつある段階と言える。中国の内陸部と沿岸部を比べると、沿岸部の方がフォロワー層まで日本旅行が浸透していることが分かる。沿岸部は年齢層が低く、外資系企業勤務や、医師、弁護士といった専門職も多い一方、年収の幅は分散し、都市型志向でちょうど日本の若い女性が気軽にソウル旅行をして食事や買い物を楽しむ感覚と似ている。一方内陸部は高アンテナや共感タイプの割合が高く、中国企業の管理職が多く、流行に敏感な層に日本旅行が広がっている段階だ。現在中国の多くの都市が日本の各空港とLCC等で直接結ばれているが、各就航都市の旅行者の姿に合った企画やプロモーションを行うことが必要だ。
期待されるビッグデータの活用と生活者行動調査
生活者に対する調査だけでは限界もある。本人の意思や自覚とは関係ない行動を把握することは難しく、また観光地の数は計り知れず、線や面での旅行者の細い動きを聞き出すことは困難だ。近年はビッグデータの解析技術が向上し、GPS(位置情報)やPOS(販売時点情報管理)、SNSデータなどを活用し、生活者の具体的行動が把握できるようになった。国の公的データの整備も進み今後の活用が期待される。しかしビッグデータ単体だけを見ていても表面的な事象に捉われてしまい具体的仮説を立てにくい。この課題を解決するべく、株式会社ナビタイムジャパンとの共同研究で、GPS上で集約した台湾人旅行者の東北旅行の滞在箇所、観光素材の関心、旅行の傾向などを可視化した。一部を記載する。
訪日経験別にGPSデータを分析してみると、訪日経験回数が4回以下の旅行者は東北内の主要な都市と、田沢湖、平泉、蔵王などの有名な観光地を訪れる傾向がある。5回以上になると、主要な都市や観光地の周辺の温泉地、例えば、田沢湖から乳頭温泉、白神から不老不死温泉、青森から浅虫温泉や酸ヶ湯温泉、八戸から古牧温泉、蔵王から銀山温泉などへと足を伸ばしている様子がわかる(図表7)。
東北の名所や名物の訪問意向や経験意向については、訪日経験が少ないと、「秋田犬」、「あまちゃん」、「わんこそば」など話題性の高いアトラクション的なものや面白そうなものへの関心が高い一方、5回以上になると、「ねぶた、ねぷた」、「乳頭温泉」、「樹氷」、「弘前城の桜」など日本らしい自然や文化的なものへの関心が高まる傾向が出た(図表8)。台湾の旅行者は海外旅行全般では「どちらかというと大都市を訪れる方が好き(64.1%)」が多いのだが、日本への旅行になると「どちらかというと田舎を訪れる方が好き(55.8%)」が半数以上となり、年代の違いもなかった。また「どちらかというと、まだ行っていない新しい場所を探していくタイプ」が67.3%だった(図表9)。経験豊富な台湾の旅行者に対しては認知度が低くても、自慢したくなる他では体験できない日本らしい文化や自然を納得性の高い継続的な情報発信が重要だ。
旅行者の欲求は環境によって常に変化し、旅行のあり方も変化する
今日、旅行者行動に最も大きな影響を与えるのはICTの進化だ。SNSの登場は「同じ目的や趣味を持った人と交流する」「自分の体験を発信する」という行動を生み、旅行・観光にも大きな変化をもたらした。交流ツールとしての役割を持つSNSは同じ趣味を持つ人のつながりを広げ、多様化するニーズの中でニッチなマーケットも可視化し、ニッチがトレンドになる機会をつくった。旅先で体験を発信する行動は、従来型の有名な観光名所だけではなく、旅先のふとした面白い光景や体験も発信の対象となり即世界に伝わる。またリアルとARを融合したGPSゲームの登場などが旅行の「動機」を促すなど新たな動きが見られるようになった。
ICTを活用した新しいサービスの登場が加速している。新しい経済の形としてシェアリングエコノミーも広がりをみせ、自動運転車の実用化も視野にはいり、日常生活そのものが大きく変わるだろう。このような動きの中、私たちは生活者(=旅行者)行動研究を行う上で、人々が今求めることが必ずしも将来のニーズになるとは限らないと認識している。ネットであらゆるものがつながり、旅行者データの収集と分析の精度は格段に上昇するだろう。しかし人々の欲求は常に変化するということを前提に、継続的に生活者の価値観や心の動きと行動を見ていくことが必要と考える。