アフターコロナの世界を見据えて、構想すべき未来とは ~雪国観光圏代表理事・株式会社いせん代表取締役 井口智裕氏に聞く~
新型コロナウイルスの感染拡大により、地球規模で外出や移動が制限され、世界経済は大打撃を受けています。ツーリズムは、移動の自由が保証された状況下での人的な交流の促進活動と言われますが、移動の自由の重みというものを、身を以て知ることとなりました。感染拡大を防ぐことが優先の現在、運輸・観光に関わる経済活動は停止せざるを得ない状況で、資金繰りは事業者の大小に関わらず死活問題です。支援制度を活用し、事業再開に向けあらゆる知恵を絞り生き抜くことが今の優先事項と考えます。しかし同時に考えておくべきことが、「アフターコロナの世界」ではないでしょうか。本文では観光の最前線で活躍する一般社団法人雪国観光圏代表理事・株式会社いせん代表取締役の井口智弘氏との対話を通して、観光に携わるそれぞれの立場で、どうしたらアフターコロナのより良い姿を描けるか考えたいと思います。
波潟 郁代 客員研究員
西武文理大学サービス経営学部 教授
目次
1.ファクトを捉えながら、日本のツーリズムの未来を“構想”する
当社での私自身の活動の根底には、リーマンショックや東日本大震災の時に本社広報で厳しい決算発表をした際の、当時の役員の言葉が存在します。「経済危機や、感染症、大規模災害などは、足元の業績に多大な影響を与えるだけではない。既に起きつつある様々な変化のスピードを加速したり、あるいは人々の価値観や社会の規範を一変させたりするきっかけになる。その変化の内容をいち早く捉え、先手を打つことが経営課題として重要だ。」
現在の移動制限下での旅行・観光の詳細な市場予測は困難です。大きな仮説の1つとしては、これまで少しずつ進んでいたこと、つまりデジタル化や規制緩和で生まれた新しいサービスとそれに伴う新しい価値観や行動、既に変容しつつある観光のあり方や消費の世代交代が、新型コロナを機に「加速」する可能性が考えられます*。また、今年3月の外国人入国者数は9割超減(出入国在留管理庁 出入国管理統計4月14日現在速報値)でしたが、観光先進国としてここ数年飛躍的に拡大した日本のツーリズムはいったん精査され、残るものと消えるものとが出てくる、ということもあり得るでしょう。(*参考資料:JTB総合研究所 「進化し領域を拡大する日本人の国内旅行2019」)
しかし具体的な予測が見えるまで待つ、では遅すぎ、過去の延長線上にある施策だけ考えていても未来の市場に取り残される懸念も拭えません。「ニュータイプの時代(ダイヤモンド社)」の著者の山口周さんは「未来は予測ではなく構想するもの」と著書で述べていますが、今、小さく起きている様々な事実(ファクト)を捉えながら、自由に仮説を語り合う=未来を構想することが重要なのではないでしょうか。
このような危機に直面しながらも、未来を構想し、自ら最前線で事業を進めるリーダーとして思い浮かんだのが、雪国観光圏代表理事で株式会社いせん代表取締役の井口智裕さんです。
井口さんは、新潟県越後湯沢の旅館の4代目経営者です。米国留学後、2005年に「越後湯澤 HATAGO井仙」をリニューアルオープン。湯治場の交流拠点としての旅籠が本来持つ機能と魅力を現代風に進化させ、泊食分離や地産地消など当時先進的な手法を導入して経営を進めてきました。同時に旅館を“地域のショールーム”と捉え、地域が一体となったブランディングが必要と考え、2008年に3県7市町村で「雪国観光圏」を組織化しました。2013年には一般社団法人化し、代表理事に就任。現在、雪国観光圏は、DMO(Destination Management Organization)として、雪と共生してきた雪国文化を地域の価値として商品化する活動を続けています。
一方で、2019年7月に新しい挑戦がスタートします。越後湯沢から車で30分の南魚沼市の老舗旅館「温泉御宿 龍言」の事業を継承し、江戸後期の豪農・武家屋敷を改装し、ryugonをオープンします。まさにこれから、雪国文化を目指して来る訪日客にも期待という時に、新型コロナウイルスの感染拡大が起きます。
近況を伺い、英知とポジティブなマインドをこの場で共有したいと思います。
写真:ryugonと周辺の田園風景(個人撮影)
2.観光の転換期に誕生した“ryugon”と雪国観光圏について井口代表に聞く
(1)「旅館3.0革命」と観光のあり方の転換期
―近況を教えてください
「越後湯澤 HATAGO井仙(以下 HATAGO井仙)もryugonも春は比較的順調に推移していたのですが、今回のコロナで大きく予定が変わってしまいました。今は2つの旅館でもそれぞれ営業日を半分にしました。しかし、このような状況下で、ryugonもHATAGO井仙も次のステージへの準備をしています。コロナは観光を大きく変えると考えます。中でも観光における旅館のあり方が大きく変化すると予測しています。すでに5年くらい前から兆候としてあったのですが、これを私は“旅館3.0革命”と勝手に定義しています。」
―観光振興(雪国観光圏)と2つの旅館経営を、現在どのように捉えていますか
「旅館3.0革命」は、旅館産業の黎明期であった団体客主体の大型旅館が1.0。2.0は90年代から人気が出始めた小規模なお籠り高級旅館です。1.0も2.0も旅館に宿泊すること自体が旅の目的でした。しかしながら、これからは旅行者の地域での過ごし方に旅館がどう関わっていくかが重要になると考えます。“暮らすように旅をする”、“地域に馴染む”志向が高まり、非日常の観光地ではなく、異日常を感じる地方に人の流れも徐々にシフトしていくと思います。このように地域と共生しながら発展していく旅館を3.0と定義しています。よって観光も大きな転換期にあると思います。
雪国観光圏は設立以来12年間、雪国文化という地域独自の価値を軸に、周辺市町村で様々な連携を図り、従来の観光協会とは異なる独自アプローチで地域独自のストーリーとそれを商品化していく仕組みを作ってきました。つまり、これから変化するであろう異日常の観光振興に対応するためOS(オペレーションシステム)作りです。その一方で、地域の側から旅館のあり方も考えてきました。
昨年南魚沼市に雪国を感じる古民家ホテルとしてオープンさせたryugonは「3.0」を意識して設計し、雪国観光圏のOSに対して、最適に機能するためのアプリケーションでもあります。HATAGO井仙は駅前の立地のため、田園に囲まれたryugonのようにはいきません。」
(2)独自の価値を持った地域と首尾一貫して表現するDMOの必要性
―今進めていることは何ですか
「ryugonではスタッフの成熟度に課題も残り、オープン以来あまり出来なかったスタッフの意識改革やトレーニングも3月後半から地道にできるようになりました。またこのタイミングにクラッシック客室の改修やカフェの新設工事も進めています。
オープンして見えてきたお客様との微妙なギャップ感などもクリアに見えてきたので、今ホームページも作り直しています。旅館にありがちな施設や料理を全面に売り出すものではなく、この場所での過し方を主体とした見せ方に変えています。ブランディングには、旅館や宿ではなく、あえて“古民家ホテル”としています。重要文化財の幽玄な世界を演出した非日常を体験する旅館ではなく、異日常を体験する拠点としてホテルのほうが我々のOSにあっていると確信できたからです。」
―アフターコロナの世界をどう考えますか
「今回のコロナ終息後、人々の意識はグローバリズムからローカリズムに一気に変わるだろうと思っています。そうなると独自価値をもった地域とそれを首尾一貫して表現するためのDMOの必要性が増すであろうと思っています。前述の旅館3.0革命とつながります。
宿泊施設よりも地域での過し方が重要となる時代においてはDMOの存在が重要になってきます。今までは宿単独でストーリーを伝えられればある程度の集客は図れました。これからは地域全体でのストーリーの確立とそのストーリーに準じた体験が一貫して提供できる仕組みが重要になってきます。その中心役がDMOであり、常に行政側に伺いを立てながらすすめる観光振興では限界があります。雪国観光圏もその点においてはまだ道半ばではありますが、今は志をともにする地元の事業者や宿泊施設と連携を図りながら、宿そのものがDMC(Destination Management Company)として地域を発信していこうと考えています。」
―メッセージを
「ryugonは雪国観光圏の立場からの視点で宿泊施設のあるべき姿から構想されました。旅館でよくあるオーナーの想いとかこだわりから作られた宿泊施設ではないと視察などでお越しになる方には伝えています。旅館経営者として視点だけでなく、地域連携DMOの視点から改めて宿泊施設のあり方を見直す事ができたのは、私にとって非常に大きな財産となりました。これは今までの自社の強みとは全く逆のアプローチですので、旅館側からの視点だけでは絶対に気づかなかったことが多かったと思います。今は少し苦しいですが、コロナ以降の世界はむしろ楽しみです。」
写真:井口智裕代表
3.これまで見えてきた風景とは異なる、アフターコロナの世界
アフターコロナの世界は、誰が見ても間違いなく、見えてくる風景、つまり人々の価値観や行動、社会や産業構造あり方などが変わると考えられます。既に世界の著名な経済学者や歴史学者達が、テクノロジーのあり方、世界の分断、監視社会などをキーワードに未来を語っていますが、今はまだ事象を記録する段階とも言っています。様々な事象を多面的に捉え、インサイトを整理する作業が今後一層重要になると考えられます。
例えば、テレワークは、働き方改革の推進で環境が整備され、徐々に利用が広がっていましたが、緊急事態宣言で普及が一気に加速しました。オンラインの授業やセミナーも同様です。こういった動きは新型コロナが終息したところで、以前と全く同じ状態には戻らず、むしろ改善され次世代バージョンへと進化していくと考えられます。前述のローカリズムが進み、旅館3.0革命の時代となれば、物理的にどこで働くかは問題ではなくなる時代が来るかもしれません。
井口さんとの対話には、厳しい環境にも関わらず、復興策や支援制度、キャンペーンという言葉が出てきませんでした。早く成果を出すために、普通ならば直接的で合理的な手段に目が向きそうです。井口さんは三現主義を守りながら、マーケティングを疎かにしない、別の意味で合理的な経営者であることがうかがえます。
日本のものづくりの世界では、デジタル化や部品のモジュール化が進み、どんな高機能な製品でも急速にコモディティ化(汎用品化)し、競争に晒される事態になりました。現在のマーケティングは、売ることがゴールではなく、また商品の利便性や機能よりも「商品の利用により顧客がどのような体験が享受できたかという“ユーザー体験”」、「モノをコトで売る」を重視する傾向にあります。翻って旅行・観光はどうでしょうか。形がないものだから簡単にコト消費と片付けてしていないか、私はセミナーなどで問いかけます。前述の「旅館にありがちな施設や料理を全面に売り出すものではなく、この場所での過し方を主体とした見せ方に変えています」という言葉は、ビジネスで使われる“ユーザー体験”の本質ともいえそうです。
苦しい中でも信念を持ち、未来の良い姿を「構想」し、表現し、語り合う、アフターコロナの世界に向けて今できる大切なことの1つではないでしょうか。