新型コロナウイルス感染再拡大に備えた「観光衛生マネジメント」のすすめ
新型コロナウイルス感染防止のガイドラインを策定したものの、その実行が現場任せになっていませんか。感染再拡大の不安の中、再び自由な移動の制限を懸念する観光事業者と、安心安全な感染防止を徹底したい地元住民が一体となる地域づくりの実現に向け、体系的で持続的な「観光衛生マネジメント」を考えます。
髙橋 伸佳 客員研究員
波潟 郁代 客員研究員
西武文理大学サービス経営学部 教授
目次
1.体系化された持続的な観光衛生マネジメントをポジティブ思考で実践する
新型コロナウイルス感染症の絶対的な解決策がない中、10月から欧州および北米を中心に新規感染者が再び急増し、一部の国や地域では春に続き厳しい外出制限が行われています。日本国内でも11月にはいり新規感染者数が急増しています。国内旅行が9月、10月と少しずつ回復に向かい始めた矢先の感染拡大は、再び移動が制限される事態になるのではないかという旅行者や観光事業者と、感染者を出したくない地元住民の不安を生んでいます。
私たちは、旅行、観光関係者として、今世紀だけでも「重症急性呼吸器症候群(SARS,2002~3年)」や「新型インフルエンザ(A/H1N1,2009年)」、「中東呼吸器症候群(MERS,2013年)」などの感染症対策に関わってきました。そして今回のコロナ禍を通して、日本国内ですら人の移動や交流が遮断されるということを身を以て知り、今後、次なる感染症の出現も否定できないことを再認識しました。
人々が安心して自由に移動できる環境を維持することは大命題です。そのためには、感染症対策は一次的な危機管理対応や対策にせず、また、事業者がガイドラインを策定し、一方的に現場のサービス提供者に実行を任せて終わりにしない、地域全体の課題として常にブラッシュアップして展開していくことも必要です。そこで、衛生マネジメントを観光に視点を置き、体系的で持続的な「観光衛生マネジメント」のプロジェクトを立ち上げ、展開していくこととしました。
「観光衛生マネジメント」は、当社では以下のように定義しています:
観光衛生マネジメントは、観光地の経営において、衛生対策、特に感染症の未然防止や感染者発生後の円滑な対応への備えにより、旅行者、地域にとって安全、安心の維持を総合的に図る活動です。
危機管理や内部統制は、一般的に旅行者誘致や売り上げに直結しない、コストと時間を取られる業務と、ネガティブに受け取られがちですが、以下の4つのポイントで、観光の規模に関わらず、交流人口を拡大したいと考えている地域および事業者がポジティブに取り組むことを目的としています。
- 衛生対策を施し安全を確保したオペレーションを確立
- 衛生対策の質を維持・向上とさせながら収支バランスを維持
- ツーリズム産業たるエンタテイメント性を失わない新たな観光事業運営
- 地域ぐるみの安全・安心のイメージ確立により、ブランド価値向上につなげる
2. コロナ禍で求められる、すべての人にとって安心安全を前提とした観光振興
(1)より強い旅行者ニーズとしての感染対策
当社が6月および9月末に実施した、「新型コロナウイルス感染拡大による、暮らしや心の変化および旅行に向けての意識調査(2020)」によると、旅行者が宿泊施設を選ぶ際により重視するようになったことは、「消毒やマスク着用などの衛生管理が徹底されていること(9月調査 39.2%)」、「館内で3密を避ける取り組みを徹底していること(同28.4%)」が上位になり、現在の再拡大以前の調査にも関わらず、旅行者が感染対策を重視する傾向が一段と強まってきていることがわかりました。また、「部屋食で食事ができる」、「露天風呂付客室や貸切風呂が利用できる」、「自家用車でいくことができる距離」なども、より重視する傾向がみられました。9月の国内旅行の回復で、多くの人が旅行に出かけるようになり、感染対策の具体的なニーズが実感できるようになったと考えられます。「宿泊施設が実施する感染予防対策をホームページなどでも事前に確認できる(同20.6%)」も微増しています。宿泊施設の公式サイトを見ると、時折、施設の感染防止対策の取り組みの告知が、お知らせ欄やSNSでの発信に留めているため、過去の情報になっていることが見受けられますが、それではニーズに応えているとはいえないのではないでしょうか。
現在、業界別のガイドライン、地域のガイドライン、GOTOトラベルキャンペーンの参加基準など、多くの感染症対策のガイドラインが存在していますが、単にガイドラインを順守するだけでは旅行者から選ばれる宿泊施設にはならないということを意味しているのかもしれません。感染症対策は、地域や事業者が考える以上に要望が高い、旅行者ニーズとして捉えるべきではないでしょうか。
(2)旅行者を受け入れることへの住民の考え方
コロナ禍で観光ビジネスを推進することについて、地域住民が懸念しているということは少なからずどこの地域にもあることは否めません。前述の調査で、自分の住んでいる地域に旅行者を受け入れることについて住民の意識を聞いたところ、「自分が住んでいる都道府県内からの旅行者」の受け入れについて、「歓迎したい」が25.6%でした。住民と同じ県内でも、「来てほしくない(11.5%)」と「出来れば来てほしくない(19.1%)」の合計が30.6%ありました。一方、「自分の住んでいない大都市圏(首都圏や関西圏)」からの旅行者については「来てほしくない(26.1%)」と「出来れば来てほしくない(23.6%)」の合計が49.7%と半数近くを占める結果となりました。さらに外国人旅行者については「来てほしくない(42.0%)」と「出来れば来てほしくない(23.4%)」の合計が65.4%となりました。
前項の図1では、旅行者が宿泊施設を選ぶ際に重視することに、「宿泊施設のある街や地域から、旅行者に対して歓迎の意思が感じられる」と答えた人が14.7%あり、他の項目の中でも比較的高い結果でした。旅行者の側からみても住民の意識は気になるポイントであるといえ、コロナ禍という状況において、改めて地域における観光の位置づけを整理することも必要と考えられます。
(3)観光振興における住民との相互理解の必要性
観光が地域活性化の基盤になり得るとして、国をあげて観光振興の積極的な取り組みが始まったのは、2020年の東京五輪の開催が決定した2013年でした。2012年時点では外国人旅行者は836万人、消費額は1.1兆円でしたが、2019年には3,188万人、消費額は4.8兆円、うち地方での消費額は1.8兆円になりました。旅行者受け入れのための基盤整備が進んだことで、日本人の国内宿泊旅行の消費額も人口減少の中、増加傾向となったことは特筆すべきです(表1)。しかしその一方で、一部の観光地では、観光公害の問題もあがっていました。
「持続可能な開発目標(SDGs)」は、観光分野でも持続可能性が強く求められるようになってきました。「住み続けられる都市を」も目標の1つですが、住民が安心安全に暮らせる環境をつくっていくことは社会的な責務です。しかし実際には、写真の張り紙のように、外部からの旅行者について懸念を示すような現象が相次いでいます。この点については、地域の文化や観光振興、地域の年齢構成、医療体制などとも関係しますので地域毎に実情を調べ、観光業界と地域住民とが丁寧な対話をしていく必要があると考えます。
(表1)旅行者の消費額(単位/兆円)
年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 |
日本人国内宿泊旅行 | 15.0 | 15.4 | 13.9 | 15.8 | 16.0 | 16.1 | 15.8 | 17.2 |
日本人国内日帰り旅行 | 4.4 | 4.8 | 4.5 | 4.6 | 4.9 | 5.0 | 4.7 | 4.8 |
日本人海外旅行(国内分) | 1.3 | 1.2 | 1.1 | 1.0 | 1.1 | 1.2 | 1.1 | 1.2 |
訪日外国人旅行 | 1.1 | 1.4 | 2.0 | 3.5 | 3.7 | 4.4 | 4.5 | 4.8 |
合計 | 21.8 | 22.8 | 21.6 | 24.8 | 25.8 | 26.1 | 26.1 | 27.9 |
3.当社が考える観光衛生マネジメントのあり方
(1)地域の現場での感染症対策の実態とギャップ
最近は地域から観光衛生マネジメントに関する問い合わせや依頼が増え、当社のヘルスツーリズム研究所は、全国各地の現場に日々訪問しています。観光衛生マネジメントに関する講演のほか、独自のガイドラインの構築やチェックリストの策定が現在の定番メニューです。現場を回っている中で、日々疑問に思うこともあります。それは観光衛生対策が、感染症対策のガイドライン構築やチェックリストの策定で止まっていることが多いという点です。感染症ガイドラインが存在し、既に衛生対応をしているはずの観光・宿泊施設や交通機関であっても、ガイドラインが順守されていないという点が目に付きます。要は、PDCAにおけるP(計画)レベルで、Dの実行がストップしている点が観光衛生対策の現状です。もちろん現場スタッフへの負担に加え、国内旅行の回復で旅行者が急増する中、手が追いついていない事情もあるでしょう。また、感染症対策への慣れや気の緩みの可能性もあるかもしれません。経営者やマネジメント層が、現場スタッフレベルに実行を一方的に任せるだけではネガティブな危機管理対策で終わってしまいます。
また、先日、宿泊先の朝食ビュッフェにおいて、1品ずつ、旅行者それぞれが新しい割り箸で取り分けるというサービスに遭遇しました。トングや取り箸の使いまわしではないないので、間接接触感染の観点では有効なのですが、山盛りになる割り箸をみていて心が痛みました。内部で対策を熟考して実践したことと思いますが、実際にやってみて、本当にこれでいいのか、環境問題や廃棄など他の社会問題とも絡めた気付きが生まれるしくみをつくることも大切です。
サービスの標準化としての感染症対策ガイドラインは、D(実行)→C(評価)→A(実行)というプロセスで進められて初めて機能として効力を発揮します。ガイドラインがあるから安心、感染症対策は知っている、では感染症対策にはなりません。また2章の旅行者アンケートで得られた対策ニーズを、パーツレベルで取り組むだけでは感染症対策は完結しないということです。
(2)観光衛生マネジメントのステークホルダー
前章の調査結果から分かるように、観光は地域住民にとって大きな問題です。また人が移動する限り、水際対策だけでは限界があり、地域の医療体制を考慮するからこそ、感染からの守り自体は、地域の一般的な公衆衛生も観光衛生も一体であることが理想と考えます。また、宿泊施設が完璧に対策を実践していても、住民も観光客も行く市中の飲食店などが出来ていなければ地域全体のリスクは軽減されません。最近は、大きなスポーツイベントやMICE関連の感染対策の相談を受けることが多くなりました。これは単純な観光だけではなく、地域の産業振興にも関わってきます。そこで観光地の域内の安心安全のエコシステムの形成に、最初から旅行者をいれておくことが大切と考えます(図3)。
(3)観光衛生マネジメントのPDCAサイクル
次に、現場レベルでも業務の実態に即した実施計画を策定し、状況に応じてブラッシュアップしていく必要があります。業界毎のガイドラインは一般論が記載されていることも少なくなく、現場のサービスや機能に合わない可能性もある可能性もあります。こうした問題は仮説検証を講じながらベストプラクティスを見出し、持続的に発展させていくPDCAサイクルを構築していきます(図4)。サイクルでは、万が一の際の医療対応・体制の確認、そして現場での管理・配慮を実践・評価し、ステークホルダーとサービスを創り上げ、常に高度化させていくようなシステムをクライシスマネジメントとして検討します。さらには、旅行者とのコミュニケーションの見直しを図ることが重要になります。これは単に感染症対策をしている旨を告知していくということだけではありません。特に強調しておきたいのは、万が一に備えたクライシスコミュニケーション(感染が起きる前および後の発信の検討と実践)の大切さで、訓練を行うことも重要であるということです。まさに「備えあれば患いなし」というということになります。このように各事業者単位でPDCAサイクルに基づく観光衛生マネジメントを実践し、さらには地域全体でも共有し、ブラッシュアップしていけば、地域全体の安心安全ブランド構築が可能になると考えます。
4.まとめ
地域に行くと、自治体や事業者から「感染対策をしても、楽しいサービスはないか」という相談をよくいただきます。その際、「楽しいサービス、それはわかりません!」と答えるようにしています。ポジティブな取り組みは重要ですが、これは社会の動きや本当にお客様が望むことなのかを深いレベルで確認する必要があります。サービス提供者側との旅行者には大きな意識・価値観の差が存在している可能性があるということを認識することも大切です。観光衛生マネジメントを通した、ありたい姿の本質は、「コロナ禍でも来訪していただけるお客様が持っている」ことではないでしょうか。こうした観点を踏まえて、サービス事業者の皆様には固定観念に縛られない新しい価値観を探求していくことをお勧めしたいと思います。
観光のプロモーション活動についても、地域住民へのメッセージを盛り込んでいくという観点があっても良いと思います。今春の佐渡観光交流機構さんの感染症対策の動画では、観光の動画にも関わらず「旅する人も、住む人も、安心・安全な佐渡で」といった地域住民への配慮もみられるものでした。これからの観光は、旅行者だけではなく、地域住民からの共感を得るという観点がより重要な位置づけになってきたともいえるのかもしれません。
当社のヘルスツーリズム研究所は、PDCAサイクルに基づき、地域が自立した観光衛生マネジメントの実践を行えるような活動を行っていきます。