MICEという出会い空間とその作り方~昭和世代・X世代・Z世代の相違~

MICEは従来から運営に先端技術を活用し、また誘致活動から施設運営、建設の助言まで幅広いノウハウが集約された産業といえるが、根底にあるのは「出会いの空間づくり」という発想だ。これまでの歩みを振り返り、次代に継ぐポストコロナの「出会いの空間づくり」を問う。

太田 正隆

太田 正隆 客員研究員

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目次

新型コロナウイルス感染症は世界のMICE産業にも多大な影響を与え続けている。開催予定だったMICEは中止や延期、あるいはオンライン開催やリアルと併用のハイブリット型開催を余儀なくされた。しかし今年に入り英米ではワクチン接種が進み、リアル回帰の動きが見られる。MICEは世界中から各界の専門家やビジネスマンが一堂に会するイベントだ。運営にはいち早く先端技術を活用し、誘致活動から施設自体の運営、建設の助言まで関わる幅広いノウハウが集約された産業と言えるが、根底にあるのは「出会いの空間づくり」の発想だ。本文ではMICEの歩みを振り返りながら、次代に継ぐポストコロナの「出会いの空間」とは何かを考える。

1.MICEの根底にある「出会いの空間づくり」

新型コロナという感染症から始まった新しい時代。MICEが目指してきた「人々が集い議論し、見て聴いて試して体感する」といったことが真っ向否定されるような事態と遭遇した。MICE業界では対策のためにガイドラインを作り、開催延期、中止、規模縮小、遠隔など様々な手を打ってきた。しかし意外にも、これまで業界MICE運営のために試してきた各種先端技術、例えば衛星放送やICTを駆使した多元中継等の技術や方式がそのまま活かせる場面が多いことに気が付いた。「デジタル化」や「GIGAスクール」、「DX(デジタルトランスフォーメーション)」等にも繋がる技術であることに思い当たった。
 一方、MICE産業をけん引してきたPCOやプランナー業界は、MICEの誘致・開催件数をあげるための手段手法の提供に始まり、施設の稼働率や経営効率を上げるマーケティング、そして国際会議場等の専用施設の運営委託や建設計画段階からの関与等、業界の成長に伴い総合的に「出会いの空間を作る」ことまでも期待されるようになっていった。

本文では昭和、平成、令和と時代が進む中で、コロナという地殻変動的な出来事を機に、MICE産業が得意としてきた「出会い空間をつくる我々の時代が来た!」ということについて改めて考察してみたい。また、次代を担う若い人たち「X世代、Z世代」が、コロナ禍に翻弄されながらデジタルと向かい合い活用し、「人々との出会い」や「MICEという出会い空間」をどのように受け止め、実践してその次の世代に繋げていくのかについても考えてみたい。

2.出会い空間のつくり方とコロナ禍

それは、2020年の春、COVID19という感染症から始まった。人々が集まり対面でのあらゆる催事から通常のおしゃべりから会食はタブーとなり、果ては雑談までが困難な世の中になり「3密(密集・密接・密閉)」なる新しいWordも生まれた。3密こそはMICEそのものの状態であろう。過去に体験した「SARS」「MERS」といった感染症なら、いつも通り数か月で回復し日常へと戻るであろうと誰しもがそう思っていた。
 それから一年以上にわたり、「MICE」の開催は困難になり、「3密」対策のための人数制限、面積と収容人数、更にはICTを駆使した遠隔など感染を防ぐための多様な工夫が世界中でなされている。奇しくも日本では「デジタル化」や「DX」(Digital Transformation)の遅れとそのための理解促進等と相まって、働き方改革における在宅勤務、文部科学省が2019年暮れに打ち出した「GIGAスクール」構想等が否応なしに一気に押し寄せたことで、一部では様々な混乱が生じている。昨年の国民全員に対する一律10万円の給付通知方法から、最近のコロナワクチン接種申込等の不具合により、一層のデジタル化を声高に掲げる人々も多い。

東京ビッグサイトをはじめとするMICE施設が、緊急事態措置を受けて施設の使用停止の要請(休業の要請)、施設の使用制限の要請(営業時間短縮の要請)、催物(イベント等)の開催制限等が指示された(要請)。こうした公共的な施設では、致し方のない措置とは思うが、MICE施設の利用の仕方のみならず、その在り方や作り方についても色々と考える今日この頃である。長い建設計画から施工を経て、夢と希望を満載にしながら竣工したMICE施設は、群馬、熊本、福岡、長崎等全国に多くある。また、建設の遅れや諸般の事情により建設の遅れ(栃木県)、計画そのものの立て直し(札幌)といったところもある。
 こうした一連の流れの中で、私が長年携わってきた「MICE」という出会いの空間とその作り方について、MICE施設、管理者・設置者、MICE主催者、MICE参加者等の側面から雑駁ながらの考察してみようと思う。また、リアルタイムにこうした現状を体験・体感しているZ世代の「MICEという出会いの空間とその作り方」にどんな変化がありそうなのかも併せて考察してみよう。

3.過去から現在に続く出会い空間の作り方とPPP官民連携

日本に国立の国際会議場が出来て既に50年超。1966年に京都宝ヶ池に「国立京都国際会館」(設計・大谷幸雄)である。1962年閣議了解により日本で初めての国際会議場を公開コンペで建設することとなり、京都・宝ヶ池に決まった。当時の担当国務大臣は、河野一郎建設大臣兼オリンピック担当大臣であったそうである。(奇しくも現ワクチン担当大臣・河野太郎氏は、その孫である)
 同施設は、国立の施設としては初めてであり土地と建物は国が保有、「国有の会議場施設の管理の委託等に関する特別措置法」(昭和40年法律第133号)に基づいて京都市に管理が委託され、さらに「財団法人国立京都国際会館」に再委託されている。国立の会議施設としては、その後「パシフィコ横浜国立大ホール」がある。
 国際会議場や国際展示場等の公共施設は、広い土地、利便性の高い場所、巨大な構造物と大きな建設費、完成後の維持管理、国際会議の誘致や運営といったことまで幅広く長期間に渡るケアが必須である。こうした公共施設は、昭和の頃には「箱モノ」と言われながらも、ともすれば面積や座席数等を誇示するような風潮があった。国立の施設はほとんどなく、その設置については基礎的自治体の公共サービスの範疇であった。

1990年代以降、こうした公共サービスや公共事業は自治体等の公共が担ってきたが維持することが困難になり、様々な民間参入やNPO等の住民参加等が活発になった。いわゆる「PPP(Public Private Partnership)」公共サービスの提供に民間が参画する手法を幅広く捉えた概念、「官民連携」とも呼ばれている。

  • 業務委託(施設等の警備、清掃、受付業務等の一部の民間への業務委託)
  • PFI法(1999年)公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法
  • 指定管理者制度(2003年)
  • コンセッション方式(2011年PFI法改正により建設+運営権)

この20年で、特定の業務委託方式からPFI方式、指定管理者制度を導入することで全国に国際会議場、国際展示場等が多数竣工、建設中、計画中のものもある。特に、2019年にオープンした「愛知県国際展示場・Aichi Sky Expo」は、日本で初めてのコンセッション方式で設置された展示場である。また、「みなとみらい21中央地区 20 街区 MICE施設運営事業」ではコンセッション方式を取り入れて「パシフィコNORTH」という形で2020年にオープンした。
 こうしたMICE施設の建設方式により維持管理、運営、経営、誘致、資金調達に至るまで民間ノウハウの導入により大規模な出会い空間が増えていくことは、MICE業界のみならず、この空間を利用する全ての人々にとっては大きな希望である。

4.出会い空間の使い方とそのドラマ

私事で恐縮であるが、日本の国際会議場の草分けである「国立京都国際会館(通称・京都国際会議場)」に出会ったのは、PCO(Professional Congress Organizer)としてデビュー間もない1981年。この春、異動により東京から京都勤務を命ぜられ着任。それまではどちらかと言えばインバウンドでのIncentive Tourによる訪問が多く自動車等日本製の製品を世界に売って売って売りまくった海外のDealerを案内しながら必ず立ち寄った京都。中学の修学旅行以来、100回以上来る機会があったが、暮らすのは初めて。以来、三年の京都暮らし。
 この施設の設計は、「大谷幸雄(1924年~2013年)」は、稀代の建築家・丹下健三の弟子であり片腕である。多層階になっていて移動に苦慮する不思議なロビー回りは彼のこだわりの中で完成したそうであるが、2006年に開催された「第2回国際ユニヴァーサルデザイン会議」では、施設としての「UD」には配慮できてないなと思った。とはいえ「UD」という考え方は、1985年なのでこの会議場が出来た頃にはなかったものなので仕方はない。最近テレビでやっていた「新美の巨人たち・国立京都国際会館」の中で、設計者の大谷幸雄がこだわったのが、「ロビーである」という言葉。確かに「ロビー活動」や「Lobbyist」という言葉があるように、会議中の議論の他に必要な空間として「議場以外の場所」や突っ込んだ立ち話や、国や組織、立場等に関わりなく個別に本音の話が出来る「空間の提供」は、国際会議等では非常に重要なことである。
 第3回世界水フォーラム(2003年3月16日~23日)では、会期中にイラク戦争が勃発し、同年3月20日にイラクへ侵攻したことで始まった軍事介入。会議始まる直前に、世界中を駆け巡ったのが米国ブッシュ大統領による有志連合によるイラク全面攻撃による最後通牒。会議場にはイラクの代表団がいた。どうするのか関係者が固唾をのんで見守る中、全面攻撃が始まると帰国できないということで、彼らは会議場を後にした。ロビーで見送った記憶がある。「世界はこの瞬間にも動いていてドラマがある!」、と心が震えた。

5.出会い空間での思わぬリスク

世界各国から要人が集まる国際会議では、思わぬ出来事が運営上のリスクになり対応を迫られることが過去にあった。
 国際会議Conventionの記憶の中にあるリスクでは、古くは日中国交正常化と日台断交(1972年)後の参加者名簿の中における参加国の名称問題、東西冷戦終了までの1989年以前に頻繁にあった参加中の科学者亡命問題、イラン・イラク戦争(1980)から湾岸戦争(1990)にかけての基調講演をはじめとした参加者の移動や参加者同士の密接(シャトルバス等への誘導)等の問題が続出。
 また、人種問題として南アフリカ共和国のアパルトヘイト撤廃(1992年)までの同国の扱い。「スポーツにおける反アパルトヘイト国際条約(1985年)他、国連決議による経済制裁など国際交流の制限によって、「南アフリカ共和国」の名称が参加者リストから除かざるを得なかったこともあった。20世紀末までは戦争や動乱等による混乱は国際会議を扱うPCOでも強く意識せざるを得なかった。古くからある「中東問題」も同様で、中東諸国が参加する場合には、シャトルバス等の運行に気を遣った。

AIDS・後天性免疫不全症候群(日本では凝固因子製剤による感染症例・薬害エイズ事件として1985年の国内初の発症)、国際血栓止血学会(1989年京王プラザホテル)、第10回国際エイズ会議・横浜市(1994年)が開催される際には、現在流行している「新型ウイルス」による飛沫感染と粘膜に直接触れることで感染することの違いも判らず、運営するスタッフやシャトルバスの運転手も感染リスクが大きいのではと心配したものである。この辺りから国際会議の開催リスクに、戦争・動乱・テロ等の他に感染症が入ってきたことになる。第六回国際ウイルス学会(1984年仙台)あたりまでは、他人事であった。
 21世紀になると、アメリカ同時多発テロ事件(2001年)、BSE・牛海綿状脳症(2001年)、SARS・重症急性呼吸器症候群(2003年)、鳥インフルエンザによるヒト感染(2004年)、MERS・中東呼吸器症候群(2012年)等、多くの感染症が発症し細菌もウイルスも混同しながらせいぜいマスクを用意する程度の対応をしていた。BSE・牛海綿状脳症の時には、パーティーでのビーフメニューを排除するといった話題が上ったくらい。流石に「豚コレラ(豚熱(CSF)」では、こうした話題はなかった。

6.出会い空間と「2.5次元」へのシフト

昨年一年間、例えばテレビではゲストや出演者が大型モニターを利用した番組、無観客でのスポーツ大会、ZOOM等を利用した遠隔会議等、多くの経験をした。テレビ番組はともかく、自分自身が「遠隔での参加者」になる日が来るとは思わなかったと思う。しかし遠隔という手法は昭和時代からあり、「衛星中継」によるインテルサット等をKDDに借り、不安定な状態での「東京・ニューヨーク・ロンドンの三元中継」に中継車やら連絡用の電話回線等も周到な準備で行っていた。

ミレニアル世代を象徴するWindows95以降は、国際会議で利用していた視聴覚機材であった「35mmスライド」、「16㎜film」学会によっては「OHP(Overhead Projector)」による先生方のプレゼンテーションが劇的に変化。個人でもコンピューターが普通に駆使できる環境が整い始めた。AppleのclassicⅡ、ソニーVAIO等を含め会場にはパーソナルコンピューターによるプレゼンテーションが当たり前となった。視聴覚ツールとIT技術の大きな変化である。
 昨年からのコロナによる劇的な変化は、空間そのものがリアルな三次元「対面」からまさに対面だがモニターの向うとコチラの「2.5次元」へとシフトした。

7.出会い空間とZ世代

多くの大学では2020年の新学期から対面ではなく、遠隔での講義を余儀なくされた。これは全国の大学等で普通の風景となっていた。一部の実習などが関わる授業以外、ほぼ全部の講義やゼミが遠隔となった。また、2020年春の卒業式と入学式は中止又は遠隔等の扱いとなった。それから一年を経て多くの課題やその解決がなされた。

  1. Wi-Fi等、通信環境の充実
  2. 当初、アパート暮らしの学生は授業が始まるとZOOM等から授業に入るが学生が一斉に使うので、通信が途切れる現象が多発。また、自宅の場合には、親の在宅勤務等のため家庭内での場所の取り合いや通信環境の不具合等が多発。
     これが数か月経過すると、ほとんど解決しスキルもアップ。教員も同様の現象があったが、これも解決。

  3. 講義やゼミの進行方法の充実
  4. 最初は教員と学生の間での送信・受信だけで精一杯。通信速度やマシンの環境により映像や音声が途切れること多し。また、生活音や背景なども工夫出来ずに垂れ流し状態。
     後半になると、質疑応答、分科会、レポート提出など案外スムーズ進行出来るように。更には双方のプレゼン資料をトレスなく共有も可能になった。

  5. コミュニケーションの組合せ
  6. 遠隔授業(双方遠隔のコミュニケーション)
     オンデマンド授業(教員が映像制作、サーバーしアップ都合のよい時間に受講)
     対面授業(教室内におけるリアルな授業)
     これらを組み合わせたシラバスの組み立てと授業の参加

実は、これら全ては現在言われている「ハイブリッド方式MICE」に合致する。今年大学一年になった学生は2001年以降生まれが多い。4年生でも1999年以降の生まれが多い。この世代は、大学入学時から普通にハイブリッドでの講義やゼミに参加を余儀なくされている。昨年の就職活動からは、遠隔による企業説明会や面接はごく普通の風景である。昭和世代の筆者ように「やっぱりリアルな対面だよ!」と声高に言っても、それが出来ない環境が常態化している。
 この春から、義務教育では「GIGAスクール」の先取りで小学校1年生からタブレット等が支給されている。先生や家庭は変苦労されていると思うが、子供たちはじきに慣れてサクサク使えるようになるはずだ。Z世代以降をなんと言うかまだピッタリな名称は無いようだが、こうした環境で育った子供たちが、今後は毎年社会に輩出されていく。コミュニケーションとツールの異なる人種が増加する、三次元のMICEから2.5次元のMICE,果ては4次元のMICEへと変化しシフトしていくのだろう。人と人が出会うとか、熱く語るとかの「出会い空間のMICE」がどのように進化して行くのかが想像できにくい世の中になった。

しかしながら、遠隔・ハイブリッド等の方法によって、時間、空間は確実にコントロールできる部分が出来てきた。また、地球上どこからでも参加することも可能になったことと、生まれながらにしてこうした環境にある人々は確実に増えて、そう遠くない将来、Z世代とその次の世代は世の中の主流になる。いい意味で、異なった見方が出来る「オッドアイを持つ(Odd-eye)の猫」のように。

<参考>
新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等(東京都)
https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/1013870.html
PFI・PPPについて(日本PFI・PPP協会)
https://www.pfikyokai.or.jp/about/
名古屋市国際展示場新第1展示館整備事業に係るPFI手続き(名古屋市)
https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000093675.html
MICE 施設のコンセッション活用事業(横浜市 文化観光局 観光MICE振興部)
http://kenmane.kensetsu-plaza.com/bookpdf/254/fa_07.pdf