“Tourism × まちづくり” 住民と交流人口が交じり合うまちづくりの実現に向けて(鼎談)

ローカルの価値が再発見され、住民と来訪者の境界が薄れている新たな時代のまちづくりはいかに行われるべきか。台東区 前都市づくり部長 伴 宣久氏、(一社)地域力創造デザインセンター 代表理事 高尾 忠志氏、シグマ開発計画研究所 常務取締役 原 拓也氏に地域行政、学識者、開発コンサルタントの各立場での取組や想いを聞いた。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長

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目次

SNSの浸透や価値観の多様化によって、従来「観光地」と呼ばれていないまちにも人が訪れるようになった。一方で、地域の人口減少に伴い、” 地域を運営する人”が減り、地域の中を「観光エリア」と「居住エリア」に分断することができなくなっている。
 グローバルの潮流の中でローカルの価値が再発見され、コロナ禍において”マイクロツーリズム”が提唱される中で、新たな時代のまちづくりはどのように行われていくべきものなのか。地域行政、学識者、地域経営を支援するコンサルタントそれぞれの立場で実施する取組や未来への想いを聞いた。
※本記事は、2021年8月11日にJTB総合研究所が実施したオンラインセミナーでのパネルディスカッションを基にしている。

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1.近年のまちづくりの潮流

―多数の主体が「つくる」「つかう」ことを見据えたプロジェクト推進―

【河野】
まちづくりはかつて、大手のゼネコンによって行われ、今でも大都市部においてはその傾向が続いている。一方で、いわゆる下町や住宅地域、地方都市においては、住民のまちづくりへの参加を促すことが一般的なステップとなってきており、住民と来訪者双方が快適に過ごせるまちづくりが求められている。近年の、そして未来に向けたまちづくりの重要なポイントとは何か。

【原】
千葉県鎌ケ谷市における「鎌ケ谷駅東口プロジェクト」では、NPO法人KAOの会を設立し、ビル開発を実施。NPOは住民と行政から委託を受けてテナント管理運営業務により、定期的な収入を得ている。まちの運用に関わる資金調達等の持続可能な取組をコンパクトに実現している事例と言える。名古屋市納屋橋東地区の再開発事業では、住民が使用できる交流空間、倉庫、バックエレベーター、賃料のかからないバックオフィス等を整備し、オーナー組織、自治会、遅延組織が経済的に補完し合えるような体制を構築した。エリアマネジメントで重要なことは、空間づくり・ルールづくり・体制づくりの3要素が相互に連関すること。これらについて地元と話し合いながら進めていくやり方が、近年非常にやりやすくなってきたと感じている。

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鎌ケ谷駅東口プロジェクト「NPO法人KAOの会」(千葉県鎌ケ谷市)
資料:原氏提供

【伴】
台東区は特性の異なる7つの地区に分かれており、2割が住宅地、8割が商業地。区民の意識調査により、観光客の増加を好ましくないと感じる住民も一定程度いることが把握されている。そのような状況の中で、台東区の都市計画マスタープランでは、居住と観光の調和を図りながら賑わいを創造するまちづくりを目標としている。直近では、上野駅周辺地区において、騒音等の原因となる観光バスへの対策として、専用駐車場や予約システム導入を通じた駐車対策や、横断歩道をロータリー化する等の動線の修正を実施した。観光客増が地域の負担にならず、且つ観光客にも不便を強いることのないようにするためのハード改善が重要。

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JR上野駅公園口周辺整備(東京都台東区)
資料:伴氏提供

【高尾】
まちや空間には、ハードウェアがあり、OS(仕組み)があり、そのうえでソフトウェアがある。ソフトウェアだけを新しくしてもうまくいかず、ハードウェアや規制緩和等の仕組みの改善をしつつ交流を産業化していくということにチャレンジしている。
公共事業はこれまで「つくる」ということを目標に進められてきたが、近年は価値観が変わってきており、「つかう」ということを考えながらつくるという「つかう」と「つくる」という2つが一体的に議論できるようになってきた。
長崎駅周辺整備のプロジェクトの中心メンバーとなって活動しているが、設計段階から駅ができたらどのように使いたいか、住民や経済界から意見を聞きながら進めている。公共事業には様々な主体がいる。ハードウェアを更新するときにも、出来上がったあとの仕組みをつくるときにも、エリアの未来について関係者がビジョンを共有し、相互に関係しながら推進していくことが重要になっている。

2.まちづくりのプロセス

―住民の「基地」となる場所を起点として活動の輪を拡大する―

【河野】
行政の大きな役割として、つくったビジョンを発信し続ける、まちが運用される仕組みをつくっていくということがある。「暮らしと経済や交流の両立」を目指して持続的なまちを作っていくために、何年後の未来にどんな社会になっていることを想定し、どうやって住民や事業者などをそのビジョンに共感させていくのか、そのプロセスで重要な視点とは何か。

【伴】
上野地区のまちづくりビジョンについては、上野の将来像として「杜の文化とまちの賑わいが共演する舞台”上野”~世界の粋・東京の粋~」という言葉でイメージ共有を図った。現在は、上野公園を中心とした「杜(もり)」と、アメ横を中心とする「まち」のプレイヤーや来訪者像が分離しているが、将来的には、杜とまちのプレイヤーが融合し、全体の活躍の場が広がっていくということを目指す。ビジョンのイメージを感覚的に共有できるようにするために、JTB総研と協力し、将来の上野駅周辺の未来図をイメージイラストとして作成した。一枚の絵でまちの未来図を共有できるということは重要。
今は、行政が主導してハード整備をするという時代ではなく、地元を支援する役割が大きい。地元の団体に資金援助やコンサルタント派遣等の支援を行い、まちのビジョン案は地元から区に提案いただき、学識者や国、東京都、鉄道等による策定委員会での議論を経てビジョンを策定した。策定後も、委員による地元団体への講演会などを通じてビジョンの共有と浸透を常に図っている。
現在は、ビジョンに基づいて、東京藝大付近を「アートクロス」というアートを軸とした公共空間にしようという整備を実施しているほか、藝大周辺エリアから鶯谷駅に向けての動線を強化するための修景を協議しているところ。

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上野地区まちづくりビジョンの策定経緯
資料:伴氏提供

【河野】
近年のまちづくりにおける様々な主体、プレイヤーはどのようにして増えていくのか。

【原】
人を絡めていくやり方にはマニュアルも王道もないが、戦友になる・感動する時間を共有する場や機会づくりが重要。
川崎で鹿島田駅周辺のまちづくりを支援しているが、集客の核となるような大型の施設整備からスタートするのではなく、地域のコミュニティ拠点となる小さなカフェの整備から始めた。その拠点で様々な交流イベントを開催し、集まる人ができる。人の輪が大きくなり、互いが安心して話ができる関係が築かれていく中でアイデアが生まれてくる。アイデアを具現化する小さな動きがいくつも動いていく中で、行政の関心が高まり、支援の手が伸びてくる。まちづくりを進めていくための選択肢のひとつとして再開発事業の可能性が見出されたとしても、再開発は手段であって目的ではない。地域関係者が、自分たちのほしい機能・空間をつくっていくために、再開発という手段を活用するというのが正しい再開発の使い方だと考えている。
 
初期段階にはクリエイティブ性やローカル性の醸成が必要。行政の上位計画の中で、自分が楽しめるという方向性を見つけられたら、全体のベクトルにも寄与できる。まちづくりの初期段階における議論では、中核人材は強いパッションや逸脱してはならないまちづくりのルールや信念を持っている必要があるが、新たに関与してくる人たちにおいては、参入離脱も自由で、非計画的で、未完成な感覚を持つことが必要。
川崎市では、ワークショップを重ねて得られた住民意見を詰め込んだ架空の都市の絵を作成し、それを使って大人のディスカッションから子供の塗り絵に至るまで、様々なイベントを実施している。その活動を通じて、小さな子供から大人までがまちに対する自分なりのビジョンを見出していき、交流の場でゆるく自然にまちづくりの話ができるという状況につながってきている。

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基本概念:再開発事業は 地域価値向上の「手段」である
資料:原氏提供

【高尾】
観光が単に地域に人を何人呼んだという世界から、体験を提供する、いわゆる人と人との交流に定義を変えなければいけない状況にある。観光を交流として定義を変えれば、住民と観光客という構図自体が変わってくる。原さんが述べたような、地域の中の小さな変化がいくつも起きて、地域のみんなのものの見方が変わっていき、その変化に交流人口が加わっていく、という積み重ねが新しい地域をつくっていく手法の王道になっていくと思う。
一方で、ハードウェアやOSを更新するためには、行政計画が存在することも不可欠。行政とまちが協働で策定する大きなビジョンと、現場で起きている有機的なできごとをつなぐシステムの構築が、まちづくりの中では非常に重要だと考えている。
台東区のビジョンづくりを支えてきた方々のように、それぞれ異なる得意分野を持つコーディネーターがいるチームが地域の中心にいると、その地域は大きく変わると思う。仲間づくりにも、コアチームの仲間、現場で事を起こす仲間と、いくつかの段階やレイヤーがあるのだろう。

3.まちの顔づくり

―まちの顔はひとの日々の営みとまちの“使われ方”で形成される―

【河野】
全国のまちが定住・交流人口増に向けた厳しい競争にさらされている中で、まちのオリジナリティの確立が重要視されている。まちを通じて、地域の個性をどのように表現していくべきか。

【高尾】
オリジナリティの問題は常に難しい。例えば、駅については地域の顔にしたい、オリジナリティのある駅にしたいとどの地域も思っている。
今、長崎市は「100年に1度のまちづくり」として様々な開発が進んでおり、その中核に2022年秋に西九州新幹線が部分開通する予定の新長崎駅がある。周辺景観との調和やコスト、利便性などが重要視される現代においては、建築物として個性の強いものを作れるケースは極めて少ない。そこで、駅の空間デザイン等で長崎らしさを表現するのではなく、器を作ってそこで地域の色々な人が時間帯や季節に応じて活動することで、長崎らしい駅とするために、できるだけ使いやすい駅にしようという割り切りを持ったことが議論の分岐点になった。
駅そのもので地域を表現するのではなく、駅を降りたときにまち全体の風景がどのように見えるか、ということが「長崎市らしさ」を表現するのに重要だという周辺景観との調和や視点場としての駅の役割を考えるという議論につながった。
 
また、夜景は、地域のオリジナリティに即した取り組みであると考えている。夜景の光は1つ1つすべて人間が点けているもので、どこを照らすか人間が選択できる。見てほしいところに光を当てることについて地域で合意形成することにより、地域で共有できるコンテンツになる。長崎市ではライティングの見直しを行ったが、観光地として有名な眼鏡橋のライティングを変えたときに一番喜んだのは毎日その景色を見る住民の方々だった。特に観光地においては、住民と観光客の活動範囲の違いによって、双方が日々目にする日中の風景は異なる。しかし、夜景は観光客も住民も横に並んで同じものを見る。まちの中で、住民と観光客が混ざれる場や機会、状況をつくっていくことが重要で、人がどんなところに混ざり集まっているか、そのこと自体がまちのオリジナルな風景を生み出していくと感じる。

【伴】
台東区では、7つの地区ごとに顔をつくって行きたいと考えているが、居住と観光が混在する谷中地区の事例を紹介する。
谷中地区は古い建物が数多く残っている。東京藝大の卒業生が地元に入っていく例が多く、古いアパートを借り受け、地域の人が交流するような場所やアートイベント、カフェ等を営業する日本家屋が複数ある。大きな宿泊施設はないが、古い建物を改装して周辺の店舗や銭湯を使用することを前提としたアルベルゴ・ディフーゾ(地域と一体的な機能分散型ホテル)も展開されている。古い日本家屋が並ぶ風景というハードウェア自体がまちの顔というわけではなく、地域特性であるそれらのハードを活かして、地域の人自身が行っている取組の集積が、谷中地域の「古いけど先進的なまち」「古いけど生きているまち」というイメージを形成している。

【原】
以前、台東区の事業で訪日外国人にアンケートを取ったところ、ヨーロッパから日本に2回以降来訪している方の多くは地域の日常生活を体験したいと回答していた。地元の人が何を愛して、大切にしているのかを知る、体験する、感じることが一番の感動体験であると思う。まちづくりにおいても、特に有名な寺社仏閣がなくとも、街中のパブリックスペースを大事にしていく、それを来訪者に喜んでもらいたいという思いがベースにある。
かつて飛騨高山を訪れた際、自宅軒先の一輪挿しに花を挿している老婦人を見かけ、その仕草からまちを愛していることや品を感じて、それが自分にとっての飛騨高山というまちの印象を形作っている。
「まちの顔」とは、「まちの印象」であり、その印象を構成するのは「まちの人々の姿」。
自身は、「その幸福感は、土地に付着する。」という言葉を好んで使っている。来訪者は、その土地に付着した幸福感を感じることができると思う。日々のなんてことのない繰り返しこそが、価値になる。

4.おわりに

―来訪者を取り込んでまちの風景にすること―

建築や土木、都市計画、都市工学などのハードウェアを専門とするまちづくりのエキスパートたちが揃って、持続可能なハードウェアをどのようにデザインし整備継承するかではなく、「まちは人なり」と語ったことが極めて印象的であり、そこに現代のまちづくりの本質があることがわかる。
まちは、生き物である。そこに住む人や訪れる人の活動が日々の風景を毎日異なるものに変え、その風景がまちの顔となり、まち独自のイメージを形成する。「下町らしさ」を表現するのは対面販売の呼び込みの声であったり、「渋谷らしさ」を構成するのは、挑戦的・実験的な試みが可変的に展開されるMIYASHITA PARKの取組やそれに呼応して集まる若者の姿であったり、「農村地域らしさ」を構成するのは、季節ごとに変わる畑の状況や農作業の光景、匂い、地域のまつりであったりする。
来訪者がまちを眺めたときに、そのまちの風景に溶け込んでいる自分自身の姿を想像できるか、そこに混じってみたいと思わせることができるか。来訪者にまちを消費させるのでなく、来訪者をまちの風景の一部にして、来訪者が混じった景色がまるごとまちの顔になることが目指されている。