この10年の旅行者および旅行のあり方の変化について ~JTB総合研究所10周年によせて~
JTB総合研究所は今年で10周年を迎えました。この間、東日本大震災からの復興、国を挙げた観光先進国への取り組み、インバウンドの急拡大、そして新型コロナの世界的流行など、日本のツーリズムが大きな影響を受けた数々の出来事がありました。この10年間の旅行者および旅行のあり方の変化を振り返り、本格的な旅行復活に向けて動き出したツーリズムのこれからを考えます。
波潟 郁代 客員研究員
西武文理大学サービス経営学部 教授
目次
当社は「JTB総合研究所」として事業を開始し、今年6月で10周年を迎えました。2012年のJTB創立100周年が契機でしたが、背景には、頭打ちの経済状況と前年に起きた東日本大震災からの復興を急ぐ当時の日本社会において、いずれツーリズムは業種を超え重要な存在になるという確信と希望が込められていました。それから10年間、東日本大震災からの復興、東京五輪の開催決定と観光先進国への取り組み、インバウンドの急拡大、そして新型コロナなどと、起伏に富んだツーリズムの姿と向き合うことになりました。本稿ではこの10年間で見えてきた旅行のあり方の変化を旅行者起点で簡単に振り返り、ツーリズムのこれからを考えます。
1.旅行のあり方の変化と影響についての考え方
過去およそ10年の間に、2011年の東日本大震災と復興、2013年の2020東京大会の開催決定と観光先進国への国を挙げた取り組み、インバウンドの急拡大、そして新型コロナの世界的流行などと、社会の光景を変え、ツーリズムにプラスにもマイナスにも大きな影響を与えた数々の出来事がありました。かつてJTBの広報担当として、リーマンショックや東日本大震災による厳しい決算発表を行った際、「ツーリズムに与える大きな影響」についてよく考えました。考え方は2つあり、1つは、社会をゆるがす出来事や事象が経済活動や生活者の行動などに直接与える影響、もう1つは、その出来事がきっかけで生活や行動が変化した結果起きる影響です。足元では前者の方が経済的なインパクトは大きいですが、後者の方が、対応次第ではその変化が構造的な問題に変質し、結果被る影響が深刻な場合が多いと考えていました。また変化は、出来事が直接起こす場合もあれば、徐々に進んでいた変化が、出来事を機に速度を上げる場合があると考えます。コロナ禍の安近短の旅行傾向は前者、リモートワークやワーケーションは後者でしょうか。いずれにせよ変化の芽をいち早く察知することがテーマになり現在に至ります。
次節では、10年間の旅行者および旅行の変化と影響について、過去の調査などからポイントを絞り、前述の間接的、中長期的な視点で整理します。
2.過去およそ10年間の生活者・旅行者の変化
(1)旅行・観光スタイルの変化を促進したSNSの存在
2019年に「進化し領域を拡大する日本人の国内旅行(2019)」という調査研究を発表しました。そこで「旅行のあり方の変化」について図表で説明しています(図1)。
旅行は「目的」から趣味や自己実現の「手段」になり多様化へ
これまでの観光とは、古くは高度成長期まで遡ります。右肩上がりの経済発展とともに、日本人の生活が向上し、レジャー志向が高まりました。旅行は「晴れの日消費」の象徴として行くこと自体が「目的」という存在でした。旅行の個人化も同時に進みましたが、その後登場したインターネットの黎明期までは、旅行情報の提供元は基本的に観光地や旅行・観光事業者、マスメディア媒体に限られ、その情報に基づく旅行者の行動は画一的でした。その後、社会や経済の成熟化やネットの汎用性が高まり、個人の価値観やライフスタイルの多様化とともに旅行スタイルも多様化しました。結果、旅行は趣味や自己実現を体現する「手段」へと変わっていったといえます(図1)。
SNSは旅行者の行動範囲を広げ、地域との関係性を進化させた
今では誰もがスマートフォンを所有し、SNSによるネットワークが構築され、情報の取得だけではなく「発信」により「個人」の力がより強まっています。SNSは旅行者の行動を広げ、地域との関係性を進化させた鍵の1つといえそうです(図1、2)。SNSの初期、東日本大震災直後に日本全体が自粛ムードになった時、お花見をして東北の日本酒を楽しんでほしいという東北の人々の発信が共感を呼び、消費で応援するという考え方が広がりました。新型コロナの緊急事態宣言下ではオンラインツアーが広がりましたが、観光地以外のツアーも多く、前提に地域と旅行者の関係性の進化と、従来の観光地ではない地域も潜在的旅行者と繋がりやすくなったことが考えられます。
従来の旅行は、行動の多くは「観光地の観光エリア」での物見遊山で画一的でした。SNSで面白い地元生活者の発信情報の取得が可能になり、旅行者の行動は旅先での本物体験を求め、「旅先での生活エリア」へと広がりました。そこに根付く生活文化、産業や携わる人に魅力を感じたり、共感したりと、従来とは違う特別な地域への思いも広がるようになり、地域と旅行者との関係は双方向型となり、旅行者自身の発信が地域のブランディングに関わる構図ができていきました(図2)。訪日外国人旅行者も同様と考えらえます。
コロナ禍で旅行は一時的に従来型のスタイルに戻ったが・・・
コロナ禍以降の旅行は、「安全安心、近場に近い関係の人と、短期間」をベースに、従来型の旅行スタイルへの揺り戻しがみられました。祭りやイベント、交流事業の中止、感染者数の多い地域の旅行者の移動制限と住民感情の影響で、旅行者側も地元住民との接触が少ない、温泉街のような観光地の観光エリアで過ごせる場所に人気が集まっていました。コロナ禍のストレスからか、旅行目的は「リラックス」が高く、また「理由がなくても旅行に行きたい」が定点調査のたびに上昇していました。
現在、ワクチン接種が進んだこともあり、外からの観光客を受け入れることに対する住民の寛容度も上昇しています。今年、地域は感染防止対策を徹底しながら、イベントをリアルに実施する動きが増えています。例えば、新潟県で「越後妻有 大地の芸術祭2022」が3年に1回が1年遅れで開催されるなど、地域の生活文化に触れる旅行も徐々に復活しつつあります。一時的な揺り戻しはあったものの、図1で示した国内旅行は、再び領域を拡大し進化し続けると期待できます。
※参考資料:JTB総合研究所「新型コロナウイルス感染拡大による、 暮らしや心の変化と旅行に関する意識調査」シリーズ
(2)旅消費をけん引した世代と世代交代
この10年の旅行消費に象徴的な世代は、シニア消費の団塊世代、若者消費のZ世代があげられます。同じシニアや若者でも、育った時代背景の違いが世代の特徴となり、価値観や行動に影響します。当社の調査研究からまとめた各世代の特徴は下表となります(表1)。どの世代も成人する頃の体験が、その後の価値観や消費に影響すると推察できます。世代は数年単位で変わり、この10年はシニアにも若者にも世代交代が起きています。
シニア消費は団塊世代から、次世代のポスト団塊・初期バブル世代へ
2010年前後に団塊世代が定年退職を迎え、シニア消費が注目されました。第一次ベビーブーム生まれのこの世代は人口が多く、退職金と自由な時間に旅行消費の期待が高まりました。しかし既にこの世代もすべて70代となり、健康不安を抱える人も増加しています。
次世代はポスト団塊とバブル世代初期。この世代は上の年代より景気低迷の期間を長く過ごし、特にバブル世代は将来の生活資金に不安を感じる割合が高い傾向です。しかし、若い頃の旺盛な消費体験から、出すときには出すというメリハリ消費の一面もあります。海外個人旅行はバブル世代の若い頃に広がり始めました。彼らは若い頃からパソコンでインターネットを利用していたため、スマホだけを利用する若者より、様々な情報源から情報収集し、過去の経験値から選択、活用することに長けた世代といえます。次世代シニアは現役時代から「人生100年時代」が取り上げられ、今後の人生を自ら問う世代といえます。この影響も考慮し、図1の次世代シニアの旅行はどう進化するのか注目したいと思います。
参考資料:JTB総合研究所 「シニアのライフスタイルと旅行に関する調査(2)~シニアと呼ばないで!“次世代新シニア”時代の到来に向けて~」
旅行をする若者、Z世代
インバウンドが増える一方で、日本人の海外旅行者数が伸び悩んでいた2015年頃から20代前半の出国率が上昇しました。Z世代が成人し始めた頃で、金融危機の時期に成人を迎えたミレニアル世代との若者の世代交代が始まりました。Z世代が旅行をする背景には、経済環境が比較的安定し、雇用環境が良かったことがあります。Z世代はコロナ禍の国内旅行もけん引し、しばらく続くと考えられます。詳細は、筆者コラム「社会や消費のあり方を変えるZ世代の影響力と旅のあり方について」を参照ください。
未知数のα世代と消費の可能性
Z世代に続く世代として「α(アルファ)世代」が注目され始めました。2010年以降に生まれた小学生以下の子供たちを定義しています。この世代の特徴は、Z世代以上にデジタルネイティブであること。AIやVR、メタバースを始め次々と登場するデジタル技術を抵抗感なく実活用する柔軟な発想に期待がかかります。α世代自身には購買力はありませんが、デジタルツールや教育費などで既に親(および祖父母)の消費に影響を与えているといわれています。また人生におけるコロナ禍の割合が長く、国際情勢や気候変動などのニュースが日常的に流れる環境下にいることから、社会課題への関心もZ世代以上に高まることが予想されます。Z世代と同様に、注目され始めの現段階は購買力がなくても、成人する頃には社会や消費のあり方を変える世代として、旅行にも想像を超える影響を与えるかもしれません。2030年まで目が離せません。
(3)日本の旅行消費の潜在的なポテンシャルは
国内の旅行消費額の過去10年間の推移をみると、2012年の総額は21.8兆円、コロナ禍前の2019年は27.9兆円と6.1兆円増加しました。そのうち3.7兆円が訪日外国人の消費額増加分ですが、日本人の国内宿泊旅行も2.2兆円増加しています。日本の総人口は2010年をピークに減少に転じ、2012年~2019年まで103.8万人減少した(総務省統計局)ことを考慮すれば、日本人の潜在的な国内旅行需要は根強いものがあったといえます。また外国人観光客拡大に向けた基盤整備が日本人の旅行意欲に多少なりとも影響したと考えられます(表2)。
一方、金融危機、新型コロナなどの世界的な危機が起きた際、日本は消費の回復が他国に後れをとる傾向にあります。今年の春の大型連休は3年ぶりに緊急事態宣言の発令がなく、ようやく旅行が動き出しましたが、欧米の旅行動向ほど熱気は感じられませんでした。こういった違いはどこから来ているのでしょうか。
図3から、日本の消費は他のOECD加盟国と比較すると長い間低迷していることが分かります。2015年の水準を100とした場合、日本だけ変化があまりみられません。新型コロナの世界的流行が始まった2020年春、都市封鎖で経済活動が停止しましたが、日本の小売売上高は他国より下がりませんでした。逆に経済が上向いても、他国ほど上昇することはなく、100前後で推移しています。所得が上らず、物価上昇もない環境が長く続き、将来の不安から他国と比べて構造的に消費の力が低いことが分かります。旅行需要を維持するには、短期的な消費喚起だけではなく、構造的な消費力の底上げは大きな課題です。
3.コロナ禍からの旅行再開とこれからの課題
6月10日から訪日外国人旅行者の受け入れ再開が始まり、旅行市場の正常化に向け大きく動きだしました。報道の論調は想定以上に訪日外国人の受け入れ再開に期待が高まっているように受け取られ、近い将来、旅行者が急増する日が来ると思われます。
10年間の旅行者や旅行のあり方の変化を論じる上で、うち2年間のコロナ禍の影響は大きいと考えます。感染拡大が始まった2020年2月から生活者意識の定点調査を実施してきましたが、3年目に入り、調査研究は新しい局面にはいったと感じます。再開への動きだけではなく、コロナ禍を経た生活者の意識、経済環境や人口動態などの変化がより明らかになり、これまでの新型コロナの直接的な影響と課題から、間接的、構造的な課題へと移りつつあると感じます。危急の経済環境や日本人の構造的な消費力、少子高齢化、観光産業における生産性や人材の問題、観光公害や環境問題等など、これらはコロナ禍前から抱えていた、持続性に関わる問題であり、コロナ禍でさらに大きく、加速したともいえます。
次の10年はツーリズムにとってもっと変化の激しい10年かもしれません。α世代も成人します。常に状況を俯瞰し、変化の芽を捉え動き、新しく、良い環境を次世代引き継ぐ覚悟が必要と感じます。