自然体験コンテンツの高付加価値化による国立公園の旅行目的地化の取り組み
本稿では、環境省が策定した『国立公園における自然体験型コンテンツガイドライン』(*1)とガイドラインの視点を取り入れたコンテンツ造成の取り組み事例から、ガイドラインが目指すコンテンツの「高付加価値化」の意味について考察しました。
吉口 克利 主席研究員
千葉大学 人文社会科学系教育研究機構 准教授
目次
1. 国立公園の旅行目的地化
環境省では2016年に「国立公園満喫プロジェクト」が立ち上げられ、国立公園の世界水準の旅行目的地化を目指し、8公園(後に11公園に拡大)において、インバウンドを想定した施設改修等の受入環境整備やプロモーションが展開されてきました。
国立公園のインバウンドを想定した観光資源としての活用は、国立公園の誕生当初から構想されていたようですが、国民休暇村の整備など戦後に急拡大した国内のリクリエーションや観光需要への対応は行われてきたものの、外国人旅行者をターゲットに位置付けたプロジェクトとしては「国立公園満喫プロジェクト」が初めての取り組みといえます(*2)。
プロジェクトの開始後、訪日外国人旅行者数の伸びを背景に2019年までは国立公園エリアへの来訪も順調に増加していましたが、これは日光や箱根などといったインバウンドの人気スポットを含む国立公園エリアへの来訪者数の伸びであり、国立公園における滞在・体験を求め、国立公園を目的地として訪れている国内外旅行者の実態については把握されていませんでした。
コロナ禍によりインバウンド、国内旅行ともに動きが止まってしまった2020年、環境省では5年間のプロジェクトの振り返りが行われ、『2021年以降の取り組み方針』(*3)として、アフターコロナにおける国立公園の誘客促進の方向性が示されました。方針では、国立公園自体のブランド力の向上、公園利用の質の向上、日本の国立公園の特徴ともいえる自然環境の中で育まれてきた歴史や文化など人々の営みのコンテンツ化などが示され、単に国立公園エリアへの来訪者数を増やすことではなく、「保護と利用の好循環」につながる国立公園での滞在を目的とする来訪者を増やしていくことの重要性が確認されました。
2. 『国立公園における自然体験コンテンツガイドライン』の概要
国立公園での滞在を目的とする来訪者を増やす=国立公園の旅行目的地化を図るためには、国立公園内で展開されている自然体験コンテンツの「質」の向上、すなわち、「高付加価値化」が求められます。「2021年以降の取り組み方針」を受け、環境省では国立公園内で様々な自然体験コンテンツを造成・提供している事業者と自治体、地域の観光推進組織などの関係者に向けて、自然体験コンテンツの高付加価値化による国立公園のブランディング・地域の活性化を目的としたガイドライン(*3)の策定が行われました。
ガイドラインでは国内外の文献調査、および「エコ・ツーリズム」、「アドベンチャー・ツーリズム」等の有識者や実践者たちとの議論を基に、国立公園を訪れる人々がそれぞれの公園の魅力をしっかり体験できるコンテンツづくり・地域づくりに必要となる視点が整理されています。
自然体験コンテンツを提供している事業者にそれぞれの取り組みをセルフチェックしてもらい、足りない視点などを意識してもらうことで、コンテンツの質を高め、さらに行政や観光地域づくり法人(DMO)等の観光推進組織、環境省地方事務所などとのコミュニケーションを促進し、地域としての取り組みにつなげるために必要な視点を幅広く整理した内容となっています。
ガイドラインの冒頭では、コンテンツ提供事業者にガイドラインを活用してもらうことにより実現したい地域内での循環モデルを示しています。(図1参照)
各国立公園の自然環境やそこで育まれた地域の生活文化など、国立公園ならではの資源を活用した付加価値の高いコンテンツを提供することで、旅行者は感動・喜び・学びを通して、自身の価値観の変容につながる満足度の高い体験を得ることができ、コンテンツ提供事業者はコンテンツの単価向上や旅行者のリピート化により事業の持続可能性を高め、地域社会・経済に貢献することができます。さらに地域社会においても、地域の自然環境・文化等の価値が再評価され、継承意向が醸成されることにより、旅行者に選ばれ続ける地域づくりにつながります。
ガイドラインで示されたこの図式は、2007年に国連世界観光機関(UNWTO)が示した「VICEモデル」と重なります。「VICEモデル」では地域での観光振興の取り組みを、観光産業のみでなく、観光客(Visitor)、地域の産業(Industry)、地域社会(Community)、自然や文化(Environment and Culture)の4方向から検証する必要性が示されています。これらを検討し、観光や交流を活用した地域のビジョンが明確に示すことではじめて、誰に向けて地域のどんな魅力を伝えたいのか、何を見て何を感じてもらいたいのかなどといった、高付加価値化の支柱となる地域の「ストーリー」を紡ぐことができるのではないでしょうか。
ガイドラインの具体的な内容は、「コンテンツ造成」、「安全対策・危機管理」、「環境への貢献・持続可能性」の3つの観点それぞれについて、チェック項目をブレイクダウンし、さらにそれらの項目を大きく2つのフェーズに分けています。(図2参照)
フェーズ1はコンテンツ提供事業者個別の取り組みにより提供コンテンツの質の確保につながる基本的な項目、フェーズ2はフェーズ1を満たした上で、コンテンツにストーリー性を持たせることや高度なガイディング、アクティビティの催行判断基準の設定などの安全対策や危機管理等への主体的な関わり、地域社会や経済への貢献など、コンテンツのさらなる質の向上に向け、事業者が地域の様々な主体と関係を構築する中で、実現できる項目について事例を交えながら整理されています。
図1で示したように、自然体験コンテンツの高付加価値化によりコンテンツ提供事業者、旅行者、地域社会のそれぞれが相互にメリットを享受しながら、自然環境、地域の文化の保全を図り、国立公園のブランディングにつなげていく好循環をつくるためには、より多くの事業者にフェーズ2に至る取り組み、すなわち地域を志向した取り組みを実践してもらう必要があります。
3. ガイドラインを活用した高付加価値化の取り組み -戸隠における冬季コンテンツ造成を事例に-
このガイドラインの視点、特にフェーズ2の視点を取り入れた高付加価値コンテンツの造成支援事業が2022年度に行われました。本節では筆者も検討に参加した妙高戸隠連山国立公園の戸隠エリアにおける取り組みを紹介します。
戸隠は、侵食岩壁が連なる険しい山々の景観等を背景に、古代より神話が語り継がれる山岳信仰の地として、鎌倉時代には高野山、比叡山に匹敵する一大霊場に数えられていました。巡礼者たちの疲れを癒す宿坊の数も増え、かつては「戸隠三千坊」と言われたほどの宿坊群で賑わったエリアです。戸隠の歴史と生活文化が集約されたこの宿坊群は、宿坊群としては全国で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
この事業では、高付加価値コンテンツを受容する層として、自然環境や地域の歴史・文化等に関心のある知的好奇心の強い主に欧米からの外国人旅行者をターゲットと想定し、“大自然が育んだ歴史と文化、古からの人々の営みそのものを感じる”をテーマに、自然環境の厳しさと恵み、戸隠の人々の営みを深く感じることのできる冬季における宿坊体験、スノーシュートレッキングなどを軸としたプログラムを造成しました。
戸隠は奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる戸隠神社を中心にまちが形成されており、宿坊の主人は皆が戸隠神社につながる神主です。そのため地域のつながりも強く、今回コンテンツづくりの主体となった(社)戸隠観光協会でも、宿坊や地域の観光関連事業者、地域プレーヤーたちとの良好な関係ができていました。それでも、これまでの慣習や横のつながりを考えると、インバウンドを想定した高単価な商品づくりという新たな取り組みに挑戦するためには、プレーヤーたちへの配慮が必要になります。観光協会が冬季コンテンツに絞った理由には、観光客が減少し、新たな試みに対してコンセンサスがとりやすい冬季に実施し、確実に実績を積み上げることで地域としての取り組みに広げていきたいという想いがあります。このような中長期的な視点での細やかな配慮も、地域において構想を実現するための重要なプロセスです。
歴史、文化が蓄積した戸隠については既に多くのテキストが存在し、その魅力は語りつくされているともいえますが、改めて個々の冬のコンテンツの魅力を横串で刺した戸隠としてのストーリー、参加者に伝えたい戸隠の価値を議論し合いながら、2泊3日のプログラムに落とし込みました。以下でモニターツアーを振り返ります。
初日は昼過ぎにゆっくりと戸隠に入り、歴史が刻まれた宿坊「宮澤旅館」の落ち着いた室内で、プログラムのストーリーと2泊3日の流れについて説明を聞きます。雪の舞う参道を移動し中社の社殿へ。禰宜にツアーの安全を祈願していただき、外に出ると既に日が落ちています。戸隠といえば蕎麦。宿坊の食事でも蕎麦は必須ですが、食事の前に蕎麦打ちの体験を加え、戸隠神社で祈りが捧げられた新蕎麦の粉と、信仰の対象ともなっている超軟水の冷たい戸隠の水を使い、蕎麦職人の話を聞きながら戸隠の技である“一本棒丸延し”で蕎麦を打ちます。宮澤旅館の食事は戸隠で採れた季節の食材が使われ、一皿一皿丁寧に調理された料理が、腕を振るった女将の説明とともに提供されます。最後に3名のモニターが打った蕎麦が戸隠の伝統工芸である竹細工の笊に“ぼっちもり”という戸隠の盛り方で順番に出されます。誰が打った蕎麦かを当てるのですが、打ち方、伸ばし方、切り方の違いで舌ざわりも味も変り、それぞれの個性が感じられる楽しい演出です。食後には雅楽の演奏を楽しみます。奏者はご主人と、それぞれが宿坊を営む神主たち。雪が高く降り積もった静寂の宿坊に神聖な音が響き渡ります。部屋にあった銅鏡を女将が取り出し、皆で見ていると木枠から銅鏡がころげ落ち、銅鏡裏の木枠には江戸時代の年号と寄進者の名前が書かれているのを見つけました。このように現在でも新たな発見があるほど、歴史が刻まれた物品が宿坊には溢れています。
翌朝、絶品の雑炊に舌鼓を打った後、パウダースノーに被われたこの時期しか歩くことのできない奥社に通じる参道脇の森の中を、ガイドの説明を聞きながらスノーシューで進みます。参道の中間地点にある随神門に出て杉の大木が並ぶ奥社につながる参道を目に焼き付け、再び森に入り鏡池までトレッキング。氷に覆われた鏡池に到着し後ろを振り返ると、雪に被われた戸隠の壮大な山並みが広がり、皆の眼をくぎ付けにします。雪を集めてテーブルを作り、戸隠の山並みを仰ぎながら、秋に採れたキノコを使った温かい汁と、竹細工のドリッパーでゆっくりと落としたコーヒーで身体を温めます。
最終日は自由行動の後、宿坊内にある御神殿で神装束に着替えたご主人にご祈祷していただいて終了。従来のプログラムづくりでは、どうしても効率的に隙間時間を埋めたくなりますが、高付加価値化においては“足し算ではなく引き算”が重要になります。
4. 「高付加価値化」 の取り組みの意味
観光協会が中心となり、宿坊、戸隠神社、蕎麦職人、トレッキングガイド、飲食店などの協力のもとに、一つのテーマ・ストーリーに沿って造り上げられた戸隠のコンテンツは、地域志向が求められるガイドライン・フェーズ2の要素を多く取り入れたモデルといえますが、いくつかの課題が残されています。特にコンテンツの高付加価値化を目指す地域に共通する課題として、ガイド不足が挙げられます。高付加価値コンテンツのターゲットである、地域をより深く知りたい、地域の人々と交流したいという知的好奇心の強い旅行者の満足度を高めるためには、単に専門知識を伝えるだけではなく、旅行者の予期せぬまなざしに対応できるよう、日頃からフィールドワークや地域の人々とのコミュニケーションを重ね、旅行者の関心に合わせて柔軟に地域の魅力を伝える、“価値のインタープリター”としてのスキルが求められます。
また、高付加価値コンテンツの取り組みに対する地域関係者との合意形成や、目標値の設定による地域としての取り組みの継続なども、従来型観光の考え方や、現在行われている受入スタイルそのものへの問い直しを求める作業であり、観光協会と地域の良好なつながりができている戸隠においてもそのハードルは低くはありません。
コロナ禍は「入込数 × 消費額」という量的な評価指標を前提とした従来の観光振興が抱えていた様々な課題を見つめ直す契機となり、近年は国際的にサスティナビリティの視点が地域の観光振興に求められるようになりました。また、「価値」が消費される時代、その地域を訪れる「意味」が問われる時代において、地域の価値の再考や地域社会への貢献を志向する観光コンテンツの高付加価値化は、これからの観光振興、観光地域づくりにおける一つの選択肢ではなく、必須の取り組みになるものと思われます。
<参考文献>
1:環境省,2023『国立公園における自然体験コンテンツガイドライン(ver3.0)』
https://www.env.go.jp/park/doc/law/kouenkeikaku060.pdf
2:水内佑輔,2018「国立公園におけるインバウンド観光の系譜 - 本多静六、国立公園の誕生から満喫プロジェクトへ-」森林科学82巻
3:環境省,2020「国立公園満喫プロジェクトの2021年以降の取組方針」
https://www.env.go.jp/nature/mankitsu-project/pdf/2021/policy2021.pdf
※吉口克利,2023「国立公園における自然体験コンテンツの高付加価値化 -世界水準の旅行目的地
へ-」『運輸と経済』2023年1月号,交通経済研究所