災害に強い観光地づくり ~7月13日実施 応用地質・JTB総研共催セミナー記録~
自然災害が頻発化・激甚化するなか、観光産業の持続可能性を担保し「災害に強い観光地」を形成していくために必要な準備とはなにか。(株)鶴田ホテル 代表取締役社長/NPO法人 ハットウ・オンパク 理事 鶴田 浩一郎氏、(一社)観光危機管理研究所 代表理事 鎌田 耕氏、山梨大学大学院 准教授 秦 康範氏、応用地質株式会社 共創Lab 中村 直器氏とともに、地域行政、学識者、産業界それぞれの立場から議論を行った。
河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長
目次
1. 熊本・大分地震発生時の「ふっこう割」の影響試算
地震が観光業に与えた影響を定量的に分析したところ、地震による直接的な被害が軽微であった福岡県、長崎県、鹿児島県では観光需要への影響が大きく、逆に被害が大きく「ふっこう割」の総額や割引率の高かった熊本県と大分県では観光への影響が小さいことが確認された。
※詳細は、応用地質共創Labワーキングペーパーを参照のこと。
https://www.oyo.co.jp/co-creation-lab/working-paper/002.html
2. パネルディスカッション概要
上記のデータを受けて、産官学それぞれの観点から、今後の「災害に強い観光地づくり」に向けたポイントを議論した。登壇者は以下の通り(モデレーター:河野)。
鶴田 浩一郎 氏(株)鶴田ホテル 代表取締役社長/NPO法人 ハットウ・オンパク 理事 |
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秦 康範 氏山梨大学大学院 総合研究部 工学域 土木環境工学系 准教授 |
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鎌田 耕 氏(一社)観光危機管理研究所 代表理事 |
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中村 直器 氏応用地質株式会社/共創Lab |
河野:
今年も台風のシーズンを待つ前に全国各地で水害が発生している。災害の発生そのものを防ぐことはできない中で、観光産業は自然災害や感染症拡大に対して極めて脆弱な構造にある。前段の試算シミュレーションの事例とした熊本・大分地震において、「ふっこう割」のような予算措置以外にも、観光の回復への速度にはどのようなもの・ことが影響したとみているか。
鶴田:
「ふっこう割」については、東日本大震災の教訓から学んだ政府・自治体が様々な施策を早期に実施したことが功を奏したことは確かだ。180億円という巨額な資金を基に、夏休み、秋の行楽シーズンの両方をカバーする同年7~12月にかけて実施したことから、需要を確実に獲得できたと認識している。大分県が53億円、熊本県が60億円弱と、予算規模が大きかったことからも、この2県は需要回復が早かった。
他県への効果が薄かった要因として、九州圏の観光客のうち約4割が九州域内市場であることが影響している。消費者は割引幅が大きい地域への旅行を選択しやすく、九州域内で需要の奪い合いが発生してしまった。今となれば、九州域外からの需要獲得のための制度設計が重要であったことがわかる。
また、災害や危機は、「それ以前から起こっていたゆるやかな潮流を加速させる」と考えている。観光地単位でみると、地震以前から旅行者が減少傾向にあったところは地震を経て一層の減少傾向に、増加傾向にあったところは早期に復調したことも念頭に置いておきたい。
河野:
沖縄県は、全国の都道府県の中でも最初に観光危機管理計画を策定し、市町村における計画策定支援や毎年の図上訓練も積極的に実施している。そのような中で、世界遺産でもある首里城の焼失という大きな危機に直面した。
鎌田:
首里城火災は2019年に発生した。那覇市が県に先駆けて実施した「首里城再建プロジェクト(クラウドファンディングやふるさと納税を活用したプロジェクト)」で、9億4千万円を超える支援が、沖縄県全体では54憶円近くの支援が集まった。これらは、「熊本城復興城主」による寄附による復旧・復元への取り組みが先例になっている。
対応体制としては、首里城火災発生当日のうちに那覇市と県が対話し、モニタリングと対応協議のための会議体を組成するとともに、沖縄観光コンベンションビューローと連携し、メディアネットワークを活用した情報発信や国への迅速な対応要請を行った。また、ハードの復興にあたって意識していることは、「見せる復興」。これも、熊本城の先例に倣っている。これらの迅速な対応を行うことができたのは、熊本・大分地震における各種施策とその効果を研究していたためとも言える。
河野:
東日本大震災の時は「自粛」が先行したが、その反省を踏まえ、熊本・大分地震を契機に「応援のために行く・消費する」「地域自身が積極的に来訪を呼びかける」「復興の過程を発信する」という流れに変わったことは大きな意義がある。
対応や復興においては、地方自治体、事業者が平常時から緊密に連携していないといざというときに動けないが、連携強化や各ステークホルダーの意識醸成という視点で、各地ではどのような取り組みが行われているか。
鎌田:
沖縄県では毎年、大規模災害時における観光危機管理訓練を実施しており、市町村と県が連携して現地でリアルに行うものもあれば、多くのステークホルダーが一堂に会する図上訓練もある。
行政組織の中で、観光と防災それぞれの部局が平常時から連携していることが重要。勉強会やセミナー、訓練に観光と防災それぞれの部局が相互に参加する機会を創出していくことを出発点とし、双方が自分事として捉える意識を醸成することが不可欠と言える。
秦:
災害時、観光客は帰宅困難者扱いになるため、彼らの安全をどのように守り、どうやって早期に帰宅させるかということが優先的に検討されるが、地域の観光産業をどう守るかという視点が欠落しているケースは多い。零細企業が多い産業分野でもあり、観光産業全体としての取り組みは非常に遅れているのが実態。観光先進県である沖縄県の取り組みを参考に、行政は「観光産業をいかに守るか」という視点での準備や計画も重要視すべきと考えている。
2015年、箱根大涌谷において噴火警戒レベル3(入山規制)に引き上げられた時、大涌谷を中心として半径1kmの範囲に避難指示が出された。土地勘のない観光客は、大涌谷から8km離れた箱根湯本への来訪も回避するようになり、箱根全体で観光客が激減した。この経験を踏まえて、現在は、箱根全体の中のこの部分だけが規制エリアですよ、それ以外のエリアは大丈夫ですよというように、規制エリアをマップで可視化するなど見せ方を工夫して情報発信するようになった。DMOが観光事業者との間での情報共有を行い、どういう方法でどのような発信を行うのかを事業者と連携、共有するようになっている。必要以上の不安を与えない正確な情報発信を通じて、需要の落ち込みを最小限に留めるという点で、箱根の例は非常に参考になる。
中村:
復興という意味では、被災地をいち早く平常の環境・景観に戻していくことが重要である。地域として観光客を受け入れるには、まずは「災害ごみ」を早期に片付ける必要がある。熊本・大分地震の際は、平常時の7倍の140万トンもの災害ごみが一気に発生した。
国では、この課題に対しても事前に対策指針を策定することを促しているが、全国の自治体の3割以上はこれに関するルールを定めていない。観光とごみ問題、持続可能な観光地の形成という面で、常日頃から考えていく必要がある。
河野:
復興に向けた旅行者・市場・社会等への情報提供について、今後に向けたヒントはあるか。
鶴田:
熊本・大分地震では、被災状況が地域によって異なるため、情報発信・プロモーション等の内容やタイミングについて、九州全体でも県全体でも統一することは不可能だった。別府は、被害が大きかった北部を除き8割程度の施設では安全を確保できる状況だったため、「早く復興アクションを起こしてほしい」という要望が多かった。一方、湯布院ではその後の余震による被害が発生したため、プロモーション始動を遅らせている。
被災状況が北西地域を除き比較的軽微だった別府では、市長が先頭に立って「別府は安全です」と訴え、観光、防災チームの権限を市長に一本化した。地震後1週間で今後の対策を決定する協議会を立ち上げ、地震発生から半月後のゴールデンウィークを見据え、県内に対してのみ「別府安全キャンペーン」を実施するなど、他地域に先駆けて観光客を誘致するべく官民協議会に諮って実施した経緯がある。
また、民間によるSNSキャンペーン「We Love 別府」が行政支援を待たずに立ち上がったことも復興に向けた地域の機運を後押しした。別府のまちづくりNPO組織などは40代中心で、しっかりと代替わりしていたことも功を奏した。
秦:
全てのリスクを示すことはできないが、旅行者が「災害リスクについて知らなかった」という状況は回避しなくてはならない。東日本大震災を契機として全国的に津波のリスクが報じられたため、沿岸部において海抜表示の案内は増えており、街中でも海抜表示や避難場所などの情報が看板等で提供されているのは分かりやすい例。
個人旅行者は団体旅行者と異なり自ら正確な情報を得なくてはいけない。観光協会等のウェブサイトから情報を得られることは勿論、旅行者の現在地周辺の詳細情報や最新情報に関しては、旅館やホテルなどの旅行者に接する観光事業者が、直接またはオンラインでリアルタイムの情報を届け、旅行者に安心感を与えるとともに、適切な行動を促すことが極めて重要だ。
ただし、発信する情報が発信主体ごとに異なると、旅行者の信頼を損ねることになりかねないため、地域で足並みを揃えることは必要。行政、DMO、事業者が連携した形での情報連携・発信に関するマニュアルを平常時のうちに整備しておくことが大切である。
河野:
行政による迅速な初動のポイントは、「トップメッセージ」と、「決定権を持つ協議会がすぐに立ち上がったこと」だと言える。また、即時の情報発信を行うためには、平常時から民間の関係者同士がネットワークを緊密にし、非常時に対する意識を合わせておくことや、観光客対応に追われる危機の最中に事業者が慌てることのないような情報収集・発信のルールをあらかじめ定めておくこと、と整理できる。
受入体制を早期に整えるための施設復旧を加速化させるためには、どのような行政支援や行政サービスがあればよいと思われるか?
中村:
被災状況を正しく発信するためには、建物等の被害程度を早期に把握することが重要だが、その全容把握が遅れるケースがある。保険会社が保険支払いのための被害額査定調査を行うこともあり、それらが終わるまで待っていなくてはならないなどのジレンマもある。
国土交通省による「不動産ID(国内の不動産を17桁の番号で識別するもの。分譲マンションや戸建て住宅、商業施設などあらゆる不動産に適用)」の取り組みは始まったばかり。このような仕組みを活用して災害時に迅速に査定、情報を共有できる体制が大切なのではないかと思っている。
河野:
最後に、「災害に強い観光地づくりにおいて必要なハード・ソフトとはなにか」、「災害に強い観光地づくりのために観光事業者や災害リスクを持っている自治体がいますぐにでも着手できること」について、お伺いしたい。
鶴田:
平常時の発信の手法には全く手を付けていなかったと気付かされたため、早期に検討を開始したい。また、場所、災害種別、災害規模など、様々なケースを想定した訓練を官民連携で積み重ねていくことが基本ではあるが、非常に重要であると再確認した。
鎌田:
平常時における対応サイクルと広域連携(近隣市町村との連携)が重要。平常時のネットワークがスムーズであれば、危機時にも混乱なく対応できる。
また、計画や施策の継続性・実効性を担保するためには、予算とセットでなければならない。今後、沖縄県は観光目的税・宿泊税の導入や基金の創設を検討していくが、非常時に通常の決裁手続きを経ずに即時拠出できる予算を確保しておくことや、これらの危機に対応できる人材確保・育成も鍵となる。
秦:
「Phase free(フェーズフリー)」という、日常時と非常時という区別や垣根をなくしていく、という考え方を紹介したい。非常時「だけ」のための取り組みを行うには、業務や予算を別途組み立てる必要があるため推進のハードルが上がるが、日常の仕組みが非常時にも活用できるような仕組みを構築することは、予算上のメリットもあり、いざというときにスムーズに対応できる可能性が高くなる。例えば入場券の裏面が真っ白ならゴミになるが、裏面に災害発生時の避難経路などの案内が印刷されていれば、いざというときに裏面を見ればわかるということになる。このように、日常の仕組みの中に非常時にも適用できる情報や仕組みを取り入れていくことが重要。
また、需要の早期回復を狙うためには、リピーター率を高める取り組みが必要だ。代替性が高い地域では、災害が起こると旅行者は他地域に流れるが、地域・施設の付加価値や独自性を高めることによって、災害が発生してもリピーター率が高い事業者では顧客の戻りが早かったという調査結果もある。修学旅行などの団体依存観光地は代替率が高く回復が遅いため、リピーター率を高めることが災害対策にも繋がると考えている。
3. まとめ
「災害に強い観光地」の形成のためには、自地域及び他地域における過去の災害対応から深く学ぶこと、災害発生時にスムーズな動きが取れるように平常時の準備が大切であること、などに多くの意見が集まった。非常事態において“のみ”実行するための施策や行動を、いざというときに即時に実行することは非常に難しい。スピードが命である初動対応においては適切なトップメッセージと対応体制の設置、および迅速な情報収集・発信の体制が構築されていることが肝要となる。また、そのスピードを担保するための予算措置、対応体制を平時から準備しておくことの重要性が示された。