無個性な町の生存戦略 ~埼玉県寄居町での実践から~

特徴の見出しにくい地域の中で、いかにして勝ち筋を見つけていくのか。埼玉県寄居町という「街」とも「田舎」とも言えず、観光地にもなれない地域において、まちづくりの活動を実践してきた経験から、「無個性の町」の進むべき方向性を探っていく。

上田 嘉通

上田 嘉通 客員研究員

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目次

1.埼玉県寄居町における実践

今、全国の様々な地域で地方創生、まちづくりの取組が展開されており、筆者もその専門家としてさまざまな地域に関わってきた。その経験の中で、最も難易度が高いと考える地域のひとつが、市街化もほどほど、過疎や条件不利性もほどほどで、「街」と「田舎」のどちらにも振り切れず、観光客を呼べるスポットがあるわけでもない、地域の特性が極めて見つけにくい地域である。

荒川越しに寄居町の中心市街地を望む

荒川越しに寄居町の中心市街地を望む

また、過疎地域、離島地域、半島地域、山村地域に位置付けられる条件不利地域は、それぞれ振興のための法律があり、国の交付金等の様々な支援制度がある。今回、取り上げる筆者の出身地である埼玉県寄居町は埼玉県の北西部に位置し、人口約3万人。人口減少はしているが過疎地域ではなく、山が近いが山村には該当しない地域である。つまり、厳しい状況にあるものの上記の法律の支援は受けられない地域である。
 こうした、特性が見つけにくく、課題は多いが国の支援が受けられない地域を、地元であるが故にあえて「無個性の町」と呼び、こうした地域のあり様を自身の模索の経験を通じて紹介していく。

2.自発的な活性化と広域でのポジショニング

筆者が地元である寄居町にUターンしたのは2018年4月。寄居町から中心市街地活性化の事業マネジメントを行うタウンマネージャーとして任命されたことがきっかけである。地元のまちづくりを担う立場となり、最初に意識したのは、住民の自発的な活動を促すことと周辺地域を含めたポジショニングを明確にすることであった。
 前述で、寄居町を「無個性の町」とあえて表現したが、個性というのは他者との比較を前提としており、地域の絶対的な魅力を表現したものではない。住民が、昨日より今日、今日より明日がより良い町になるようにと努力を積み重ねていれば、相対的な比較はさておき、町の魅力は底上げされていく。「近き者説び、遠き者来る」という論語の一説を実践していくこと。まずはその取組の基盤が必要と考えた。
 また、寄居町は、町単独で見た場合は地域の個性を見出しにくいと感じていたが、マクロな視点で見れば、埼玉県有数の観光地である長瀞町、有機農業の聖地として認識されている小川町、渋沢栄一生誕の地である深谷市に隣接しており、広域で見れば個性豊かな地域と考えることができる。その一方で、それらの自治体が横の連携をしておらず、相乗効果を生むことができていない。周囲の自治体に一定の魅力があり、かつ、生活者も観光客も自治体の境界に対する自覚はない。そこで、周囲の魅力に力を借りつつ、寄居町の立地を活かす戦略を取るべきと考えた。

3.コミュニティを育み、内発的な動きを促す

前述の戦略を取る中で特段配慮をしていたのが、コミュニケーションの取り方である。筆者にとって寄居町は、地元とはいえ18年間離れており、知らない事の多い地域である。地方のコミュニティは、閉鎖的な側面を有しており、外部の者、知らない事には大なり小なり拒否反応を示すことがある。入り口を間違えると、関係性がこじれてしまうことはよくある。地元だからこそ、特に気を付けねばならなかった。
 住民の感情に働きかけ、内発的まちづくりを自然に促すことを狙った取組が、寄居町100人カイギである。

  1. 寄居町100人カイギ
  2. 自発的な活性化を促すための基盤として寄居町100人カイギを立ち上げた。これは、全国約100地区で開催されている100人カイギのブランドを借りたものであり、埼玉県では初めての100人カイギの開催地区となった。
     寄居町100人カイギは、毎回5人のゲストが、1人10分間、自身の過去のこと、今やっていること、今後やりたいことなどを話し、参加している人と交流をするコミュニティイベントである。毎月1回開催し、全20回を終えるとゲストが100人になるため、そこで解散をするという特徴がある。こうしたコミュニティイベントは、立ち上げるのは簡単だが続けていくことが難しく、運営メンバーのモチベーションが下がり自然消滅していくイベントは多々ある。それに対し100人カイギは、20回目で解散することが決まっており、始まった段階で終わりが明確に決まっており、運営側の精神的負担・不安が少ない。

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    寄居町100人カイギの様子

    寄居町100人カイギを始めたきっかけは、まず、この町にどんな人が住み、どのような活動をしていて、どんなことを考えているのかを把握することであった。まちづくりイベントと言ってしまうと参加のハードルが高くなるため、ただのコミュニティイベントであり目的は何もない、という説明をしてきた。
     ローカルでこうしたコミュニティイベントをして何の意味があるのか、という声も聞かれた。既に町のほとんどが知り合いだろう、と。しかし、やってみて、その不安は全くないことがわかった。多くの方が「顔見知りではあるが、深くは知らない」状態であった。町で会ったり、会議で顔を合わせたりしても、自分の過去や町への想いを語ることは少なく、深い理解には至っていなかった。したがって、この寄居町100人カイギをきっかけに、住民同士のつながりが生まれ、立ち上がった活動がいくつもある。
     極めてシンプルなコミュニティイベントであるが、自身が外部のコンサルタントとしてではなく、住民として関与し続けたことで、内発的なまちづくりの一助になったのではないかと考えている。
     また、寄居町100人カイギは関係性構築に大いに役立った。寄居町出身とはいえ18年間地元を離れていて、急に戻ってきてタウンマネージャーという肩書を持った私に対して、快く思わない者は一定数いることはわかっていた。その方に対して、「まちづくりに協力してくれ」というと抵抗されるだろうが、「100人カイギで10分話して欲しい」というお願いには、「お前が言うなら仕方ないなぁ」と受けてくれる。先入観で私と距離を取っていた人との関係を作ることに非常に役立った。

  3. YORIMaMaプロジェクト
  4. 個性のある隣接地域との差別化を図りつつ、上手に両者の強みを活かしていくことを考えたときに注目したのは「子育て」であった。
     寄居町では、待機児童はゼロであるにもかかわらず、働いていない母親が多くいた。子どもを預けていても働いていない母親にヒアリングする機会があり、そこで聞かれたのは「子どもを預けていてもいつ体調を悪くして呼び出されるかわからない」「会社ではフルタイムでの働きを求められて柔軟に働けない」といった声であった。
     子どもの都合で突発的にスケジュールが変わることは親であれば仕方ないことであるが、それで仕事ができないという環境をなくせないかと考え、母親がチームを組んで在宅で仕事をするサービス「AnyMaMa」を提供する株式会社Under→Standを寄居町に紹介し、寄居町に住む母親に、子どもを最優先にした働き方を在宅ワークでできる「YORIMaMa」というサービスを開始した。寄居町、Under→Stand、タウンマネージャーの私の3者で包括連携協定を締結して実施したこのプロジェクトは、2018年秋に始まり、コロナ禍による在宅ワーク需要を取り込みながら、寄居町で着実に成長し、これまでに約130人が登録し、累計の収入は1,400万円を超えている(令和4年3月時点)。

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    YORIMaMaプロジェクトの登録者数と収入

    この事業は、母親の在宅ワーク支援、働き方の多様化、ママコミュニティの醸成という目的を主に掲げながら、移住促進の側面もあると捉えている。「寄居町に移住すれば、様々な働き方のサポートがある」というイメージを発信していくことで、隣接する長瀞町、小川町、深谷市などの魅力を借りエリアの魅力を高めつつ、「住むなら寄居町」というポジションを獲得できる。

4.正しいことよりも楽しいことを

寄居町100人カイギをきっかけに地域内での多様なコミュニティが生まれてきたことを基盤として複数のプロジェクトを立ち上げた。キーワードは「正しいことより楽しいことを」。正しさは、どこかでぶつかり合いや軋轢を生む。しかも、双方が正しいと思っているために簡単には収められない。地域活動としては極めて燃費の悪い活動になる。
 そこで、直感的に「それ面白い!」「それいいね!」と思える活動を立ち上げることでコミュニティを強化し、まちづくりの力に変えていきたいと考えた。世間はコロナ禍であったが、そこで実施したのが2つのプロジェクトである。

  1. 寄居みかんビール
  2. 寄居町はみかんが特産品であり、みかんジュースは誰もが認める土産品である。そのみかんを使用した地ビールがあれば住民の誰もが喜ぶと考え、勢いで活動を立ち上げた。一緒に開発をしたのは地元の居酒屋と精肉店の若手。寄居町は、豚肉の食文化があるため、豚肉を食べるときにみかんビールを飲むという光景を作りたかった。醸造は秩父地域で活動している秩父麦酒と連携した。
     開発チーム皆で醸造を行い、パッケージデザインを考え、町内の飲食店に声をかけて回った。酒屋での販売も行ったが、緊急事態宣言が明けたばかりで苦しむ飲食店支援を兼ねて、できるだけ飲食店で飲んで欲しい、というメッセージを発信した。7月20日が解禁日だったが、8月のお盆前には1,000ℓが完売。取材を受けた新聞記事が新聞に載る前に売り切れるという異例の早さだった。
     みかんビールの開発チームは、その後、みかんビールの第2弾、梅ビールなどを開発し、自身の事業にその経験を活かしている。

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  3. GOOD PARK
  4. コロナ禍で「3密」を回避する必要性が出てきたことをきっかけに、国土交通省が路上利用の許可基準を緩和し、歩道空間をテラス席として利用できるようになった。本来であれば、道路上に椅子やテーブルを設置し、テラス席のようにして継続的に道路を占有する際は、道路管理者による「道路占用許可」および、警察による「道路使用許可」が必要となるため、今回の決断は大きな規制緩和として注目を集めた。
     寄居町の多くの飲食店からも、自分の店の前でテラス席はできないかと相談を受けた。しかし、寄居町にテラス席として活用できる十分な幅員を備えた道路はなく、テラス席を設けることができなかった。ただ、町の市街地を見回せば、使われていない空き地がいたるところに見られた。そこで、道路拡幅のために空き地になっていた町有地を貸与いただき、暫定的な広場空間として活用することとした。
     連携したのは寄居町100人カイギをきっかけに関係性を深めていた町の造園屋であった。寄居町は知る人ぞ知る造園の町で、植木の生産者、造園事業者、園芸事業者が多く、声をかけると、共感していただけた多くの造園関係者8者が集まった。対象敷地はアスファルトの空き地であり、地面に木を植えることはできない。また、期間が限られた暫定的な利用でもあることから、農業用のメッシュパレットを活用して巨大な鉢植えを作り、そこに植栽を設置した。整備期間約2週間で、ただの空き地が公園になっていく過程は感動的であった。

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    このGOOD PARKは、第41回緑の都市賞都市緑化機構会長賞、ソトノバ2020ソトノバフューチャー賞、第3回埼玉県商店街等リノベーションコンペ事業奨励賞を受賞し、コロナ禍における屋外空間の新たな使い方として評価を得た。この経験から、GOOD PARKを整備したメンバーは、一般社団法人ドコデモヒロバを設立、寄居町に留まらず、各地の空間活用のプロジェクトに参画するようになっている。

    寄居みかんビール、GOOD PARKは、大義名分より先に「あったらいいね」という共感から始まっている。内発的まちづくりを展開する上では、関係者が前のめりで参画し、自分事として主体的に動けることが重要である。

5.日常を豊かにするため実業展開

  1. 泊まれるオーガニックレストランmujaqui(むじゃき)の開業
  2. タウンマネージャーとしての経験を通じて、寄居町への関係人口や移住者も徐々に増えてきた。しかし、事業を展開するプレーヤーが増えないことが、容易に解決できない課題であった。どんなにイベントを行っても、365日中の1日が活気づくだけで、残りの364日は何も変わらない。日常を豊かにしてこそまちづくりの意味がある。
     そこで、自主事業として、宿泊事業、飲食事業を始めることとした。重視したポイントは2つ。
     
    (1)空き店舗を改修する姿を町の人に見せ、チャレンジする人を増やし、不動産オーナーの意識を変えること
    (2)観光地ではない町に人と投資を呼び込むために、新たな動線を作ること

    地方の町で、空き店舗活用や創業が増えないのは、ビジネス環境が厳しいという面はもちろん、物件を貸してもらえないという要因も大きい。地方の商店は、商売をやめても同じ建物内で生活をしているケースがあり、シャッターが閉まっていても物件を人に貸さないことは非常に多い。そこで必要になるのは不動産オーナーの「物件を貸した方が町のためになる」というマインドセットであり、そのためには誰かが空き店舗を活用して魅力的な事業を展開し、成功事例を見せることである。
     また、寄居町は隣接する長瀞町が一大観光地であるにも関わらず、観光的な魅力は乏しく、長瀞町に向かう観光客に素通りされていく町である。寄居町に観光目的で訪れる方は、トレッキングや城址めぐり、河原でのキャンプなどに限られ、経済効果は決して大きくない。
     ここで、寄居町を観光化することを目指しても、隣接する老舗観光地の長瀞町には太刀打ちできない。観光地化までいかずとも、素通りしている人の一部が立ち寄るスポットになることで、地域経済への効果は大きいものがある。観光振興の基本は動線づくりと考えている。人が動くことで、お金が動く。では、どうやって立ち寄ってもらうのか。
     前述したとおり、寄居町に隣接して、有機農業の聖地と呼ばれる小川町があり、その関係で寄居町にも有機農家は数多くいる。当たり前に有機野菜が手に入ることを、地域の魅力として表現していきたいと考え、オーガニックレストランを着想、食材をシンプルに楽しめることを重視しイタリアンとした。イタリアンであればワインも楽しんでもらいたい。しかし、自動車移動の観光客が多くお酒を飲まないお客さんも多いと容易に想像できた。食事をしてワインを飲んでも大丈夫と思ってもらうには、そのまま宿泊できることが必要と考えた。これが「泊まれるオーガニックレストラン」構想のきっかけである。ガストロノミーツーリズムなどと構えずとも、地域の資源を活かす方法をシンプルに考えれば、似たような結論になった。現場のリアルから着想することの重要性を実感した。
     コロナ禍でオープンのタイミングを見計らいながら、寄居町の中心市街地にあった築100年の和菓子屋跡を改修し、2022年8月に泊まれるオーガニックレストランmujaquiがオープンした。宿泊と飲食が一体ではあるが、オーベルジュの世界観とは異なる。あくまでもレストランが主役で、宿泊は簡素なゲストハウスとしている。

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6.無個性な町の生存戦略

内発的な取組の活性化では、寄居町100人カイギをきっかけに広くつながりをつくり、YORIMaMaプロジェクト、寄居みかんビール、GOOD PARKのようなプロジェクトを核としてコミュニティを形成していくことで内発的な取組を促してきた。YORIMaMaは母親の課題感から、寄居蜜柑ビールとGOOD PARKは地域産業から生まれた。きっかけはシンプルなものである。
 ポジショニングで言えば、YORIMaMaプロジェクトでは「住むなら寄居町」というポジションを、泊まれるオーガニックレストランmujaquiでは、有機野菜という地域資源と長瀞町への通過点というポテンシャルを掛け合わせて「泊まれるオーガニックレストラン」というポジションを作った。いずれも、まだ途上ではあるが、確実に、寄居町の日常となっている。
 無個性な町では、他の地域と比較して無理やり強みとなる個性を探す必要はなく、まず地域の内側を眺めて課題や資源を丁寧に活かす方策を考えること、そして、地域の外側から眺めて、頼れるところは頼り、広域な視点で共生するためのポジションを見つけることが重要である。
 この内と外の視点を使い分けて生存戦略を練っていくことで、自治体間競争が激しくなる中、「勝つ」のではなく「負けない」しなやかな戦略に繋がっていくと考えている。