「一宿一飯の恩義」に通じる責任ある旅行者の可能性
「一宿一飯の恩義」という言葉は、他人から受けた親切や恩義を忘れないようにしようという意味で広く使われています。サステナブルツーリズムの観点からは「責任ある旅行者」とも表現されます。そんな地域に敬意や共感をもって来訪するファンは、今後も国内外から増加していきます。地域とともに観光客が自身の行動に責任を持ち、ひとりひとりの心配りが持続可能な観光地づくりの源泉であることは言うまでもありません。
倉谷 裕 主任研究員
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旅にまつわることわざや言い回しは数多く存在しています。「一宿一飯の恩義」という言葉もそのひとつです。もともとは博徒の世界の言葉ということですが、他人から受けた親切や恩義を忘れないようにしようという意味で広く使われています。とくに、旅には思いもよらないトラブルは付き物。そんな旅先で親切や助けを受けた時、感謝の気持ちを相手に伝えている人はどれくらいいるでしょうか。コロナ禍もあり人との接点が薄れつつある現代社会において、改めて学ぶべき要素があると言えるのではないでしょうか。
近年カスタマーハラスメントなる言葉が紙面をにぎわせたことがありました。消費者は旅に出て宿に泊まる際、対価を支払います。しかし、お金を払ったからとはいえ、公共のマナーや宿のルールに反して自分の思い通りに振る舞っていいということにはなりません。日本の商習慣として、「お客様は神様」といった考え方がありますが、それがエスカレートすることにより、消費者も「お金を払っているのだから」と、無理難題を宿側に押し付けてしまう風潮も一部に見られます。消費者とサービス提供側とが互いに尊重し合えるより良い関係へと見直していくことが必要になっています。
外国人だけがオーバーツーリズムか
観光現場では、コロナ禍を経て再び増加傾向にある訪日外国人観光客にも注目が集まっています。過去10年間で日本を何度も訪れるリピーターは増え続け、訪日外国人の来日回数2回以上の割合は、2022年度には70%以上に及んでいます。またコロナ前以上に再来訪意向が強まっており、確実に「日本ファン」が増えています。日本の有名観光地や買い物をすることを一通り終えた人々などの間では、日本の伝統文化や生活習慣を学ぶことへの関心が高まっています。
新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着き、訪日外国人観光客の本格的な来訪再開から1年が経過しました。都市部だけでなく、地方部にも外国人が数多く訪れています。
ここにきて外国人観光客のオーバーツーリズム(観光公害)への懸念が取りざたされていますが、観光地で迷惑行為を行うのは、必ずしも外国人観光客だけというわけではありません。昨年行われた日本人向けの国内旅行割引は、コロナ後の旅行需要の回復を後押しする大きな効果がありましたが、日本人観光客もまた地域のごみ問題に関わっていることがクローズアップされる契機ともなりました。とある観光地では、訪日外国人観光客が旅館で提供される食事の際に黙食を徹底し、マナーを守って静かに過ごしている一方、旅行割引で訪れた日本人観光客は、附帯のクーポン券を使用してコンビニエンスストアで購入したお弁当などを外で食べて、そのごみを周辺に放置するといった光景も残念ながら一部に見られました。また、旅行割引を活用した旅行者が一時的にどっと増えたことで、宿泊施設のリピーター、いわゆる常連さんが宿泊できず、一見さんの傲慢な振る舞いに辟易するといった話しも一部聞かれました。
観光地で働く人々は、多くの場合その地域の住民です。観光客から対価をいただき生活が成り立っています。しかし、観光客がすべて正しいといった考え方は、健全なツーリズム産業の発展、ひいては訪問する観光客自らの満足度向上のためにも改められていくべきではないかと感じます。常連さんや訪日外国人の日本ファンは、観光地に敬意の念をもって訪問しています。その気持ちがあるからこそ、宿泊先や観光地で受け入れ側とのコミュニケーションも円滑に行われ、お互いの気持ちが通じ合っています。その気持ちよさこそが、地域をリピートする要因となっているといえましょう。
観光地が持続化するために、地域と観光客にできること
日本においても、2020年に「日本版持続可能な観光ガイドライン(JSTS-D)」が定められ、全国各地で持続可能な観光地づくりが進められています。持続可能な観光(サステナブルツーリズム)という考え方は、むしろ海外では先行して取組みが進んでいます。比較的所得にも余裕があり、環境配慮や地域文化などへの関心が高い人々は、その取組みに賛同し、相応の対価を払い、自身が持続可能な取組みに協力できたことに満足しています。これから地域が生き残るためには、サステナブルな取組みは重要です。これまではお客様のためになればとの思いから、無理な受け入れを行うことが地域の自然や歴史文化の保全や継承に負担をかけてしまっていた面も否定できません。さらに、コロナ禍での人員削減による人手不足、人材不足がオーバーツーリズムの一因にもなっています。この対策は観光産業全体の喫緊の課題です。
例えば、とある地域が観光地として存続するため、人手を増やさずとも今のスタッフで受け入れられる許容量で取り組み、小さいながらも暮らしを担保できるだけの収益を得ることができれば、その地域は観光地として十分継続する可能性を秘めています。逆に需要が供給を上回り、荷重労働によるその場しのぎの誘客を進めれば、サービスも生産性も低下し、結果として収益も下がりかねません。持続可能な観光地を目指すのであれば、これまでの大量送客大量消費の中で見逃されていた課題に向き合っていくことも重要です。仮にそれによって一部のお客様を失ってしまうことがあったとしても、持続可能な形で丁寧に旅行者を受け入れていくことは、昔から守られてきた地域の自然や伝統文化などを改めて理解し、地域の新たな魅力を発見する契機となることも期待できます。
新潟県湯沢町では、80年以上前に完成した昭和初期のトレイルルートをコロナ禍に復活させました。アウトドアブームもあり、お客様の来訪も増えていく中で、昨年その道中に建つ百体の観音様をお掃除するツアーを実施しました。観音様のお掃除を目的として首都圏からこのツアーに参加した方々の掃除後の笑顔は清々しく、参加者のアンケート結果でも非常に高い満足度が得られました。また、そのようなお金では買えない経験や社会貢献への取組みを可視化し、地域全体でサポートするための仕組みづくりとして、観光NFT(Non-Fungible Token)の開発や活用も進められており、地域貢献を通じてローカルとつながることをコンセプトとしたNFTサービス「FOUNDEE」などが展開されています。このようなチャレンジが、地域の持続可能な観光の可能性を後押しいていくのではないかと期待されています。
地域に敬意をもって来訪するファンは、今後も国内外から増加していきます。地域としては持続可能な方法で彼らの期待に応えるとともに、訪れる側の地域に対する敬意や共感、お互い様の気持ちが旅の満足度を高めることでしょう。常連さんや日本ファンはまさに一宿一飯の恩義を忘れない観光客といえます。最近ではこのような人々をサステナブルツーリズムの観点から「責任ある旅行者」とも表現します。彼らは自身の行動に責任を持ち、何よりも観光地に敬意を持って訪れます。地域自らによる取組みはもちろんのこと、彼らのように観光客ひとりひとりの心配りが観光地の持続化の源泉であることは言うまでもありません。