アントレプレナーシップと人材育成について

日本経済の再活性化に向け、アントレプレナーシップと人材育成が重要な役割を果たす。本稿では、労働移動、大学文系人材の問題、新たな教育プラットフォームの可能性、そして過疎が進む奥尻島の挑戦を通じて、これらの課題について考察する。

篠崎 宏

篠崎 宏 客員研究員

印刷する

目次

経済が低迷する日本社会において、アントレプレナーシップと人材育成が重要性を増している。政府はスタートアップを最重要政策のひとつと位置づけ、エコシステム構築とアントレプレナーシップ醸成のプラットフォームの完成を目指している。帝京大学で教鞭をとりつつ、地域経営コンサルタントとして全国を飛び回る筆者が、アントレプレナーシップと人材育成に関して日頃感じていることを述べてみたい。

1. 労働移動と大学文系人材

国際競争力が下落している日本経済を復活させるためには、成長産業への労働移動が不可欠であることは言うまでもない。そのためにまずは就業の入口と出口として表裏一体関係にある新卒一括採用と定年制度について改めて議論する必要がある。新卒一括採用の制度が、学生が本来身につけるべき能力を身につけずに社会人になることを許している現状、そして人材不足が叫ばれている中で、再雇用制度があるとはいえ、60歳以上の労働者が蓄積した能力を最大限発揮する機会を失っている現状は、本当に適切なのか。これらについて幅広く議論が必要な段階にきている。
 和歌山大学が2021年度に受託した「先導的大学改革推進委託事業・大学における観光教育の現状と課題に関する調査研究」によれば、観光ビジネス群、観光実践群、総合人文系群に分けられた34大学の観光就職率は、過去の調査より高い結果になっている。しかし、観光関連産業が専門性によらず優秀な人材を採用する一方で、専門性の高い人材教育を模索する大学との間に観光人材に対するミスマッチが起こっている。
 また、日本の大学文系人材のクオリティについても考慮する必要がある。多くの大学が論文を必須科目から選択科目に変更した結果、文系の学生であっても最低限必要な文章力を身につけずに卒業している学生が多い。一方、理系の学生に対しては、ほとんどの大学で論文が卒業の必須条件になっており、ある程度の基礎能力を身につけて社会に出ている。理系人材の海外流出が問題視されることが多いが、理系人材が生み出したアウトプットを社会に実装化することが文系人材の役割だとすれば、日本の競争力低下は大学の文系人材教育にも原因があると言っても過言ではない。
 大学の定員数が入学者数を上回っている、いわゆる大学全入時代を迎えた今、大学は財務的な経営基盤強化のみならず、改めて最高学府として社会から求められる人材教育を徹底し、国際競争に勝ち残る人材を育てるべきである。

企業側も、新卒社員の採用に関しては、キャリア採用社員と競わせるくらいのレベルまでハードルを上げても良いのではないか。そうすることにより、日本の学生は海外の学生と同じように、大学在学中に真剣に学ぶ必要に迫られ、入社後の企業側の人材育成の負担軽減につながる。企業側が採用基準を「具体的に何ができるのか」にシフトすれば、専門能力が注視されるはずである。このように成長産業への労働移動を円滑に進めるためには、既存のシステムをスクラップ&ビルドする必要があり、産官学だけではなく、国民を巻き込んで議論を進めるべき時期にきている。

2. 地域を変える可能性を秘めたZEN大学

2025年4月の開学に向けて設置認可申請中のZEN大学(仮称)は、株式会社ドワンゴと日本財団が一般社団法人を立ち上げ、準備を進めている。学校法人角川ドワンゴ学園はN高校とS高校で合計27,712名(2023年12月末時点)の生徒を抱える日本最大の高等学校を有しており、インターネットを活用した授業を提供している。N/S高校の卒業生は、東京大学などの難関校へも進学しており、従来の通信制教育とは一線を画している。
 ZEN大学の特徴は、最先端のICTツールやデータを使った分析など、社会で求められる実践的な学習が可能であること、そしてオンラインの特性を生かして地域を離れることなく大学の講義を受けることが出来る点にある。地元に大学がない高校生が進学する場合、学費に加えて生活費の仕送りが発生し、家庭の経済状況によっては進学を断念するケースも少なくない。しかし、ZEN大学では自宅にいながら日本中どこからでも講義を受けることが可能なため、経済格差による進学率の違いを緩和することができる。さらに、学費を年間380,000円に設定することにより、学生自身がアルバイトで全学費を賄うことも可能となる。
 また、オンライン大学の利点として、自宅以外の場所からも講義を受けることが可能であり、住んでいる地域以外で社会と接続しながら学ぶことが可能である。例えば、高齢化により若者がいなくなった集落などに長期滞在しながら学ぶことで、社会課題に正対する学びのフィールドが提供され、貴重な実践学習の機会を得ることが出来る。逆に、地域住民と交流することにより、住民側のITリテラシーの向上に学生が貢献することも可能となる。
 ZEN大学の学部は知能情報社会学部のみとなっており、AIの実装化やICT分析、社会課題の解決に能力を発揮する専門性が極めて高い人材を社会に送り出すことを目指している。2月2日のプレスリリースでは、全国21市町村とのプログラム連携が発表され、専門性を武器に各地域の課題解決に挑戦する環境が整備されつつある。

3. 政府が推進するスタートアップとアントレプレナー教育

政府は2020年以降、スタートアップ・エコシステム拠点都市を8都市選定し、大学、自治体、産業界のリソースを結集。大学発スタートアップの創出やその基盤となる人材育成に取り組み、エコシステムの形成を推進している。参画大学も95に達し、それらの大学がリードしてアントレプレナー教育を自律的、効率的に広げ、我が国全体でアントレプレナーシップを醸成するための人材の育成、環境整備を進めている。
これらのプログラムを受講した大学生からは、「起業仲間づくり、学生コミュニティ支援」や「先輩起業家、OB/OGとの交流」など、今後のプログラム作成に対する前向きな要望が挙がっている。
 また、政府が推進するスタートアップ育成5か年計画では、「我が国を代表する電機メーカーや自動車メーカーも、戦後直後に、20代、30代の若者が創業したスタートアップとして、その歴史をスタートさせ、その後、日本経済を牽引するグローバル企業となった」とし、「半数近くの大学生がスタートアップへの就職も希望しているという現状も踏まえ、希望する学生への起業家教育やメンター・アクセラレーターからの支援を受ける機会を提供することが重要である」としている。その取り組みとして「小中高生を対象にして、起業家を講師に招いての起業家教育の支援プログラムの新設や、小中高生向けに総合的学習等の授業時間も活用した起業家教育の実施の拡大を図る」としており、EDGE-PRIME Initiativeとして全国の小中高生にアントレプレナー教育を実施、小学生から大学生までアントレプレナーシップ醸成のプラットフォームが完成しつつある。
 政府が推進しているアントレプレナーの意味は、起業のみならず、ピーター・ドラッカーが言う「イノベーションを武器として、変化の中に機会を発見し、事業を成功させる行動体系までを含む」ものと捉えるべきであり、人口減少に起因した経済の停滞に苦しむ地方において、最も重要な教育のひとつとなっている。

4. 奥尻高校アントレプレナー教育

北海道南西沖地震から30年、奥尻島は人口減少と経済基盤の縮小に直面している。観光客やビジネス客を支えてきた宿泊施設が高齢化により廃業し、空き家や空き店舗が工事関係者専用の寄宿舎として利用されている。食堂や居酒屋、タクシー事業者なども減少し、経済活動は低迷している。交流人口の拡大は有効な戦略だが、それらを支える事業者の急速な減少の前には、その効果を発揮することさえ難しくなっている。
 奥尻島唯一の高校、奥尻高校では全校生徒57名が「まなびじま奥尻PROJECT」を展開し、「町おこしワークショップ」「スクーバダイビング」「奥尻パブリシティ本部」の3プロジェクトを推進している。2022年度の奥尻高校町づくりワークショップの目的は以下の3つに設定された。

  1. 奥尻島の農業・水産・工業・観光などの課題を知り、解決策を練り提案、実行することで島の未来について考え、島への誇りと愛着を育てる
  2. 「答えのない問題」を発見し、その原因について考え、解決へと導く活動を通して、これからの時代に必要な課題解決能力、創造力、実践力を培う
  3. 社会の構築に奮闘する人々との関りを通して、「社会へ貢献することへの意義 」 や 「世の中の実態と厳しさ」を感じさせること

つまり、奥尻高校では、生徒が奥尻島の課題に向き合うことで、現代で必要とされている課題解決能力を全員が身につけ、新しいことに対して臆せず挑戦する機会を提供しているのだ。2023年度には「起業」を新たなテーマに追加し、オーストラリアで900社以上の企業支援を行ってきたGlobal Solutions Strategies代表の久保田貴宏氏をオンライン講師に招き、「町おこしワークショップに必要な起業家精神(アントレプレナーシップ)」や「アイデアをビジネスにするための戦略的アプローチ」について講義やグループ討議を実施した。最終報告会では、14チーム中4チームが起業をテーマに、冷凍自販機事業や奥尻深海ワイン、奥尻空港での土産事業、移住サポート会社の設立などの事業プランを発表した。
 離島では進学や就職を機に島を出ることが一般的で、人口減少はある意味必然とも言える。しかし、高齢化により廃業を余儀なくされる事業者が増える一方で、空いた事業領域への参入のチャンスも増している。奥尻高校のアントレプレナー教育では、「高齢化、人口減少に直面しながらも、奥尻島は事業参入の視点から見ればチャンスである」と伝えている。参加した生徒のモチベーションは極めて高く、島を巣立った卒業生の中から進学や就職を経てアントレプレナーとしてUターン起業をする卒業生が出てくることを感じずにはいられなかった。奥尻島のような過疎化が急激に進む地域こそアントレプレナー教育が必要であり、アントレプレナーシップを身につけた若者を増やすことで、中長期的には地域課題が解決に向かうはずである。

 

5. 観光人材教育の課題

最後に、観光人材教育についても触れておきたい。
 2023年4月、中国山東省で観光複合型大規模沖合養殖システム「耕海1号」が開業した。これは大規模沖合養殖、釣堀、飲食施設、宿泊施設、水族館、科学研究施設などを有する施設で、直径120メートル、宿泊定員241名となっている。海洋面積世界第6位の日本では、大規模沖合養殖は既に事業化されているが、観光複合型の事業化には遅れをとっている。筆者が大規模沖合養殖を展開している日本の大手グループ企業に観光複合型での展開の可能性について質問したところ、大規模養殖施設としての技術向上に注力したいとの回答があった。技術研究の模索段階においては想定される回答ではあるが、その先を見据えてより収益性の高い観光複合型の事業へと発展させるシナリオと、それをマネジメント出来る人材が必要である。
 先に述べたように、理系人材が生み出したアウトプットを実装化することが文系人材の役割であると考えると、今の観光系学部学科を有する大学や観光庁の観光人材教育プログラムは、固定化された狭義の観光概念の枠中での人材教育となっており、時代を先読みする斬新性に欠けている。観光は総合産業であるからこそ、スタートアップやアントレプレナー教育の観点が重要である。観光産業以外の産業をマネジメントできるスケールの大きな人材を育成することが、観光産業が日本のリーディング産業になるための要件ではないだろうか。