地域芸術祭が向かう未来

コロナ禍中、人々の活動自粛が求められる中で「不要不急」という言葉が文化や芸術に向けられ、その言説は文化芸術の担い手や応援者に深い傷を残した。一方で、地域芸術祭は全国各地に浸透し、今年は久々の本格開催が目白押しだ。地域芸術祭は、多くの人にとって大切なものであり続けることができるか。地域芸術祭が持つ独自の価値を、それらがもたらした成果を踏まえて考える。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長

印刷する

目次

1. 地域芸術祭の定着

美術館の壁は大抵、白い。美術界でこの「ホワイトキューブ」と呼ばれる展示手法が一般化したのは1976年以降と比較的新しい。作品を純粋に鑑賞するために、背景のノイズをとことんまで排除するという基本思想だ。これを現代の屋内展示の基本とするなら、その対極に位置づけられるものが地域芸術祭であろう。
 地域芸術祭は、地域独自の景観や地域が紡いできた文化と現代アートの融合を通じ、地域や年齢などの属性を超えたさまざまな人々の交流を生み出すことで地域に新たな魅力や視点をもたらし、交流人口を増やし、地域を活性化させていくことを目的として開催される。その多くがトリエンナーレ(3年おきの開催)またはビエンナーレ(隔年開催)方式を採るが、2024年には、札幌国際芸術祭、大地の芸術祭、横浜トリエンナーレ、北アルプス国際芸術祭など多くの芸術祭の開催が予定され、楽しみにしているアートファンは多い。
 国内における地域芸術祭のムーブメントは、2000年が初回の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、2001年が初回の「横浜トリエンナーレ」を皮切りに始まった。さらに、ベネッセアートサイト直島の活動をベースとして2010年に開始された「瀬戸内国際芸術祭」が地方部で開催される芸術祭の認知度を引き上げ、多くの地域に展開される契機となっていった。

2. 地域芸術祭の効果

(1)経済効果

瀬戸内国際芸術祭はこれまでに5回開催されており、各回で100万人前後の来訪者を迎えている。2019年の開催時には海外からの来訪者が23%を占め、その経済効果は約180億円にのぼった(コロナ禍中の2022年開催時でも103億円程度)。
 大地の芸術祭は過疎高齢化が進む越後妻有に約65億円の経済効果を生み、後発組となる北アルプス国際芸術祭も初回で10億円の経済効果をもたらした。純粋な観光による来訪ニーズに季節波動を伴う地方部においては、芸術祭の開催による経済効果は極めて大きな意味を持つといえる。

(2)地域コミュニティの再生

活動歴の長い瀬戸内国際芸術祭を例に挙げる。初回開催時の主会場は直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島の7島。その後、会場は周辺の島々に拡大し、これに伴う社会効果を生み出している。
 芸術祭開催以前よりアートによる活性化を推進してきた直島では、2004年以前までカフェが一軒もなかったところ、2023年には53店舗にまで増加し、地域の人々が集える場所が多く生まれた。大島は、ハンセン病回復者の療養施設があることから近年まで一般客が利用可能な定期航路が存在しなかったが、2010年の初回開催を契機として2019年に一般客が乗船できる定期航路が開設された。豊島では、美術館の建設に留まらず、コミュニティ活動が促進され、失われた棚田の復活プロジェクトが進んでいる。最も大きな変化があったのが男木島だ。子どもが島から1人もいなくなるという状況の中で移住促進の活動が活発化し、休校になっていた小学校や保育所が芸術祭を契機に再開した。現在、島の人口は約130人程だが、そのうち約50人が移住者となっている。
 瀬戸内に限らず、多くの芸術祭では「サポーター」と呼ばれる人々が企画や運営をサポートする。サポーターの世代や居住地は様々で、市民はもちろん、各地の芸術祭に関与する「芸術祭サポーターのプロ」もいる。来訪者もリピーターが多く、大地の芸術祭では約4割がリピーターとされる。2~3年に一度の「アートの祭り」を軸として、域内外のサポーターとリピーター、そして毎回異なるアーティストとの交流が行われることがまちの活動を活性化させ、イベント期間中に留まらない連携が生まれるきっかけとなっている。

(3)新たなレガシーの創造

地域芸術祭では、「芸術祭の期間だけ見られるアート」と、「恒久展示として残されるアート」がある。アートは、設置当初はよい意味での「異物」としてそこに出現する。その異物感や、地域景観との融合により新鮮な印象や従来の風景からの変化を愉しむことができる「その時だけの(まぼろしのような)景観」に価値がある。一方で、恒久展示として残るものは、地域に流れる時間の積み重ねを通じていつしか「異物」ではなくなり、地域のシンボルになったり、集客拠点になったりして地域の新しい核を形成する。
 2017年の北アルプス国際芸術祭第1回展で発表された、クリエイティブチーム「目[mè]」による廃屋同然だった古民家を活用した作品「信濃大町実景舎」は、現在も恒久展示されている。大町市内から北アルプスを望む視点場として一等地である鷹狩山だからこそ形成できた空間アートだ。
 越後妻有を代表する名所のひとつとなった清津峡渓谷トンネルは、2018年の大地の芸術祭開催時にアート作品「Tunnel of Light」として改修したものだ。トンネルの先に広がる渓谷が水鏡に反射する写真を見たことがある人もいるだろう。トンネルの内部リニューアルとともに、カフェや足湯などを併設したエントランス施設が設置され、地域を代表するアーティスティックな観光スポットとなった。
 国際芸術祭の開催に先駆け、1994年に直島で開催された「Open Air ’94 “Out of Bounds” ―海景の中の現代美術展―」のために設置された草間彌生の「南瓜」は、景観と南瓜が一体となってできる風景自体が完成形となるように、この場所に設置することを前提として色彩やサイズが決定された。今ではベネッセアートサイト直島の中で最も象徴的な場所だろう。

目[mé]「信濃大町実景舎」(提供:大町市)

《南瓜》草間彌生 2022年 ©YAYOI KUSAMA/Photo:山本糾

3. 掛け合わせる対象が「アート」である理由

地域への来訪を促す仕掛けとして、観光に何らかのテーマを掛け合わせるケースは多いが、「現代アート」をテーマとした芸術祭が息長く続き、全国各地に定着していったことにはいくつかの理由がある。

(1)土地のメッセージの伝えやすさ

ひとつめは、地域のオリジナリティやメッセージを伝えるにあたり、アートを媒介することの相性の良さだ。1988年から直島を核としてアートを活用した地域活性化事業を推進するベネッセアートサイト直島の塩田氏は、「人間にとっての最高の教師であるところの自然をアートによって照らすこと」「アート制作においても、地域に在るものを活かし無いものを創ることでサスティナブルな取り組みにすること」を重要視していると言う。
 こうした思想は、現場に足を運ばなければ体験できないサイトスペシフィック・ワークとしてのアート体験の唯一性に繋がり、「アートを通じて地域の姿を見てほしい」という地域側のメッセージと極めて相性が良い。これを実現するために各地の芸術祭で行われるのが、コミッションワークだ。コミッションワークは、アーティストが作った既存作品を地域に設置するのではなく、アーティストが地域に滞在し、時には地域の素材を活かし、特定の場所だからこそ成立するアートを制作するもので、その工程に意義がある。従来であれば観光客にとって「見るべき場所」でなかったところがアートによって来訪目的地になり、そこが見る・知るべき場所に変貌する。地域側にとっては、伝えたい土地の記憶やメッセージを、アートを透かして来訪者に伝えるために、場所やテーマの選定を通じて戦略的にデザインしやすいという利点がある。目的地の分散によって来訪者を従来の観光行動とは異なる動線に誘導し、滞在時間の延長に繋げることもできる。
 また、各芸術祭では、里山や自然の景観の中にアートを置くのみならず、廃屋や廃校などの遊休資産を改造してそれそのものをアート作品として再生したり、制作の拠点にすることも多く行われる。これにより、地域景観の新陳代謝を促し地域の空洞化を防ぐとともに、地域が“停滞していない”ことを地域住民に示すことができる。

(2)協働・共創のしやすさ

もうひとつの理由は「地域(人、資源)との協働のしやすさ・自由さ」にある。現代アート個々の作品には厳密なロジックがあるが、こと地域芸術祭で制作される作品は、「地域との融合」がテーマとなるため、地域の景観や素材を活かすことが必須となる。作品が制作される過程における様々な人との交流や何らかの偶然性を含めて、作品は出来上がっていく。
 北アルプス国際芸術祭に参加したアーティストからは、「制作過程で、地域の人との触れ合いや地域ならではの習慣に触れ、人間として経験を積める」「作品そのものというよりも、その一歩手前の段階の、作品の周縁にある事柄に対して興味を持ってくれたり共感してくれたことが支えになった」という声がある。
 地域住民が作品制作をともに行う過程で、アーティストの感性に触れ、アーティストの目線で地域がどう見られているかを知る。アーティストは地域の人々と触れ合うことで、目に見える風景よりも深いところで地域理解を促進させる。その掛け算によって生み出されるアートは地域住民にとって「誰かが勝手に買ってきて設置したもの」とは異なり、「わたしたちのもの」になる。「わたしたちのもの」になった作品のお披露目となる芸術祭の期間中、制作に関わった住民が頻繁に作品を訪れて来訪者に制作の様子を説明する風景があちこちで見られる。大町市では、既存飲食店や商店のほか、飲食店従事者ではない女性グループ「YAMANBAガールズ」が公式レストラン運営を担うなどの体制が敷かれた。制作から開催までの様々なタイミングで、大人、子供、高齢者など様々な立場の人が関与できる余地・自由度が高いことも、媒介としての現代アートの特性と言える。

五十嵐靖晃「そらあみ」制作風景/Photo:Shintaro Miyawaki(提供:瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局)

地域の子供たちによるアート制作風景(提供:大町市)

4. 芸術祭が向かう次のステップ

(1)運営・実行体制

アートという専門性を必要とする地域芸術祭において、その半数以上には、総合プロデューサーやディレクター、キュレーター、全体監督などの「監修者」が設定されていることが多い。これにより、アートイベントとしての質を担保し、地域が発信したいコンセプトを全体に浸透させることができるという利点がある。一方で、この責務を全うできる専門人材・チームが限られることによる個々の芸術祭の相似が課題として提起されている。加えて、監修者が参加アーティストの選定にも主導的役割を果たすことから、参加アーティストに偏りが生じやすいという側面も否定できない。先に述べた協働の効果は、あくまでもアーティスト選定後からの流れの中にある。地域の芸術祭がこれまで以上にオリジナリティと持続性を担保するためには、地域にゆかりがあるアーティストの参画強化や、地域から発信したいメッセージを構築していく過程においても住民の積極的な巻き込みを狙うなど、企画やアーティスト選定の過程において、「地域性」のエッセンスを強めていくことも検討に値する可能性がある。

(2)「批評」と「記録」を通じた質の担保

一方、地域性を強めていくにあたっての障害となり得るのが、芸術としての質の担保と作品の記録の継承だ。アートは一般鑑賞者とっては自由に愉しむ対象であるが、美術界においては制作と批評がセットで行われることが求められる。地域芸術祭は期間限定の展示を主とし、限られた期間内にその場に行かなければ価値を実体験できないことから、批評家による鑑賞がなされにくい構造にある。また、地域住民との共同制作過程を通じた偶然性をも織り込んで制作される作品においては、作品単体としての質の高さ・厳密さを批評することが困難になる。芸術祭がそれ自体の質を向上させ、アーティストの成長に寄与し、作品がアーカイブとして記録され伝えられていくことを促進するために、作品批評の仕組みをイベントの中に組み込むことは重要な視点であると考える。併せて、協働による制作の“過程”が持つ価値にスポットを当て、過程を記録してアーカイブしたり、芸術祭及びその作品をテーマとした映像作品をアートとアーカイブ双方の側面から制作し、アートがまた次のアートを生むサイクルを構築するなどの展開も検討できよう。

(3)アーティストと地域との関わり強化

大町市では、北アルプス国際芸術祭とは別途、「信濃大町アーティスト・イン・レジデンス事業」を2016年から2023年までの間に8回実施している。芸術祭以外の場面でも地域に滞在するアーティストが作品を制作する過程を見る機会を多く設定することで市民がアートに触れる機会を増やし、芸術祭への市民の積極的参画に向けた布石となっている。
 このような取組は、芸術祭を渡り歩くだけではなく特定の地域に継続的に関わり、地域の景観を断続的に変貌させていく可能性を含むような、アーティストと地域との恒常的な関わりを生み出し、中長期的なまちづくりの観点にアートを組み込んでいく仕掛けの芽ともなり得るだろう。

(4)ターゲットの拡大

芸術祭の来訪者は、20~30代などの若年層、特に女性が多いことがひとつの特徴で、芸術祭の開催が従来の地域来訪者の属性を広げたという効果は確実にある。多くの芸術祭はリピーターやアートファンをコアターゲットにしており、プロモーションや解説文はアート志向層に向けた内容になっていることが多い。しかし、アート無関心層を芸術祭に呼び込まない限り、その効果の範囲はアートファン又は各地の芸術祭リピーターから拡張しない。
 経済的な観点から芸術祭が目指したいことは、アートファンでも地域のリピーターでもない、芸術祭の情報に“偶然触れた”人を地域に呼び込むことや、観光地来訪や夏期アクティビティなどの別目的で来訪した人に、芸術祭を契機として行く予定がなかった場所にまで足を運んで貰うことにある。
 そのためには、作品マップや作品解説を中心としたガイドブックだけでなく、現代アートに馴染みがない層に、アートとの向き合い方自体を体験して貰うための対話型鑑賞を促すツール作りが必要だ。例えば、見る角度や時間帯の違いによる作品の見え方の変化を伝えることで、風景だけでなくその日の天気や時間とアートが一体化していることを実感してもらうことができる。また、この作品を見てなにが聞こえたか、最も気になった部分はどこか、それはなぜか。背後の景観と合わせてみることで感じた気持ちを形容詞で表現してみよう、など、アートに向き合ったときの感覚を言語化させるツールを使い、芸術祭との出会いを通じて現代アートの味わい方自体を知り、アートと人をより近づけていく機会にすることができる。

ワン・ウェンチー「ゼロ」制作風景/Photo:Shintaro Miyawaki(提供:瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局)

トム・ミュラー「源泉(岩、川、起源、水、全長、緊張、間)」(提供:大町市)

5. おわりに

もしも芸術が不要不急であるならば、地域芸術祭は誰のためのものか。アートを媒介して地域に関わった人、地域を来訪した全ての人にもたらす本質的な価値とはなにか。芸術祭が地域に与える経済効果やシビックプライドという効果について積極的に肯定しながらも、芸術文化は究極的には地域経済を維持発展させるための手段であってはいけないと考える。
 芸術は、家電やモビリティ、スマートフォンのように直接的に自身の生活を便利に豊かにしてくれるものではない。そもそも、人類が文字を持つようになる以前から、アートと呼べる感性は存在した。本来、直接的な経済活動と別個の価値概念として存在するアートというものを地域活性の手法として選定したからには、地域がアートという文脈を活用・消費するのではなく、国内のアートの質の向上やアーティストの活動発展に寄与することを芸術祭のストーリーの中に織り込んでいく必要がある。地域芸術祭がイベントとして陳腐化することなく恒久的な価値を発揮していくために、次のステップに向かう分岐点がきている。
 
取材協力:ベネッセアートサイト直島、大町市