自然療法として旅を処方する

自然療法を活用した治療や自然の中で過ごす時間が医療の一部として処方される海外の事例を参考に、日本での「旅の処方」の可能性について考察します。

臼井 香苗

臼井 香苗 研究員

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目次

皆さんは、心や体が不調な時、今いる場所を少し離れ、温泉や森林、海といった自然を求めて旅をしたことはありませんか。そんな時、医学的な見地から自分の体調に合わせた旅先や、過ごし方を指南してくれる機会があったらどうでしょうか。
 治療の一環として自然を活用した療法や、自然の中で過ごす時間が処方されることについて、海外での取り組みを参考にしながら、日本における「旅の処方」について考えてみたいと思います。

1. ドイツの事例:健康保養地(Kurort:クアオルト)

ドイツには、国内に健康保養地(Kurort:クアオルト)として認定された地域が350以上あり、かかりつけ医によるクアオルト療法の処方を受けると、加入している保険を利用し、平均5日間程度、健康保養地で療養できる制度があります。各健康保養地はそれぞれ、森林・山岳などの気候や地形要素を治療素材とする「気候療法保養地」、海岸で海洋性気候要素を用いる「タラソテラピー保養地」、ドイツで伝統的なクナイプ式水治療法を行う「クナイプ療法保養地」、温泉療法や泥療法を主として行う「鉱泉・泥療法(温泉療法)保養地」に分かれています。
 筆者は、昨年10月にクナイプ療法保養地として有名なBad Wörishofen(以下バードヴェリホーヘン)市を訪問しました。バードヴェリホーヘン市はミュンヘンから南西へ電車で約1時間、市の面積は約55平方キロ、森林率は約2割、高原性の気候で人口は約18,000人(2022年12月31日)の街です。
 クナイプ療法とは、自らの結核を克服するため、セバスチャン=クナイプ司祭(Kneipp,S. 1821-1897)が、水・植物・運動・食事・バランスの5つを柱として確立した自然療法です。バードヴェリホーヘン市には彼が活動の拠点としていた教会があります。なお、現在ドイツ国内にはクナイプ保養地が約60ヶ所ありますが、認定されるには、①豊かな自然環境があり保養に適した気候条件を備えていること、②散策コースを持つ森林及び保養公園を有していること、③保養医療データの蓄積があること、④適切な医師、医療スタッフと医療施設を持つこと、などの項目が定められています。
 バードヴェリホーヘン市内には、クナイプ療法を実践する宿泊施設、クナイプ公園(クナイプ療法の、水療法や運動療法が実践できる公園)や、クナイプ博物館、クナイプ製品やハーブを多く取り扱っている薬局、エアロゾルのセラピースポットなどがあり、街全体でクナイプ療法を体感することができます。

市内の様子

筆者撮影:街中にはクナイプの水療法や運動療法を実践することができる施設があるほか、クナイプ療法に基づく健康へのアドバイスが書かれた看板があちこちにある。

バードヴェリホーヘン市には、地元バイエルン州を始め、ドイツ全土から保養客が訪れており、コロナ禍でもリハビリ旅行等は認められていたこともあり、2020~2021年においても、7万人を超える来訪者、延べ37万泊の滞在が記録されました。
 医師から処方を受けた療養者、または一般の保養客は、クナイプ療法が受けられる宿泊施設に滞在し、Heilpraktiker(以下ハイルプラクティカー)と呼ばれる自然療法士(国家資格)から、症状に応じた水療法や干し草療法などを受けたり、周辺のクナイプ公園を散策したり、観光を楽しんだりしながら過ごします。
 筆者が宿泊したKneipp-Kurhotel Steinleは、ホテル内のセラピールームでクナイプ療法の施術が受けられる他、ホテルはホールフード(食材を皮や根なども含めて全部を使う)認定も受けており、健康的な食事をとることもできる宿泊施設でした。

筆者撮影:(左)クナイプ療法が受けられる認証マーク、(中)クナイプ療法士による、水治療、(右)干し草治療用の枕

2. 諸外国で実施される補完代替療法

ドイツのように、医師による薬だけではない補完代替療法の処方が、結果的に旅行につながっている事例は他にもあります。

例えばイタリアにおける国民医療制度(National Health System:NHS)では、主に呼吸器系、耳鼻咽喉科および骨関節疾患の治療と予防のため、①入浴療法(Balneo therapy)、②浮力利用のリハビリテーション(Hydrokinetic therapy)、③吸入療法(Inhaletion therapy)、④温泉泥療法(Fango therapy)が医師により処方されます。療養者は認定されたスパで、1年に1回の治療サイクル(おおよそ12日間)を治療の一環として55€(約8,600円)で受けることができます(さらに、条件に応じて一部免除、全額免除が適用されることもあります)。
 国内に約1,300の温泉が分布する温泉国ハンガリーでは、約800の温泉が医療目的として活用され、健康保険制度にも温泉療養が正式に組み込まれています。
 ポーランドでもドイツのように、保健省が優れた気候条件と天然の薬用物質が豊富に存在する地域を健康保養地として認定し、医師からの紹介をもって21~28日の治療とリハビリに関するサービスを受けることができます。
 カナダでは、医師によって国立公園内の滞在が処方される制度などもあります。2020年12月からは、医師が患者に対して「自然の中で過ごす時間」を全州で処方できるようになり、国立公園が広く活用されています。

3. 日本における制度の現状

日本では、保険治療の一環として「医師から滞在を伴う自然療法を処方される」ということはありませんが、温泉療法における医療費控除、という制度があります。
 厚生労働省により認定された、温泉利用型健康増進施設で温泉療養を行い、かつ要件を満たしている場合には、施設の利用料金、施設までの往復交通費について、所得税の医療費控除を受けることができる制度です。手続きとしては、主治医や主治医から紹介される温泉療法医、または認定施設が提携している医師などから温泉療養指示書を受け、認定施設を訪れます。認定施設には、温泉利用指導者と呼ばれる専門家がおり、温泉療養指示書に基づいて、温泉療法を指導します。
 利用者はおおよそ1か月以内に7日以上、施設を利用し、利用後は領収書と温泉療養証明書(または報告書)を施設から受け取ります(報告書の場合は、後日温泉療養指示書を作成した医師に、温泉療養証明書に作り替えてもらう必要があります)。その後、年度末の確定申告時に税務署で申告し還付を受ける、という流れになります。
 北海道豊富町の温泉施設では、泉質がアトピーをはじめとする皮膚の症状改善に有効であるとされ、温泉療法医から処方を受け来訪する人がおり、2017年に温泉利用型健康増進施設に認定されて以降、その数は増加しています。
 一方で、まだこの制度の国民へ認知度が高くないことや、実際に温泉療養指示書を処方する医師の少なさ、この制度を利用するための手続きの煩雑さや還付される金額の少なさなどから、多くの方の利用には至っていないのが現状です。

4. 日本における「旅の処方」に向けた課題と展望

「疲れたから温泉にでも行こうかな」と考える人は多くいると思いますが、ひと口に温泉といっても、泉質や温度、環境などは様々であり、症状が重いほど行き先や滞在の仕方は重要になってきます。
 事例に上げたドイツやイタリア、ハンガリーなどは、神経痛や皮膚疾患、循環器系疾患、リウマチ等、対象疾患特定の疾患や症状に応じた処方が確立されており、そのため保険の適用などが進んでいるといえます。
 そもそも日本において「処方」とは、医師が患者の病状に応じて、薬の調合と服用法を指示することですが、ドイツではその「医師」に補完代替医療に限定した医業免許である「ハイルプラクティカー」が含まれることや、「薬」として自然療法が含まれる点が日本とは異なる点です。
 そのため現在の日本の医療制度の中で、直接的に「旅を処方する」ということは現段階ではできませんが、症状と旅先を「つなぐ」という機能を拡充することはできると考えます。つまり、ただ漠然と「旅することは健康にいい」ではなく、どういった症状の時に、どんな場所へ行ってどのように滞在をすればよいのか、といった提案を発信し、利用者からのフィードバックを積み重ね、エビデンスを蓄積していくことが必要であるということです。
 そうすることで、自然療法に関心を持つ医療関係者が増加し、さまざまな滞在先に自然療法の専門職が増加すれば、治療や予防の一環として旅を選択する人の広がりも見込まれます。症状と旅先を「つなぐ」機能が信頼をもって実現するとき、旅の処方に向けて道が開かれると考えます。