観光対象としての建築

日本の歴史的建築物や街並みは、訪日客にとって大きな魅力のひとつだ。建築を通じて日本独自の文化や精神的価値を実感できるほか、自然災害への適応能力を備えた建築術も高く評価されている。一方、建築物の保全には形状や機能に変更を必要とする場合がある。建築を守り、観光に活かすために重要なことはなんなのか、その本質を考察する。
*本コラムは、(一財)建築保全センター機関誌「Re No.223」に掲載された原稿を、許可を得て再掲するものです。

河野 まゆ子

河野 まゆ子 執行役員 地域交流共創部長

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目次

1.観光目的としての建築

“訪日客が訪れる建築”と聞いて最初に思い浮かぶのは、有名な観光社寺だろう。トリップアドバイザーが実施している「外国人に人気の日本の観光スポット」に関する調査で、伏見稲荷大社は2021年までの6年連続で首位を譲らなかった(2022年には広島平和記念資料館(原爆ドーム、平和記念公園等含む)が1位)。
 海外旅行時の主な目的(複数回答)を見ると、欧米豪・インド・中東居住者は、「アート鑑賞(38.4%)」「食(36.6%)」「庭園・花鑑賞(36.4%)」に次いで、「建築(35.6%)」が4番目に高い。東アジア・東南アジア居住者はこれが24.4%と約10ポイント低く、建築を「見るべきもの」として捉える感覚は非アジア文化圏において強いことが分かる(図1)。
 これらの層にとっては、社寺などの歴史文化資源以外の様々な建築も観光対象になりやすい。

図1 海外旅行の主要な目的

出典:日本政府観光局(JNTO)「22市場基礎調査」(2021)

2.建築を通じて旅行者が感じる世界

日本の建築は、古来、紙と木と土でできていて、このメインストリームは明治期まで長く続いた。イザベラ・バードは明治初期の西洋化した都市建築を指して「俗悪」「建物というより砂糖菓子のよう」と切って捨てるような批評をし、一方で新潟エリアの旧市街のことを「清潔で絵のように美しい」「おとぎの国」と礼賛した。昨今の訪日客が日本の旧街道筋を歩き、農村部を散策し、宿坊に宿泊しているさまを見ると、この150年近く前の旅行者の視点が現在の訪日客の視点とそこまで断絶しているとはいえないだろう。
 我々も含めて、旅行者は、「あそこであの写真を撮りたい」「人が絶賛する○○を見て感動したい」という、ある種の予定調和を期待して旅に出るが、それと同時に、自分だけの極めてパーソナルな体験と発見を持ち帰りたいとも願う。建築は本来、その構造物の中で長い時間を過ごし、その建築に期待されている機能を享受することで価値を体験できるものだが、旅行者に限って考えると、極めて短い滞在時間の中で「見る」「入る」「説明を聞く」ということを通じてしか、建築を体験してもらうことはできない。その限られた接触の中で、日本の建築を通じて彼らが見出し得る発見やパーソナルな感慨とはどんなものか。

  1. 信仰・儀式空間にみる「日本らしさ」
  2. 訪日客の多くは、神社と仏閣を明確に理解して訪れているわけではないが、社寺建築やそれらが織りなす空間に入った際に感じる感覚は、来訪頻度や経験値によって明確に変化する。2019年に、都内の社寺(神田神社/明治神宮/築地本願寺/増上寺)を来訪した訪日客にアンケート調査を実施したところ、社寺来訪が【今回が初めて】の来訪者は、「にぎわっている」「刺激的」、【2~4回目】では「文化的」、【5回目以上】では、「自分を見つめ直せる」「日本人の精神性がわかる」といった印象を持つ傾向が見られ、訪問回数を重ねるほど、その建築や空間から自身が読み取る「体感」に関わる回答率が高まる(図2)。
     神社では式年遷宮が基本とされていたことから、拝殿・本殿を未来永劫の完成形として設えることをしない。神の住まいは常時清廉で、余計な装飾は排されている。神社には鎮守の森があり、時には自然そのものを背負うケースもある。これは、教会やモスクという建物の中で世界を完結させる信仰空間とは圧倒的に異なり、建築そのものの文化財的な価値や優れた意匠を評価することができない反面、空間を世界そのものにまで広げた信仰のあり方を体感することができる。冒頭に挙げた伏見稲荷大社の人気の根源は千本鳥居の景観だが、これは鳥居の数だけの寄進者の想いによって段階的に異空間のような鳥居のトンネルが形成されてきたという「想いの圧」のようなものが威力を発揮しているのであって、これがあらかじめ誰かひとりのデザインによって整然と設置されたものであったなら、万人を惹きつけるこの「圧」はおそらく生まれない。
     お寺は神社と比べると「長く保たせる」ことを前提としている上、宗派や時代による特性が顕著に分かる。また、建築の内外からその意匠を見たり、仏像が安置されている状況を鑑賞できることなどから、視覚情報が多く体験の幅も広い。近年では、座禅や写経、お掃除などの修行体験を提供している施設も多く、その建物が持つ機能を五感で感じることも可能になっている。
     訪日客は、社寺の構造や造作、そこで行われる日々の儀礼、参拝者・崇敬者との関わりを見ることを通じて、日本人の美意識や精神性の根源にあるものを汲み取ろうとする。建築や空間の作り方から自身の宗教との違いを理解し、日本ならではの風土のオリジンのようなものを感じ、自分がこれまで持っていた物差しを駆使して、美しさや面白さを発見して持ち帰るのだ。

    図2 お寺や神社を訪れた際の印象

    出典:(株)JTB 総合研究所「社寺におけるインバウンドコンテンツ創出検討に資する基礎調査」(2019)

  3. 土地の理に沿い、“いなす”構造物の特殊性
  4. 日本の建築は、古来、地震や風水害との共生の中で発展してきた。約1,300年前に建造された法隆寺五重塔の心柱と同様の制振技術が21世紀の建造物であるスカイツリーに応用されていることを話すと、大抵の外国人は唸る。傾斜地が多く土砂崩れの発生しやすい長野県小谷村では、土砂崩れリスクが発生する度に神社を曳家して逃がしていた。
     揺れたら倒壊するかもれない、火災で焼失するかもしれない、まち全体が水没するかもしれないという前提に立って検討される建築づくりとまちづくりが浸透していた日本でなければ、国内外の災害地などで活躍している仮設住宅やシェルターを紙でつくるという考え方は生まれなかったのではないか。日本の風土に裏打ちされ、育まれた技術が現代に継承され、伝統的な部材である「紙と木」の可能性を現代社会に提示し続けられていることは一見して分かることではないが、ガイドの説明によってこそ活きる、時代を超えて貫かれる日本らしい建築へのアプローチであるといえる。

  5. 建物から香る唯一無二のメッセージ性
  6. 海外ファンが特に多かった国内の建築は、2022年に解体された中銀カプセルタワービルだろう。その特異な外観を醜悪と見なす向きもあったし、狭いワンルームが孤立を促進するという批判もあり、使い勝手がよいともいえない。しかしそれらの“分かりやすい批判”を上回る強烈な個性と、この集合住宅の立地が東京の銀座であるということが、この建築が発する「個の時代・個の暮らしが集合し、新陳代謝する」という強烈なメッセージを強く印象づけた。
     私がこれと同じくらい好きな建築は、前川國男による弘前市斎場だ。津軽地方の人々にとっての心の拠り所は岩木山で、人は亡くなると岩木山に魂が還ると考えられていた。遺族が待つ和室と炉室をつなぐ緩やかなスロープの渡り廊下は、黄泉の国と俗世を結ぶ黄泉比良坂よもつひらさかをイメージしており、収骨室の天窓は、故人の魂が岩木山へ向けて還るときに振り返って家族の姿を眺めることができるよう配置されている。斎場の機能が建築内部で完成しつつ、地域(外界)との結節や、時空を超えて現世・黄泉の概念を表現している極めてメッセージ性の高い空間構成だ。
     これらのメッセージ性の強い建築は、設計者の個性と時代性、及び土地の個性を掛け合わせたオリジナリティの高いものとなり、唯一無二の作品として「その場所にその建築がある意味」を伝えることができる。

    解体直前の中銀カプセルタワービル

    2022年4月筆者撮影

  7. 街並みに現れる風土と営み
  8. 浅草門前町の活気、高野山の宿坊や塔頭が立ち並ぶ光景、五箇山の合掌造りと水田が織りなす景観など、訪日客が歴史的な街並みを見る眼差しは、歴史的建築を見る際のそれと大きくは変わらない。建築の形状、店舗の業態、道の構造、建物の間を埋める要素から過去の暮らしぶりを推測できる歴史的な異空間において、そこで提供される最新の商品やサービスとのある種のギャップを心地よく楽しむ。
     これに比して、現代の繁華街や「○○界隈」と呼ばれるところは、「土地や機能によって全く異なる雰囲気が面白い」という評価がされる。都内では、アメ横の猥雑さ、秋葉原や歌舞伎町のキラキラしたネオンによるサイバーパンクな夜景のほか、かっぱ橋道具街や日暮里の繊維街に見るような機能集約型のウィンドウショッピングなどが人気だ。地方部にも、長崎市内のお寺・神社・教会が密接する急坂の街区、島原市の武家屋敷街に張り巡らされた水路、水田の中に家屋がぽつぽつと離れて建つ出雲の散居集落など、土地の地理的な特性や都市機能、産業を背景として生まれた独特な景観は数多くある。「日本の街並み」という言葉からは想像もつかないバリエーションの幅広さと、その違いを形成してきた土地の生業や歴史のストーリーが、それぞれのまちを訪れる理由になり得る。

3.保全と新陳代謝

  1. 街並み保全は「営み」を残すこと
  2. 街並みに対する訪日客の評価や滞在満足度を高めるポイントは、単純にフォトジェニックであるかどうかだけではない。確かに「絵になる」場所はそれだけで強力な集客力があるが、その場合、それは舞台装置として美しければよく、舞台の要素が必ずしも「街並み」である必要はない。「街並み」自体の評価を左右するのは、そのまちがきちんと生業を継続しており、日常的にそのまちを利用する地域住民がいて、「外観だけの保全」になっていないことだ。歴史的な街並みは無電柱化が促進されていることも多く、これは災害対策や安全確保という面で有効であるが、観光資源としての魅力向上という点では必ずしも必須ではないと考える理由がここにある。無電柱化された、観光客しか活動していないテーマパークのような街並みと、電柱がひしめき歩道も狭いが、活気ある日常生活が繰り広げられている商店街であれば、異邦人がワクワクするのは圧倒的に後者なのだ。
     徳島県美馬市の脇町「うだつの街並み」は、かつては日が傾き始めるよりも前に人通りが絶えていたところ、ゲストハウスやカフェがオープンし、現地ツアーの発着所やインキュベーションセンターもできて、域内外の人が集まれる場所に変貌しつつある。大阪の布施商店街を始めとして、客室やフロント、レストランといった宿泊機能をエリア内に点在させた分散型ホテルの機能を導入するまちも増えてきた。まちは、かつての構造を活かしながら、現在の産業や暮らす人・訪れる人のニーズに合わせた機能転用を推進し新陳代謝を続けていくことで、暮らす人、働く人、旅行者が訪れる新たな目的を作り出していくことができる。

  3. 建築の保全は「思想のコア」を残すこと
  4. 建築の維持保全に際しては、文化財継承の観点からオーセンティシティが重要視されるが、技術や費用など様々な要因でそれが実現できないケースは多い。神田神社では、神殿の重要文化財指定を視野に入れた修復計画を検討中だが、二度と火災で焼失することがないようにと木材を一切使用せずモルタルと銅板で作られた屋根構造に完全再現することや、現在は赤色の塗料で塗られている社殿を1934年の造営当時の総漆塗りに戻すことは、技術的にも費用面でもかなりの難問になることが分かっている。先に挙げた中銀カプセルタワーからは保全された複数のカプセルが世界に飛び立ったが、うち五つのカプセルが2024年秋に横須賀市において宿泊施設としてオープンする予定で、「新陳代謝」をカプセル単位で表現できる運びとなった。
     建築のかたちや機能の一部が変わったとしても、来訪者に建築の意義やメッセージを伝え続けるために、その建築を成立させた思想のコアが何かを見極め、変えてよい部分と変えてはいけない部分を一つひとつ丁寧に議論して定めていくことが極めて重要な観点になる。

4.おわりに――我々自身が建築を愉しめているか?

翻って、私たちは、日本の建築の見どころ、面白さを語る自分の言葉を持っているだろうか。訪日客に対して「何を見せ、何を伝えたいか」を高い解像度で掴むことができているだろうか。
 船の塗料でピンクや緑に塗装された漁村の家々の場違いなファンシーさ。モダニズム建築に見る階段の手すりの繊細さや、地方に残る蔵の漆喰壁や左官彫刻の美しさと火伏のまじない。雨のアスファルトに折り重なって滲み映る夜のネオンの眩しさ。過去に見てぐっときた風景たちに共通項はない。しかし、すべての建築は、明日が当たり前に来ることへの祈りが形になったものだ。建築とは、古今東西共通のこの祈りについてそれぞれの文化風土を背景とした対話と相互理解を可能とする、かくも普遍的なコミュニケーションツールなのだ。
 
出典:一般財団法人建築保全センター機関誌「Re No.223」
https://bmmc.or.jp/
本コラムは、(一財)建築保全センター機関誌「ReNo.223」に掲載された原稿を、許可を得て再掲するものです。