地域の自然・文化保全と観光
エコツーリズムやアドベンチャーツーリズムなど、自然や文化を体感することでその土地に深く溶け込んでいくような観光形態への社会ニーズが高まっています。自然と文化は地域にとってどのような存在なのでしょうか。本稿では、地域が自然と文化を保全していく目的や手法を通して、観光資源としての価値を考察します。
橋本 竜暢 主任研究員
目次
1. 自然と文化と地域の関係性
「自然」と「文化」という言葉を辞書で引くと、それぞれ次のように解説されています。
“自然:山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの。人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。
文化:人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。
(出所:小学館デジタル大辞泉)”
つまり、自然は人間の手が加わっていないありのままの状態であるのに対し、文化は人間が築き上げてきた成果であり、生活様式そのものということです。
本コラムでは、自然を山や川、草、木、海など人間が手を加えずに生まれ存在しているものとし、文化を人間がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果と定義します。
旅行者の多くは、「自然景観を楽しみたい」や「独自の食文化に触れたい」など、その地域ならではの体験を求めています。地域の文化は、それぞれの自然環境に適応しながら地域間の交流を通じて形成されてきたことから、自然と文化は深い関係性を持っており、それが地域の独自性になっています。そして、その独自性こそが、他地域との差別化を図る上で重要な要素となります。
地域の魅力を発掘し、持続的にその価値を維持していくためには、自然と文化の保全が欠かせません。保全は、魅力的な観光地としての基盤づくりと言えるでしょう。
2. 自然と文化に関する観光をテーマとした国家の動き
自然と文化に関する観光政策においては、それぞれ「エコツーリズム推進法」(2007年制定)と「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律」(文化観光推進法、2020年制定)という二つの重要な法律が存在します。
エコツーリズム推進法は、エコツーリズムの事例が増えるにつれて、環境への配慮を欠いた単なる自然体験ツアーがエコツアーと誤認されたり、自然環境が劣化する事例も見られた状況を踏まえ、適切なエコツーリズムを推進するための総合的な枠組みを定めたものです。自然環境の保全、観光振興、地域振興、環境教育が法律の趣旨
となっています。
一方、文化観光推進法は、文化資源の観覧や体験活動等を通じて文化についての理解を深めることを目的とする旅行を文化観光と位置づけ、これを観光の振興と地域の活性化につなげ、その経済効果が文化の振興へと再投資される好循環を創出することを目的として制定されています。
それぞれ自然と文化をテーマとしながらも、両法ともに共通しているのは「自然または文化の理解」、「保全や保存・継承」を踏まえた「持続的活用」が「地域振興に繋がる」という点です。
3. 自然と文化の保全
本章では、自然と文化の保全における事例紹介を通し、その目的や手法、効果について考察します。
(1)「ルール作りによる環境保全」~鹿児島県奄美市名瀬 金作原~
金作原は、奄美大島の山々の中でも、天然の亜熱帯広葉樹が多数残る東洋のガラパゴスと言われる独自の自然が存在するエリアです。2021年に世界自然遺産登録を機に観光客が増加したことを受け、自然環境保護と質の高い観光体験の両立を目指し、奄美市、民間事業者、国、県が連携して利用ルールを策定、2019年2月より施行しています。
ルールの柱は2点あります。1点目は、金作原を利用する際は「奄美群島認定エコツアーガイド」の同伴の義務化、2点目は、時間帯別の車両台数・入域人数制限です。
このルール作りは、自然環境保護を主目的としながらも、付加的な効果として、ガイドが帯同することで旅行者の満足度や安全管理の質も向上しています。また、入域制限が地域住民の住環境への配慮にも繋がり、保全が複数のメリットに派生するデザインになっています。
(2)「ナショナル・トラストによる自然・文化保全」~長野県木曽郡南木曽町 妻籠宿~
ナショナル・トラストとは、イギリスがその発祥で、市民が自分たちのお金で身近な自然や歴史的な環境を買い取って守るなどして、次の世代に残すという運動を指します。長野県木曽郡南木曽町の妻籠宿は、ナショナル・トラストにより歴史景観の保存を行っています。妻籠宿は、中山道の宿場町として栄えた歴史的な街並みが残る地域です。中山道の改良拡幅計画をきっかけに、住民と行政が一体となって歴史景観の保全活動に取り組んできました。住民は「売らない」「貸さない」「壊さない」の三原則と保存優先の原理を掲げた「妻籠宿を守る住民憲章」を定め、行政はこれを尊重する「妻籠宿保存地区保存条例」を制定しました。現在では新たに「南木曽町妻籠宿保存地区保存条例」が制定され、これらの活動の流れから全国最初の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
これらの活動の結果、地域文化継承の気運醸成に繋がり、観光客が来訪する場所になったことにより観光に関わる地域住民の生業が生まれました。重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことによって、より保全しやすい環境になり、小規模事業者でも持続的に商売が続けられることでのまちの空洞化を防いでいます。
(3)「新しい風で進化し継承される郷土芸能」~島根県大田市温泉津町 石見神楽~
石見神楽は日本神話に描かれる神々や鬼たちの姿を躍動感あふれる舞で表現します。地域住民は、日常的に暮らしの近くで演じられる石見神楽に幼い頃から触れており、舞に憧れを持った者がこの郷土芸能を紡いでいます。
「石見神楽温泉津舞子連中」は石見地方の社中の一つです。夜神楽定期公演や神社例祭の奉納神楽など多くの公演を行い、地域住民以外も関わる新しい取り組みも行っています。
この社中は2005年に、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の学生とともに、日本海を舞台とした「海神楽」を企画しました。1年に1度温泉津町の海岸で開催される夕暮れの日本海を背景にした幻想的な世界が広がる神楽で、地域特有の自然と古から紡いできた郷土芸能とを掛け合わせ、新たに創出されたものです。公演の回数を重ねるにつれて次第に温泉津町の名物として定着し、県外はもちろん海外からの観光客の拡大につながっています。更には、バリ舞踊とのコラボレーションや地酒と神楽演目とのペアリングなどにも挑戦し、観光客を魅了しています。
石見神楽は、伝統の継承を下敷きに外からの新しい視点を加えることにより、観光誘客の有力なコンテンツとなりました。地域住民のみならず、巻き込んだ域外の人との総力がその維持継承に繋がっています。
4. 事例から見えてくること
3つの事例から、重要な視点を導き出すことができます。
1点目は、「地域が保全の主体者である」ことです。地域の自然や文化を守ることができるのは、その地域に暮らす人々に他なりません。
2点目は、「自然や文化の保全を通して、地域の誇りやアイデンティティを紡いでいる」ことです。自然や文化の保全活動は、地域への愛着や誇りを育み、次世代へ継承していくための原動力となります。
3点目は、「自然や文化の保全が付加的な効果を生み、地域の貴重な観光資源に繋がる」ことです。保全は、観光客誘致だけでなく、地域住民の住みよい生活環境や持続可能な産業の創出、地域学習の促進など、様々な効果を生み出します。
重要なのは、観光資源化すること自体が目的ではなく、地域の誇りやアイデンティティを維持・継承していく過程で、結果的に魅力的な観光資源が生まれるということです。ゆえに観光客は、地域の愛着や想いの乗った自然や文化を、観光客向けに保全された資源ではなく本物として捉え、興味を示し、非日常を体感し、満足します。
観光誘客の視点では、保全と観光の好循環を生み出すことが重要です。見学料等を徴収することによって、安定的な活動資金を担保し、持続的に保全ができるような経済的な循環が必要です。行政主導による単年度の補助金等ばかりでは持続的な保全は厳しく、自然・文化の担い手との合意形成のもとで、多少形を変えながらでも観光資源として活用することで保全活動の資金を得ていくことも本物であり続けられることに繋がります。また、自然・文化の価値を深く理解し、共感してくれる観光客をターゲットとした誘客戦略も重要です。地域の魅力を効果的に発信することで、保全の意義に共感し、その価値を享受してくれる観光客を獲得していくことが求められます。
最後に
「自然と文化を守ること」とは最終的には何を守ることなのでしょうか。
それは、そこに暮らす人々の想いを守ることなのではないかと考えます。地域を想い、「地域の自然や文化を失いたくない」という人々の情熱は、保全の原動力となり、ひいてはその地域に住む人々の人生を豊かにすることに繋がっていくのです。自然や文化は、人々の興味関心を刺激し、知的欲求を満たし、新たな発見や過去の記憶を呼び覚ますなど、様々な価値を提供してくれます。
そのような「人と自然や文化との関係性」は、人の人生を豊かにする、私たちにとってかけがえのないものです。その尊さを心に刻み、未来へとつないでいくために、できることを本気で考え、実践していかなければならないと考えています。