インクルーシブな観光立国を目指すために

今年は日本国民の5人に1人が後期高齢者となり、外出や旅行の機会を創出することが、健康寿命の延伸や経済効果の向上において重要視されています。また、インバウンド需要が回復する中で、障害のある外国人旅行者の訪日意欲が高いことも明らかになっています。本稿では、当社の調査結果をもとに、ユニバーサルツーリズムの必要性について考察します。

勝野 裕子

勝野 裕子 主任研究員

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目次

1. 2025年問題とユニバーサルツーリズムの必要性

「2025年問題」という言葉をご存じでしょうか。2025年には、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる第一次ベビーブーム期に生まれた世代が75歳以上となり、日本国民の約5人に1人が後期高齢者となります。この状況により、年金や医療費といった経済的課題に加え、介護や後継者不足といった雇用面での問題など、さまざまな社会的課題が浮き彫りになると考えられています。
 70歳以上になると健康面への不安から旅行の回数が減少するというデータがあります(図1)。これにより、日本人旅行者数は今後さらに減少していくことが予想されます。また、海外でも高齢者層の増加が見込まれる中、インクルーシブな社会の実現に向けて、世界的にユニバーサルツーリズムの必要性が高まっています。

(図1)宿泊旅行・行楽(日帰り)をした人の割合

出典:平成23、28、令和3年社会生活基本調査結果(総務省統計局)よりJTB総研作成

ユニバーサルツーリズムの推進は、高齢者の社会参加を促進し、健康寿命の延長に寄与する可能性があります。さらに、高齢者や障害者を対象とした新たな市場の創出や、観光地のバリアフリー化による地域活性化の促進など、2025年問題の解決に向けた重要な手立てになると考えられます。
 高齢化の問題は、日本だけでなくヨーロッパやアジアでも深刻化しており、訪日旅行の観点からもユニバーサルツーリズムは今後ますます重要な役割を果たすでしょう。
 そこで当社では、日本の高齢者の旅行ニーズや、海外の障害をお持ちの方の訪日旅行に関するアンケート調査を2024年10月に実施した他、海外先進地視察やUN Tourism他でインタビューを行いました。この調査を通じて、どのような受け入れ環境を整備すべきかを明らかにし、2025年問題を始めとするこれからの観光業のあり方を考える一助となることを目指しました。本コラムでは、その調査結果をもとに考察を進めていきます。

2. 日本の高齢者の海外旅行意欲

まずは、日本人の高齢者の海外旅行意欲を探った調査結果(*1)から考察します。
日本人の海外旅行者数は、コロナ禍以前と比べて回復傾向にあるものの、2019年の水準にはまだ達していません。調査結果によると、旅行の頻度についてコロナ前と比較して「増えている」と回答した割合は20代で25%以上でしたが、70歳以上では「やや減っている」「減っている」と回答した人が5割以上を占めました(図2)。
 高齢者に旅行に行かない理由を尋ねたところ、「旅行に行く気力や体力に自信がない」と回答した人が5割以上、「コロナ禍で旅行に行きたいという気持ちが薄れた」と答えた人が4割近くにのぼり、コロナ禍が高齢者の旅行意欲に大きな影響を与えたことがわかりました(図3)。
 また、高齢者の中にはヨーロッパ旅行を希望する人も多いものの、「石畳で歩きにくい」「旧市街は徒歩観光が多い」「トイレ事情が悪い」といった理由で躊躇する声が聞かれます。「どのような旅行なら参加できるか」という質問に対しては、「歩行距離が少ない旅行」「重い荷物を持たなくてよい旅行」が5割以上、「トイレの時間が確保されている旅行」が4割以上という結果となりました(図4)。さらに、「海外旅行を選ぶ際に重視すること」としては、85%以上が「治安が良い」と回答し、75歳以上の5割以上が「添乗員が日本から同行する」と答えています(図5)。
 これらの調査結果から、高齢者が海外旅行に行きやすい商品を作るには、「治安の良さ」「負担のない歩行距離」「トイレの時間確保」「添乗員付き」という、安心・安全な要素を重視する必要があることがわかります。
 また、近年ではユニバーサルツーリズムの世界的な推進により、バリアフリー化が進んでいる観光地が増えています。海外のバリアフリー化された観光地の写真や映像を活用することで、高齢者が抱える不安を軽減し、海外旅行への意欲を高めることが期待されます。
 
(*1)2024年JTB総合研究所自主研究「ユニバーサルツーリズムのアウトバウンド送客に関する調査・分析」調査会社のパネルを利用し10,000人に対してアンケートを取得後、65歳以上の旅行好きな方600名を抽出しアンケート結果を分析。

 

 

 

 

3. 障害をお持ちの外国人訪日観光の課題

観光庁は、ユニバーサルツーリズムを2011年頃から推進してきました。特に、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催をきっかけに、国内でもユニバーサルツーリズムを推進する自治体や事業者が増え、この言葉も広く浸透してきました。しかし、現状では「高齢者や障害者のための旅行」と捉えられることが多いのが実情です。
 「ユニバーサルスタジオ」を思い浮かべてみてください。それは決して高齢者や障害者のためだけのテーマパークではなく、「誰もが楽しめる」ことを目的としています。同様に、ユニバーサルツーリズムも特定の人々に限定されるものではなく、すべての人が快適に旅行できる環境を指します。
 実は、「ユニバーサルツーリズム」や「ユニバーサルルーム」という言葉は和製英語であり、海外では「アクセシブル・ツーリズム」や「アクセシブル・ルーム」と表現されます。このため、海外の障害をお持ちの方が「#Japan accessible」といったキーワードで日本のバリアフリー情報を検索しても、関連情報が見つかりにくい場合があります。その結果、「日本ではアクセシブル・ツーリズムが進んでいない」と誤解される可能性があるのです(*2)。
 訪日経験のある外国人に訪日旅行の困りごとを尋ねたところ、50%が「宿泊施設にアクセシブル・ルームが少ない、またはない」と回答しました。日本では入浴文化が根付いているため、ユニバーサルルームにも浴槽が設置されていることが多いですが、海外ではシャワーのみの施設が一般的です。そのため、浴槽があることでシャワーが使いにくくなり、バスルームが狭く感じられるなど、不便さを指摘する声が多く聞かれました。
 さらに、本調査では、電動車いすの利用者が多いことも明らかになりました(*2)。手動式車いすと同程度の割合で電動車いすが利用されているとの回答が得られています(*2)。アクセシブル・ツーリズムが進んでいるスペインでは、大型病院の近くに多種多様な車いすや補助器具を販売する店舗があり、ショールームのような形で展示されています。そのため、電動車いすを利用する高齢者や障害者を日常的に見かけることができます。
 世界各地で移動手段である車いすなどのモビリティの進化も著しく、利便性が向上しています。しかしながら、日本では観光地や公共交通機関において、電動車いすへの対応が十分とはいえない状況です。
 今後、海外の障害をお持ちの方を迎えるにあたり、「ユニバーサル」という言葉の使い方や、宿泊施設のバスルーム設備、電動車いすへの対応が課題となります。

(海外事例)アクセシブル・ルームのバスルームと多数のモビリティが用意されている様子
点字の案内と、触れる模型(サグラダファミリア)

(筆者撮影)

(*2)Accessible Japan・株式会社JTB総合研究所 共同調査「海外在住障害者の日本アクセシブル・ツーリズム認識調査」
https://www.tourism.jp/tourism-database/survey/2024/11/barrier-free-tourism/

4. 日本に必要なユニバーサルツーリズムの考え方

海外からは日本のユニバーサルツーリズムはどのように捉えられているのでしょうか。
国際連合世界観光機関(UN Tourism)の担当者からは、次のような指摘がありました。「日本はアジア・パシフィック地域において先進的な国として評価されている一方で、高齢者への対応に重点が置かれている。そのため、若年層の障害者や見えない障害(聴覚障害者や知的・発達障害、精神障害、内部障害、難病など)を持つ人々への配慮が十分とは言えない。また、大都市と地方都市の間でバリアフリー化の進捗に大きな差があるのも課題である」
また、欧米におけるアクセシブル・ツーリズムの捉え方には、日本とは異なる視点があることが分かりました。具体的には以下の3つが挙げられます。

  1. 人権の保障:観光は生活の質を向上させる重要な活動の一部と捉えられている。これらの活動に平等にアクセスできるようにすることは、基本的な人権の保障である。
  2. 持続可能な観光:より多くの人が観光に参加できることで観光地の収益が向上する。また、障害者や高齢者が旅行しやすい環境を整えることは、結果的にすべての旅行者にとって快適な環境を提供することにつながる。
  3. 社会的包摂:障害を持つ人々が社会に積極的に参加できる場を提供することで、地域社会全体の包摂性が向上し、観光地の評価も高まる。

これらの視点は、日本でよく考えられがちな「高齢者や障害者のために何とかしてあげなければならない」という感覚とは大きく異なり、ユニバーサルツーリズムをもっと広義に捉えています。
 日本では数年前と比較すると都市部では公共施設などのバリアフリー化が進んできましたが、前述の指摘の通り、車いす利用者や肢体不自由者への対応が特に重視される傾向にあります。さらに今後は車いす利用者だけでなく、より多様な人々が利用することを前提にユニバーサルデザインを考えていく必要があります。対応範囲を限定しまうことにより、将来的に「その時は考えてもいなかった障害がある方をお迎えするために、改修が必要になった」という状況を招くことになりかねません。 
 高齢化が進む日本において、ユニバーサルツーリズムの推進は社会的課題の解決と観光業の発展の両面で重要な役割を果たします。今後、日本が真にインクルーシブな観光立国を目指すためには、バリアフリーのハード面の整備に加え、高齢者や障害者だけでなく、すべての人が快適に旅行できる環境を整えることが人権の保障や持続可能な観光、社会的包摂にもつながっていくという意識改革と情報発信が不可欠です。ユニバーサルツーリズムの本質を見つめ直し、多様な人々が自由に旅を楽しめる未来を築いていくことが求められています。