海外へ14,000冊
一般社団法人「親子健康手帳普及協会」は2014年から海外在住の妊婦さんが日本大使館や領事館などの公館を通じて母子健康手帳を無償で受け取ることができるよう活動を続け、今年は14,000冊を寄贈しました。
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女性は妊娠すると住民票のある市町村に妊娠届を提出しますが、その際「母子健康手帳*」を無償で受けることができます。しかしながら、海外在住の妊婦さんは住民票がないため、購入するか、あるいは日本で細かい手続きをしないと手に入れることができません。一般社団法人「親子健康手帳普及協会」は2014年から協会作成の母子手帳を外務省に寄贈し、海外在住の妊婦さんが世界に228カ所ある日本大使館や領事館などの公館を通じて無償で受け取ることができるよう活動をしています。今年は14,000冊を寄贈しました。この14,000という数は、母子手帳を受け取りにきた妊婦さんの数から外務省が試算したものです。
同協会の母子手帳は「20年をつづる母子健康手帳」と称し、就学までの記録を残す一般的な手帳と違い、20歳になるまで成長の記録を残すことができる画期的な手帳で、昨年報道でも話題になりました。この手帳も母子保健法に基づいて作成されているので、他と同様、全国どこでも利用することができます。
ところで、母子手帳が日本で生まれたということを、ご存知でしょうか?その歴史は、戦時中の1942年に「妊産婦手帳」として、当時の厚生省から、出産時の状況や、妊産婦・出産児の健康状態を記載する手帳が配布されたことから始まります。戦時中は手帳の提示で物資の優先配給があるなど、妊婦に配慮された内容でした。戦争直後は栄養失調や感染症で多くの子どもが死亡したため、こういった状況を改善しようと、小学校就学前までの予防接種の記録や、健康状態を記載することができるように改められ、1948年に「母子手帳」に改称されました。母子手帳は、妊婦健診の受診率を高め、自分や家族の健康に対する関心を持たせることに貢献し、まだ戦後の復興途上であった1964年に、日本はアメリカを抜き、世界で最も低い乳児死亡率の国の一つとなりました。
現在もアフリカやアジアの一部の国では、まだ多くの妊婦さんや産後の女性、そして乳幼児たちが命を落とすということが少なくありません。このような状況の改善に、日本の母子手帳が注目を浴び、外務省、国際協力機構(JICA)、民間などの協力のもと、普及活動が行われています。同協会も「BOSHI-TECHO」として英語版を作成し、世界の保健衛生に係る人たちに配布しています。ロシアではこのたび同協会の手帳がそのままロシア語に翻訳され、今年からロシア国内に配布される予定です。通常手帳は各国の事情にあわせて編集されますが、日本の内容がそのまま利用されるのは初めてということです。
JTB総合研究所は、「20年をつづる母子健康手帳」の活動に賛同し、妊婦さんや乳幼児連れの方が安心して外出や旅行ができるよう「妊娠中」「乳児連れ」「幼児連れ」の3つの時期に合わせて、温泉入浴、航空機移動など、配慮すべき点について情報提供しています。当社が母子手帳に関わり分かったことは、多くの日本の男性が、母子健康手帳がどのように交付されているのか、子育てにどのように活用されているのかを意外と知らないことでした。国内でも理解を深めるとともに、「BOSHI-TECHO」として世界中の子どもの成長と家族の健康を見守っていくことが、拡大するグローバル交流の時代には必要なことであると思います。
※1965年に「母子健康手帳」に改称。
出典:厚生労働省 平成23年「第1回 母子健康手帳に関する検討会」
政府統計 平成30年「わが国の人口動態」
親子健康手帳普及協会
(梅子)