連載
FRE~EDO~M ~3つの大陸で育まれた自由な視点から’今’をみる~
あなたの隣人の現実を知っていますか?
世界中どこにでもある貧困の問題。長らく総中流社会と言われていた日本は、果たして例外なのでしょうか?
OECD(経済協力開発機構)が発表した加盟35か国の貧困に関する調査をご存じでしょうか。貧困層の多さでは日本は29位(16.1%)、米国は34位(17.5%)となり、平均の11.5%を大きく上回る現状が明らかとなりました。その反面、日本も米国も富裕層の多さでは世界の上位であることも知られており、このことは両国での格差の大きさを示していると言えます。
私がフランスに住んでいたころ、フランスの社会システムの利点だな、と感じることがありました。それは、治療を受ける人の所得が低い場合は、治療のための費用を請求されないということです。各ケースが個別に申請され、たとえ高額な治療費だったとしても適用されるケースもあります。法律や規則は社会の秩序を維持する上ではもちろん重要なことですが、誰にとっても例外なく治療などの機会を広げるためには、特別な場合に適応可能な柔軟性のあるシステムを持つことも必要ではないでしょうか。日本においても今後、治療費が払えない貧困層が増加することは避けられないと考えられ、民間においても公共においても、どのように対処するか、全員のためのルールを維持するのか、より調整可能にするのかを検討すべきです。
またフランスは、誰もが人間の権利として高等教育が受けられることでも知られており、公立大学の授業料は年間300ユーロ以下です。一方、日本の教育費は幼稚園から大学卒業まで一人当たり84,000〜330,000ユーロにも上り、フランスと比べると子育てには多くの費用が必要となります。
80年代後半には、日本人の90%が自分自身を中産階級ととらえていました。その時のような状況に戻るためには、既存の貧富格差を縮小する必要があります。平均的な賃金の引き上げや、よりよい社会福祉制度、より安価な教育の提供は、出生率の増加、社会の未来である子供を育てるためのより良い条件を提供することにつながることを忘れてはなりません。
日本における取組みとしては、2012年から無料または安価で、貧困、孤食の児童や高齢者などへ食事を提供する子ども食堂(Kodomo-Shokudo:children’s cafeteria)プロジェクトが始まっています。 6人の子供のうち1人が貧困状態にあり、そのうちの50%が片親の世帯である日本にとって、必要な第一歩であったと考えられます。子ども食堂の中には教育プログラムがあったり、定期的に新しい施設が開設されたりするところもありますが、一番の問題は、子ども食堂を最も必要としている人々が、貧困であると見られることを恐れ気軽に入ることができないという点です。
貧困層へ無料のバス券を提供するタイ政府のプロジェクトは、参考となる一つの事例かもしれません。日本でも高齢者に対して無料、あるいは安価でバス券を配布する仕組みはありますが、必要に応じて子供や若い層へ適用を拡大してもよいのではないでしょうか。移動の機会の提供によって、働く場所へのアクセスを可能にするとともに、教育の機会も増加させることが期待できます。公共交通機関は、すべての人が社会的な活動を行うことができる環境づくりのために重要な役割を果たすのです。
貧困は世界中、どこにでも存在します。貧困は恥ずかしいことではなく、経済的な条件が限られることで誰も差別を受けるべきではありません。日本では、貧困はまだタブーとされていますが、それを変える時がきています。もうすでに、多くの人にとって現実のものであるからです。