「わかってるけど、やめられない」をやめられる? ~ニューノーマル時代の観光におけるナッジの活用を考える~

ニューノーマル時代へ向け、人々をより良い行動へと導くため、2017年にノーベル経済学賞を受賞した「ナッジ」を始めとした「行動経済学」が注目されています。本コラムでは、「ナッジ」とは何か、今後の観光における活用について考えます。(早野)

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人の行動は、時として非合理

人は必ずしも合理的に判断し、行動することばかりではありません。「食べすぎたら太るとわかっているのに、つい食べてしまう」、「早く寝ないと次の日に響くのに、つい夜更かししてしまう」といったように、ついついその場の気分に流され、合理的でない行動を取ってしまうことは誰しも経験があるのではないでしょうか。消費者がアンケート調査で「好き」と回答した商品を必ずしも買わないのも、同様です。

行動経済学は、ちょっとした人間の思考のクセを利用して、このような非合理的な行動を「合理的な選択」に導こうとするものです。行動経済学の一つである、「ナッジ」の最も有名な例は、オランダのスキポール空港の男性トイレの事例でしょう。男性用便器の中央に小バエの絵をつけたところ、利用者が自然と小バエを狙って用を足すようになったことで周囲への飛び散りが減り、大幅な清掃費削減につながったのです。最近では、京都府の宇治市が市庁舎の出入口に、数歩手前から消毒液へ誘導する矢印を示したイエローテープを貼り付けたところ、消毒薬の使用率が高まったことが話題となりました。

「終わりよければすべてよし」。人間の「思考のクセ」とは

行動経済学で定義されている、人々の「思考のクセ」には様々なものがありますが、代表的なものとしては、「人はわかりやすいものを好む(アベイラビリティ・バイアス)」や「より望ましい選択肢があるにも関わらず、現状に固執してしまう(現状維持バイアス)」、「最も強い印象と最後に得た印象が心に強く残る(ピークエンドの法則)」などがあります。「ついつい夜更かし」などは、「現状維持バイアス」に該当するでしょう。最近では「朝ごはん」に力を入れる宿泊施設が増えていますが、これはピークエンドの法則を活かし、最後に好印象を残すことで「終わりよければすべてよし」の効果が狙えるものと考えられます。

JTB総合研究所が過去に実施した調査結果では、同じ旅行先の画像でも、男性は自然風景の画像、女性は誰かが楽しんでいる様子がわかる画像に、つい「いいね」などのリアクションをすることがわかっています。このような事例も、一種の「思考のクセ」における男女差と言えるかもしれません。

なぜ「ナッジ」が注目されているのか。マーケティングとの違いとは

ではなぜ今、行動経済学の中でも「ナッジ」が注目されているのでしょうか。生活者を消費行動へと導くマーケティングとの違いはどこにあるのでしょうか。マーケティングとは、企業の商品やサービスを購入してもらうことを目的とした活動です。一方、ナッジは「公共利益を増進させる」ことを前提とした活動である、という点がマーケティングと最も異なるところです。

ここ数年、世界的に「持続可能な社会」への関心が高まってきました。2015年には、国連で「世界的に持続可能な開発目標(SDGs)」が採択され、2019年初頭には日本政府による「SDGsアクションプラン2019(1,SDGsと連携する「Society(ソサエティー)5.0」の推進 2,SDGsを原動力とした地方創生、強靭かつ環境にやさしい魅力的なまちづくり 3,SDGsの担い手として次世代・女性のエンパワーメント)」が発表され、持続可能な経済や社会のあり方が問われるようになりました。そして今、新型コロナウィルスの感染が拡大する中、これまで以上に、ビジネスをいかに続けられるか(持続可能性)を追及すべく、商品やサービスも含めた企業活動にも「公益性」が不可欠となってきたのです。このことが「ナッジ」への注目が高まった背景の一つと考えられます。

ベースとなる社会貢献意識と持続可能性を実現するための工夫

旅行者の意識の変化をJTBが実施した調査からみてみると、「新型コロナウィルス収束後の生活でも継続したいこと」の上位として、「社会貢献をしている企業の商品やサービスを意識して選ぶ」が82.3%で「キャッシュレス決済(83.3%)」に続き2位となりました。ニューノーマル時代においては、観光に関わる企業も社会に対していかに貢献し、それを消費者に理解してもらえるか(伝えられるか)が、消費者から選ばれる焦点となるでしょう。

また、新型コロナウィルスの感染拡大が落ち着き、渡航や外出制限が緩和された場合、すぐに行きたい旅行として「家族や友人訪問」に続いて多かったのは、「自然が多い地域への旅行」でした。

国の動きとしても、「観光ビジョン実現プログラム2019(2019年6月策定)」の中で、地域の新しい観光コンテンツの開発の一部として、国立公園の滞在環境の向上、自然体験コンテンツの充実、スノーリゾート活性化など日本の自然の活用が掲げられ、2019年9月には「分譲型ホテル」の国立公園内での設置が認可されました。環境整備と旅行者のニーズという両方の側面から、自然を楽しむ観光やアウトドアへの関心は今後より高まると考えられます。

JTB総合研究所が実施した過去の調査で、国立公園に関する訪日旅行者の不満としては、「柵などで景観が損なわれる」が多くあがりました。訪問者の満足と自然保護を両立させるためにも、物理的な対策だけではなく、「思考のクセ」を利用した対策が効果的かもしれません。例えば、トイレでよく見かける「きれいに使っていただき、ありがとうございます。」といった、人の善意に訴えかけるような表示も一例ですし、何年か前にポケモンGoを楽しむ多くの人の「歩き携帯」が問題になったとき、多くの施設で「禁止」の表示がされる中、伊勢神宮で見かけた次のような貼り紙には、なるほどと思わされました「境内は古くから、生き物を捕えたり殺生したりすることはできない地域です。森の中にいるポケモンは捕まえず、そっとしておいてあげてください」。

イギリスでは、ごみ箱をクイズの投票箱形式とすることで、ポイ捨てを削減した事例もみられます。

環境省は2020年5月、ナッジを活用し、新しい生活様式を継続的に実現する取り組みの募集を開始しました。今後、観光においても、訪れる人を強要するのではなく、持続可能な観光に向けた自発的な行動を促すために、そっとつつく(ナッジ)工夫が期待されます。

今後の生活で利用を継続したい/減らしたいこと

渡航や外出自粛が緩和された場合、どんな旅行にいつ頃行きたい気分か