本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、旅行分野にとどまらない、様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
今回は、山口大学国際総合科学部教授として公共哲学をご研究され、更にEテレの哲学新番組「ロッチと子羊」など様々なメディアでもご活躍をされている哲学者 小川 仁志さんにお話を伺いました。
Profile
小川 仁志 さん
京都大学法学部卒業、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了
博士(人間文化)
米プリンストン大学客員研究員(2011年度)
専門は公共哲学。商社(伊藤忠商事)、地方自治体(名古屋市役所)、フリーターを経た異色の哲学者
「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している
著書も多く、また各種メディアでも積極的に発言
コロナ禍という世相が変えた「旅行」の概念とは?
探検隊
小川さんは普段旅行に行きますか?
小川さん
あまり行かない方かもしれません。僕の場合はもともと出不精で家族や友達に誘われて旅行に行くことが多いです。旅行に行ってもホテルに閉じこもって仕事をしていますね…(笑)。仕事という「日常」に「非日常」を取り入れて執筆したり、海外のホテルや素敵な駅で仕事をしたり、どこか違う場所には行くんですよ。違う場所で仕事をすると、視点が変わります。世界を見る目が変わり、思考にいい影響を与えるのです。とりわけ常識の枠を外れてモノを見ようとする哲学にとっては有益なんです。
探検隊
そうなのですね。そうした「日常」に「非日常」を取り入れる仕事のスタイルは昔からずっと変わらないのですか?
小川さん
それが最近ちょっと変わりました。世の中の人たちと一緒なんじゃないかなと思うんですけど、「非日常を再考する(考え直す)」ようになったと思います。特にコロナ禍は旅行に行けなかったので、「日常に、非日常をもっと上手く取り入れたい」と、旅行に行ける幸せを意識し始めたんだと思います。
特にコロナ禍で3つの”旅行(りょこう)の変化”があったと思っています。一つ目は、旅行に行けて幸せだと思うようになった「旅幸」。二つ目は、旅行は滅多に行けないからちょっとでも良い旅をしたいと思って質や消費レベルが上がった「旅高」。三つ目は、「旅考」。ここに行くことにどんな意味があるのかとか、旅の意味を予め考えるようになったり、旅先で知ったことについて考え、自分や人生を見つめなおしたり…。この”3つの旅行(りょこう)”の概念みたいなものが僕の中で変わったから、より旅行を楽しみ始めたのかもしれません。
「旅考(りょこう)」をすることで、考える視点を自動的に変えることができる。
探検隊
“3つの旅行”は非常に面白い観点ですね。特に「旅考」については私もよく考えることが多いのですが、旅先で考える場合の「考え方の違い」って何なのでしょうか。
小川さん
日頃、私たちはどうやって「ものを考えるか」というと、色々な視点を設定して考えているんですね。普通、物事は自分視点で考えるんですけど、深い考察をするには、複数の視点で見ていくことが必要です。視点が多ければ多いほど、そして自分にとって意外なものであればあるほど、思考が深くなるんです。視点を変えるプロセスはすごく重要な思考のプロセスで、色々な土地に行って考えることで、「大きく自動的に視点が変わる」ということが、旅行することの一つの意義ですね。
探検隊
なるほど。日常生活とは違い、旅先では”大きく自動的に”視点が変わっていることが、考え方の違いなんですね。より視点を変えるためには誰と行くかも重要な要素なのでしょうか。
小川さん
誰と行くかは「旅考(考える旅)」で私自身すごく重視していますね。思考っていうのは、ある意味、対話でもあるんです。もう一人の自分と対話しているんですよね。自分の頭の中にもう一人の自分がいて、これが思考のメカニズムでもあるんです。対話は一人でするより、別の人とやった方が効果的で、一緒に行く人がいるとより思考が深まりますよ。
日常と非日常の繰り返しの中で、旅は今後も変化する。でも変わらないものもある。
探検隊
そもそも哲学自体はトレンドがあるものなのでしょうか?
小川さん
哲学も時代の子ですから、時代によって新しい哲学が生まれてきたりします。旅と同じように「非日常の再考」がまさに行われていますね。旅行であれ、哲学であれ、外部環境に影響される点は一緒なんじゃないですかね。現在のトレンドとしては、パンデミックのような思想や、チャットGPTなどによるテクノロジーの変化……これら2つが哲学にかなり影響を与えています。AIなどと絡めて論じる「心の哲学」という分野も盛んですね。
探検隊
まさに哲学の考え方も時代に影響されているのですね。哲学も旅行も「非日常の再考」が行われる中で、5年先の旅の姿はどうなっていると思いますか?
小川さん
今の状況が続くなら、この先5年くらいは”3つの旅行”の延長線上にあると思います。ただ、外的要因によっても大きく変わっていくと思います。
探検隊
そもそも非日常に慣れると、今まで自分が日常だと感じていたものが逆に非日常になることがあると思っています。非日常と日常のサイクルを繰り返していくことが旅行になる、ということでしょうか。
小川さん
例えば旅行でずっと海外に行っていると、「帰りたい」と思いますよね。それは日常が非日常に転換した瞬間であって、自分の日常が「貴重なもの」になったから帰るということで、帰ればまたその日常に慣れてしまう。その繰り返しがあるからこそ、人の旅行は続くのだと思います。1回経験した「非日常」は、2回目では非日常ではなくなります。非日常と日常は単純な繰り返しではなく、らせん状に成長したり、発展したりしていくものです。非日常と日常を繰り返す中で、自分も成長していく。つまり旅を続けると、人は成長することになります。人間は本質的に変化を求める「動」と、現状を守りたい「静」の両方を合わせもっていて、そのバランスは人によって違います。旅行をよくする人としない人の違いは、バイタリティの個体差だと思います。
探検隊
日常と非日常のサイクルの繰り返しであれば、「旅」というスタイルに囚われなくてもよい気がしますが、それでも人はなぜ旅に出るのでしょうか?旅の本質は何なのでしょうか?
小川さん
ものすごく究極の質問ですね。僕はやっぱり「本当の自分に会うため」だと思います。
旅先で一番会いたいのは本当の自分ですね。いつも尻尾ぐらいは捕まえられるけど逃げられてしまいます…(笑)。本当の自分はあるとは思うけれど、行く場所によって見える自分は違います。同じ場所でも日が違えば違う場所ですから、生きている間には行ききれない。行く場所は無限なんです。だから本当の自分は見つからない。そして旅の本質自体は変わらない。だから人は旅を続けるんだと思います。
今回の探検で見つけた「芽」
今回の探検で発見出来たのは、今まで何となく「旅をすれば自分を見つめ直したり、成長することが出来る」と感じていた“理由”でした。「旅考(りょこう)」の中では、いつもの自分とは異なる視点で物事を考えられること、そして無意識のうちに「非日常」と「日常」の繰り返しの中に身を置いていたことによって、旅行をすることによる自己成長を感じていたことに気づくことができました。この先、旅行に求めるものは時代によって変わっていくかもしれませんが、「旅考」による効果自体はきっとこの先も変わらないだろうと感じました。これからは、自分にとっての「非日常」をどう設定するかによって旅の楽しみ方が変わり、なりたい自分に近づくことが出来る手段のひとつになっていくのではないでしょうか。(YVR)