連載 新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

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新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

【第6回】社会学者・南後由和さんに聞く、5年先の旅のカタチ

「ひとり空間」を研究する南後さんが考える、情報社会において偶発的な出会いを楽しむための「迷う権利」とは?

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本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない、様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
今回は、現在、明治大学情報コミュニケーション学部准教授で、社会学を軸に都市や建築について研究を行う南後 由和さんにお話を伺いました。


Profile

南後 由和 さん

南後 由和 さん

 
明治大学情報コミュニケーション学部准教授。専門は社会学、都市・建築論。
1979年大阪府生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。
主な著書に『ひとり空間の都市論』(ちくま新書、2018)、『商業空間は何の夢を見たか』(共著、平凡社、2016)、『建築の際』(編、平凡社、2015)、『文化人とは何か?』(共編、東京書籍、2010)など。
 

都市で見られる匿名的なコミュニケーション

探検隊

南後さんは社会学を軸に都市や建築について研究されているとお伺いしました。
具体的にはどのような研究をされているのでしょうか。

南後さん

社会学とは、普段当たり前のものとして経験している日常生活や風景などのミクロな現象の背後に、政治経済の影響やSNSなどのメディア環境の変化などのマクロな構造を関連づける学問です。私はそのなかでも、都市や建築を対象として、大学院生時代にはたとえば、都市のグラフィティ(落書き)を描いているのはどういう人たちで、どのような匿名的なコミュニケーションがあって、どういう都市のサブカルチャーが生まれているのか、といったことをフィールドワークをもとに研究していました。日本では、従来とは異なる匿名的な人間関係が1990年代半ばのインターネットや携帯電話の普及によって増殖しはじめました。なので、グラフィティの増殖はインターネットや携帯電話による匿名的なコミュニケーションとも同時代性があるだろうと考え、そのことについて研究をしていました。

探検隊

特に都市に興味をもったきっかけはどういったところにあるのでしょうか。

南後さん

私が生まれ育った地域は郊外のニュータウンでした。周りに同世代も多かったので、子供を「メディア」として親同士も繋がっていて、近所の人たちの家族構成や職業などを知っているような、比較的匿名性が低い地域でした。一方、都市部のマンションでは、壁1枚挟んだ隣の家の人の名前すら知らないし、何の仕事をしているかも知らないことがよくあります。郊外や地方に比べ、都市部は「匿名的な一人ひとり」が群集を形成している、というところに大きな違いを感じ、都市に興味を持ちました。あとはそれぞれの都市における生活のリズム、速度の違いですね。東京とニューヨークでも違いますし、東京と大阪でも違いますが、そういった都市のリズムの身体感覚に興味を持ちました。

 

コロナ以前から多くみられてきた、日本の都市における「ひとり空間」とは?

探検隊

確かに都市部では、ひとりで過ごす場所や時間は多いかもしれませんね。

南後さん

ひとりカラオケやひとり焼肉など、従来は家族や同僚と行っていたような集団向けのコンテンツがどんどん「ひとり空間」化しているという傾向が、コロナ禍以前から見られます。そういった変化も、おそらくソーシャルメディアでの相互監視や同調圧力から外れて、「ひとりになりたい」という欲望などと繋がっているだろうと考えています。

探検隊

以前と比較すると、ひとり空間を選ぶ人の数が増えたり、一個人がひとり空間で過ごす時間が増えているのではないかと思うのですが、「ひとり空間」が増えるというのはどういうことなのでしょうか。

南後さん

いくつかの複合的な要因が絡み合って、ひとり空間は増えてきているし、ひとりの時間をめぐるあり方も変わってきています。
「おひとりさま」という言葉は、晩婚・非婚化や高齢化などによって増加したシングルを主な対象としていました。もちろん、シングルもひとり空間の担い手ではあるのですが、私が研究している「ひとり」というのは、結婚しているか否かは関係なくて、家族と暮らしていても夫婦で暮らしていても、24時間の中で「状態としてのひとり」としてあることを指しています。少し抽象的な言い方をすると、帰属集団から一時的に離脱して匿名的な存在である状態のことです。とりわけ都市部では、「状態としてのひとり」が、さまざまな形で空間化している、という現象が起きています。たとえば日本は、ヨーロッパなどと比較すると、ファーストフード的にサクッと食事ができたり、ひとり向けに間仕切りがあったり、ひとりで食事をしやすい飲食店が多いですよね。日本は会社などの集団のまとまりは強いのですが、その集団から離れると他人に無関心になる傾向が見られます。このことも日本の都市に、ひとり空間の種類が多い理由に繋がっていると思います。

探検隊

ヨーロッパでも、食事や移動時間などひとりで過ごす時間は少なからずあると思うのですが、ひとりカラオケやひとり焼肉などに代表されるような「ひとり空間」は日本特有のものなのでしょうか。

南後さん

それは日本のお客様文化と関係が深いと考えています。なぜなら、日本のひとり空間の多くは「課金空間」なんですよね。30分でいくら、といったように、多くが商業空間で課金することで、そこにひとりでいる権利を買っているようなイメージです。
一括りにはできませんが、たとえば欧米の場合は、課金空間という「商品」としてひとり空間が用意されていなくても、公園でひとりで食事する場所を見つけるなど、自分でひとり空間を作り出すんですよね。つまり、与えられるか作り出すか、という大きな違いがあります。そこには、周りの目を過剰に気にするというか、他人からどう見られているのかに敏感であるという日本独特の文化も関係しているだろうと思います。近年では、海外でも空港の近くに日本のカプセルホテルをお手本にしたホテルなどができたりしていますけれども、日本ほどパッケージ化された「商品」としては流通していません。

 

 

最終目的地に辿り着くまでに、迷うからこそ気づけることや出会えることがある

探検隊

「ひとり空間」は海外と比較しても、日本独特の文化なのですね。
南後さんは研究で海外に行くこともあるとのことですが、普段どのような旅行をしていらっしゃいますか。

南後さん

まず、旅行と聞いたときに、どのようなものをイメージするのか人によって違いますよね。
Travelは旅行全般を指し、Tripは目的があって、帰ってくることが前提です。Journeyは必ずしも目的地がなく、帰ってくることも前提ではありません。
行動地理学という分野では、日常の通勤・通学や買い物で出かけることをTripといいます。このようなTripも広義の旅行に含めるなら、むしろ私はそういった日常の中のちょっとした変化や、反復で繰り返されている中に差異を見出すこと、に関心があります。海外旅行に行くときも、「日常の中の非日常」を楽しむ、というよりは、「非日常の中の日常」を味わうということです。たとえば、現地の人は朝の時間帯にどのように通勤・通学しているのか、ランチタイムはどのように過ごしているのか。写真では感じられない、街の音や匂いなどを感じられる場所に身体を置いて体験することもよくやっています。

探検隊

ということは、旅行先では目的地をあまり決めずに過ごされることが多いのでしょうか。

南後さん

研究を兼ねての旅行も多いので、目的地がないわけではないです。
記憶に色濃く残っている旅行を振り返ると、道に迷った経験や、どこに行くのかわかりにくいローカル電車やバスで目的地に辿り着くまでの間の経験などが浮かびます。これらの経験も、実際の目的地で期待していたことと同等のもの、もしくはそれ以上のものとして記憶に残っています。なので、目的地があったり、日常であるTripが必ずしも価値が高くて、非日常であるTravelやJourneyの価値が低いのではなくて、両方合わさったものとして旅行をとらえています。ただ、最近はGPSや地図アプリなどが普及して、目的地で、あるいは目的地に辿り着くまでに迷う機会、言い換えるなら、「迷う権利」によって気づくことや出会うことがどんどん減ってきていると感じています。

探検隊

迷う権利によって気づくことや出会うことがある、というのはとても素敵な考え方ですね。
一方で、「旅行先では失敗したくない」と考える方も多いと思いますが、予期しないハプニングを楽しむコツは何でしょうか。

南後さん

口コミサイトなどでは、効率性や確実性、損をしたくないといったリスクヘッジの感覚が浸透していますよね。ただ、日常の中のちょっとした変化や反復の中の差異、普段のTripを面白がれる人は、偶発性や予測不可能性をネガティブにとらえるのではなく、そのことをポジティブに受け入れる許容力を持ち、楽しめる感覚が強いのではないかと思います。
 
旅行の醍醐味は自分のモノの見方や考えを超えたものと出会うことで、これまでの当たり前が当たり前ではなくなることではないでしょうか。自分にとっては非日常だけど、旅行先で行われている日常的な営みが、これまでの自分の当たり前と違う、と気づくこともそうですし、自分にとって何が快で不快かを知ることができることも旅行の醍醐味だと思うんです。旅行は「不快じゃないものを求めるだけのものではない」と考えています。この点は、偶発性や予測不可能性を楽しめるかどうか、ということとも繋がってくるはずです。

 

 

これから旅行を楽しむために大切なのは、情報社会のなかで自分の感覚を問い直し、能動的に移動すること

探検隊

今までお話を伺っていて、偶発的な出会いや予期しないことを楽しむためには、旅行の選び方が変わる気がしますし、その結果、今後の旅行商品や提案のありかたも変わってくる気がしました。

南後さん

旅行は、基本的に移動することと結びついていますよね。一見、自分で能動的に移動しているように見えていても、多くの場合はゴールデンウィークだから、夏休みだからといったように、実は「移動させられている」という人も多いかもしれません。インスタ映えするような場所に行くことや、口コミサイトで人気の場所に行くといったことも、自分からそこに惹かれて行っているように見えて、ソーシャルメディアの情報によって移動させられているという見方もできると思います。「迷う権利」とも繋がりますが、迷わずに移動させられている、ということになっているのが現代の情報社会の特徴です。
一方で、移動できない不自由については、コロナ禍が多くの人の考えるきっかけになったはずです。今後、どのように能動的に移動するのか。「移動させられている」という感覚を問い直していくことが、どう旅行を楽しめるかということと強く関係してくるのではないでしょうか。

探検隊

SNSや口コミサイトは、旅行と関係が深いコンテンツであるからこそ、向き合わなければならない重要な問いだと感じます。今後、このようなソーシャルメディアは人々の心理や行動にどのような変化をもたらしていくとお考えでしょうか。

南後さん

ソーシャルメディアが引き起こす変化から考えると、「ソロ●●」って増えていますよね。たとえばソロキャンプがここ数年でぐっと広まりましたが、まだ完全にはソロになっていない気がします。同じ場所にソロキャンプしている人たちがたくさんいたり、ソロキャンプの様子を動画配信して画面の向こうで誰かが見ていたり、ということになっています。ソーシャルメディアの同調圧力や相互監視から逃れたい、という欲求を突き詰めたときに、完全にひとりになる、ということはどういうことなのか。この点について考えてみると、一人ひとりの心理や行動が今とは変わってくるかもしれません。
 
旅行に置き換えると、ひとり旅行でも、多くの場合は宿泊先やそれぞれの場所でサービス提供をしてもらうわけなので、誰かと接点を持たざるを得ないですよね。だから、真の意味で完全にひとりになる旅行はありえるのか、という問いが生まれてきます。
 
余談ですが、ひとり旅行で結構困るな、もっとこうなればいいな、と思うのは、食事ですね。
海外だと、ひとり向けの飲食店が少ないとこともありますし、ひとりだと頼めるメニューやバリエーションも限られるじゃないですか。食事の時は、ローカルの人とでも、それこそソーシャルメディアを介してでも、ひとり同士を繋げるマッチングサービスができてくれると個人的にはありがたいですし、潜在的なニーズがあるのではないかなと思います。

 


今回の探検で見つけた「芽」

誰かと繋がりたいと思うこともあれば、同調圧力から解放されたいときもある。今回の探検では、日常でも、旅行先でも、「誰か」と過ごす空間と「ひとり」である空間をより柔軟に選択できることが求められていく可能性を発見しました。
 また、探検の後半では、世の中がどんなに便利になっても、私たちには「迷う権利」があるのだと背中を押してもらいました。タイムパフォーマンスという言葉に象徴されるように、つい効率の良さばかりを追求したくなることもありますが、迷う権利は私たち人間の特権だということに改めて気づかされました。私たち探検隊も、迷うことを楽しみながら、5年先の旅のカタチを探し続けていきたいです。(BCN)