本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。
今回は、女性落語家の真打(=江戸落語における最高位)の草分けとして、現在では古典落語に加え手話落語や朝鮮・韓国語の落語など幅広いジャンルの落語を口演、さらにはNGOピースボート水先案内人としてもご活躍されている古今亭菊千代さんにお話を伺いました。
Profile
古今亭 菊千代 さん
昭和59年、古今亭円菊門下に入門、平成5年に先輩の三遊亭歌る多師と共に江戸では初となる女性真打に昇進。以降、本来の寄席やホール、各落語会の出演のほか、手話と一緒に楽しむ落語、朝鮮・韓国語での落語、新作、自作品、エッセイ、また、南米など海外の日系の方々の前でも多数口演。東京拘置所では篤志面接委員理事として受刑者対象に話し方教室、各地矯正施設での訪問演芸で全国制覇を目指す。NGOピースボート水先案内人、旅のユニバーサルデザインアドバイザー・スペシャルサポーターとしても活動。著書に『古今亭菊千代噺家です(日本出版)』、『体験・子ども寄席(偕成社)』
落語における旅、そして落語からみる現代
探検隊
菊千代師匠は江戸落語初の女性真打ということで、落語家になった当時は女性落語家自体もほぼいらっしゃらなかったかと思います。そのような中でどうして落語家を目指そうと思われたのでしょうか?
菊千代さん
大学時代に落語研究会に勧誘され、そこで落語に出会ったのですがこんなに面白いものは他にはないと思いました。演劇やアナウンサーなどの仕事も興味がありましたが、才能も美貌も勇気もなく諦めていました。根性だけはあったんですけどね(笑)。落語が演劇やアナウンサーと違うところは、落語では高座(=芸を演じるための一段高い所で劇場の舞台に相当)に上がれば誰でも主役になれる。とにかく噺(はなし)を覚えて一人で出ればみんな私しか見ない。噺がつまらなければお客さんにつまらない反応をされる。面白ければ笑ってもらえる。落語の失敗は誰のせいにもできないけれど、成功はお客さんのおかげでしか成り立たない。これは面白いと思い、一度は会社に就職をしたもののやっぱり落語家になろうと思いました。当時は周りから「女性に落語家は無理」と言われ反対されましたが、それでも後悔したくないなと思い落語家になったんです。今では、やっていて本当に良かったと思っています。
探検隊
今年、噺家生活40周年を迎えられたとお伺いしました。落語を生業としていく中で様々な噺に出会われたのかと思います。その中で旅に関する噺にはどういったものがありましたか?
菊千代さん
落語において旅に関係する噺は多いですよ。例えば、「大山詣り」の噺があります。大山は今でも神奈川にある観光地ですが、古くから山岳信仰の対象とされてきました。江戸時代には「大山講」という組織があり、長屋のみんなでお金を貯めて大山へ参詣に行っていました。その際に大家さんや長老がみんなを連れていきます。大山詣りみたいに大勢で行く場合、よくケンカが起きそれを仲裁するというストーリーが落語になったりしています。他にも、左甚五郎(ひだり じんごろう)という日光東照宮の三猿を彫った人がいますが、彼が旅先で宿代が払えない代わりに作品を彫る、なんていう噺もあります。
探検隊
そういった旅の噺は、お客さんにどのようなことを伝え、感じてもらうことが出来るのでしょうか?
菊千代さん
お客さんとしては、のんびり歩いて旅をするのもいいもんだなっていう風に思うのかなと思います。四国八十八か所を巡るお遍路があるじゃないですか。今ではお遍路ツアーとしてバスに乗って素早く巡ることもできますが、昔は勿論歩きのみで何日もかけて巡っていました。また、今では宿もネットで簡単に予約できますが、江戸時代にそんなことはできないのでその日に泊まる場所が決まっていない状態で旅をしていました。そういったワクワク感・スリル感を抱きつつ、旅をするというのも旅の在り方の一つだったのだと伝えているのかもしれません。
探検隊
菊千代師匠が寄席(=落語や漫才、講談などの古典芸能を上演する大衆的な演芸場)などで旅の噺をする際に、お客さんにお伝えしたい・感じてほしいと想っていることはあるのでしょうか?
菊千代さん
旅の噺に限りませんが、200年前にできた噺から「こういうこと今もあるよな」「今でもこういう人いるな」と思うことが必ずあると感じていて、落語には現代と過去の共通点に気がついてもらう役割があると想っています。あと、落語に出てくる人はほぼ悪い人は出てこない。良い人ばかり出てくる。バカだけどとても親孝行な人、嘘をつけず忖度しない人。今の社会では「忖度しろ」が当たり前かもしれませんが、振り返ってみるとやっぱりそういう素直な人が良いよねと思えます。落語ではこういった学校では教えてくれないような人情を教える役割もあると想っています。
旅からつながる人との縁
探検隊
菊千代師匠はNGOピースボート水先案内人としてもご活躍なさっていると思います。最近、再びピースボートへ乗船なさったと伺いましたが、ピースボートに乗船する理由はどういったものなのでしょうか?
菊千代さん
それは縁ですね。ピースボートに乗船すると人との縁をいっぱいもらえる。そして「今回も宝物をもらえた」といつも思います。私は長期で船に乗るときは船内で必ず落語教室をやっています。毎日2時間くらい授業をして、私が下船する前日の晩に生徒さんたちの発表会を行います。参加者は老若男女問わず、17歳くらいの若い子から90歳近い人達まで様々いらっしゃいます。練習期間も短いので結構スパルタで教えているんですが(笑)、その影響か参加者の中でチームワークが生まれるんです。前回もらえた宝物でいうと、落語教室を実施した際、参加者の中に一人はネグレクトを受けていた子、一人は部屋の隅の方でじっとしているような子がおり、最初の練習の時は中々馴染めずにいました。そこで何度も個別に話しかけていると、前向きに練習に参加するようになり、次第にチームに溶け込んでいったんです。そして、本番の発表会の時には350人くらいの観覧者の前でしっかり発表できたんですよ。感動しましたね。そういったことが毎回何かしら起こるんです。これはやめられないなと思いますよね。あとは、そういったワークショップをやっているとピースボートのスタッフの人達とのつながりも深まり、ピースボートに何度も呼んでいただけるようになりました。その代わり、気づいたら日本での仕事が減っていました(笑)。また、水先案内人同士のお付き合いもあります。軍事評論家やミュージシャンなど、普通に落語家をしていたら絶対に知り合えないような方々と知り合いになれます。そこで落語が凄いなと思うのは、そういった人たちは大抵落語が好きなんですね。なので、彼らも時間の合間を縫って落語を習いに来ることもあります。
移りゆく時代の中で伝えていきたい落語や旅の魅力
探検隊
今後、落語において変えていきたいことや自然と変わっていくと考えていることはありますでしょうか?
菊千代さん
例えば、噺の中で今の人が知らない言葉を現代の言葉に変える、口調を現代風にする、現代にはない道具は今ある道具に変えるといったことは行っています。喋りつつ、お客さんの反応から「この言葉や道具は知らないんだ」と気づかされることも多いです。だから、言葉や噺の解釈は今の人達の価値観に合わせて少しずつ変化させています。また、最近の若い落語家は新しい噺をどんどん作っています。お客さんの価値観も最近は変わってきていて、そういった噺を受け入れ、共感してくれる人が増えてきました。話し手だけではなく、聴き手であるお客さんの変化も、これからの落語において変わっていくことの一つだと思います。
探検隊
お話にあったようにこれまでに様々な変化を遂げてきた・遂げている落語かと思います。現代では様々な娯楽が生まれておりますが、今だからこそ落語を聴いてほしいという想いはありますでしょうか?
菊千代さん
落語というのは、話し手が一生懸命にやったとしても見る人聴く人たちが想像力を働かせないとわからないものです。しかしながら、今の子ども達は想像する力が足りていないのではないかなと感じます。なぜ想像する力が足りていないのかなと考えたときに、現代ではパッと見ればわかるものが多いですからね。テレビとかも見ていれば考えなくてもわかることがほとんどです。対して、落語は噺の中に入り込んで人物や場面を想像しつつ聴く必要があります。故に、話し手は色々な技術を用いて聴き手の想像力を掻き立てますし、聴き手もそれぞれの聴き方をしており、各々がそうやって想像力を働かせるということがとても大切だと思います。だからこそ、今の人達に落語を聴いてほしいと想います。
探検隊
最近はSNSで旅行の写真を見て満足し、実際の旅行にはいかないという人もいらっしゃいますが、実際に行って見て初めてわかることも多いと感じます。お話を伺い、実際の経験を踏まえて想像力を養う必要もあるのかなと思いました。
菊千代さん
私が初めてピースボートに乗船した時は北朝鮮に行く船でした。最初は報道されているように怖い国だと思っていました。でも当時のピースボートの共同代表に「百聞は一見に如かず。まず見てください。」と言われ、行く決心をしました。実際に行ってみると温かく迎え入れていただき、渡航前のイメージとは全然違っていました。勿論、人によって感じるイメージは様々ですが、実際に行ってみないとわからないこと、行ってみて初めて気づくことは必ずあると思います。
探検隊
先ほどの想像力というお話は落語にも旅にも共通することでした。他にも落語と旅の共通点はあるのでしょうか?
菊千代さん
「楽しさ」は本人だけしかわからないということは共通点かと思います。落語では喋ってお客さんに楽しんでもらえた喜びは、喋った本人にしかわからないものです。そして、お客さんも各々の楽しみ方をしているはずです。旅行においても何人で行っても楽しみ方は人それぞれかと思います。また、落語の寄席だと本番まで話す内容は決めないことがほとんどです。噺や枕(=冒頭に話す本題につながる世間話や小咄のこと)の内容が他の人と被ってしまうと、それはもう使えません。だから、行ってみて、お客さんをみて、喋ってみないとわからないのが落語です。旅行も実際に行ってみないと分からないことが多いという点で共通点なのかなと思っています。
今回の探検で見つけた「芽」
40年もの間、落語や様々な活動を通じて笑いや想いを届けてきた菊千代さんのお話からは、時代の変化の中でも本質を見逃さない力の大切さを学ばせていただきました。これからは宇宙旅行ができるようになるなど、旅の形態や規模感なども変化が加速していくと考えられますが、旅の持つ本質は変わらないと思います。ただし、旅の本質の捉え方は人それぞれ、十人十色です。これからの旅をより一層楽しむためにも、自分にとっての旅の本質、旅をすることとは何なのかを改めて考え、やってみたい旅のカタチを想像してみてはいかがでしょうか?(TOY)