連載 新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

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新しい観光の芽 探検隊🔍~5年先の旅のカタチを探る~

【第11回】ハイヒールを履く僧侶・西村宏堂さんに聞く、5年先の旅のカタチ

僧侶、メイクアップアーティスト、LGBTQ活動家として幅広く活躍する西村さん。世界と繋がることで見つけた自分らしさとは?

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本コラムでは、今後の観光や旅行のトレンドの把握と、変化の兆し(=新しい観光の芽)を捉えることを目的に、 旅行分野にとどまらない様々な分野の第一人者への「探検記(=インタビューの様子)」をお届けします。今回は、僧侶、メイクアップアーティスト、LGBTQ活動家として幅広くご活躍をされている西村宏堂さんにお話を伺いました。


Profile

西村 宏堂 さん

西村 宏堂 さん

 
1989 年東京都生まれ。ニューヨークのパーソンズ美術大学に留学。卒業後ニューヨークでメイクアップアーティストのアシスタントとして経験を積み、独立。ミス・ユニバース世界大会やニューヨークファッションウィーク、ハリウッドの著名人などにメイクを行うなど、世界的に高い評価を得る。2015 年に浄土宗の僧侶となる。
メイクアップアーティストであり、僧侶であり、LGBTQ の一員でもある独自の視点で「性別も人種も関係なく皆平等」というメッセージを発信。ニューヨーク国連本部 UNFPA (国連人口基金)、イェール大学、スタンフォード大学、増上寺などで講演。NHK、米 CNN、英 BBC をはじめとする国内外のメディアに取り上げられ、Netflix 番組「Queer Eye」にも出演。2020年に日本語の著書『正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ』を出版。2021 年に TIME 誌「Next Generation Leaders(次世代リーダー)」に選出された。
 

“自分らしさ”を表現できるようになるまでの道のり

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西村さんはもともとメイクアップアーティストを目指されていたのでしょうか。

西村さん

私はお寺で生まれたのですが、お姫様ごっこが大好きで、お坊さんには絶対なりたくなかったんですね。周囲からのお坊さんの姿や生き様を期待されている感じがプレッシャーでした。同性愛者であることは幼稚園の頃から分かっていて母親のアクセサリーやスカートを身に着けることが大好きでした。小学校に入ると、名前の呼ばれ方が「ちゃん」から「くん」に変わり、自分らしくいられないと感じるようになりました。
その後の高校生の時は友達もいなくて一番つらい時期でした。当時アメリカ映画が好きで「プリンセス・ダイアリー」という、自分に自信がない主人公が変身して自分の想いを言えるように成長する映画には大きな影響を受けました。マイケル・ジャクソンの人種差別に対する歌、マライア・キャリーの貧しさに関する歌などに触れて本当の問題に声を上げられる人がいる場所があることを知り、18歳の時にアメリカに留学しました。初めて同性愛者の友達も出来ました。
ボストンに2年間、ニューヨークに8年間、ロサンゼルスに1年半いて、最初のボストンの2年間は一般教養を勉強していました。その時は同性愛者であることを周囲にカミングアウトしづらかったのですが、その後ニューヨークの美大で自分らしく生きている人たちに出会い、自分を隠さなくていいと思えるようになりました。大学ではインターンシップをする機会があって、メイクアップアーティストのアシスタントになりました。日本では化粧品売場に行くと「お母様にですか?彼女さんにですか?」と聞かれるのですが、アメリカだとキラキラにメイクをした男性の店員さんが売っているので、私もここだったら自分の好きなものが買えると思いました。
ミス・ユニバースの世界大会やニューヨークのファッションウィークだったり、今まで自分が憧れていた世界でメイクをするチームに加わって、メイクアップアーティストとしての活動が始まりました。

 

 

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アメリカで11年間生活される中で、ボストンではなかなかカミングアウト出来なかったり、様々な葛藤があったと思います。その中で西村さんが自分らしさを好きになった、変わったと思える明確なきっかけはあったのでしょうか。

西村さん

ある春休みに行ったスペイン旅行ですね。ボストンにいた時は蛹(さなぎ)のような状態だったのですが、スペインに行ったときは蛹から出ることが出来ました。同性愛者の友達が初めて出来て、初めて一緒にゲイクラブに行きました。友達が夜11時位にお母さんに「ゲイクラブに行ってくるね」と言うと、お母さんはサンドイッチを作って持たせてくれたのです。同性愛者であることを親が応援してくれるという現実が衝撃的でした。ゲイクラブでは上から下まで舐めるように見てくる鷹の眼みたいなおじさま方がたくさんいて、友達は「ここは自分らしくいられるから落ち着く」と言っていましたが、私は手が冷たくなるような緊張感を感じました。とはいっても、友人のお母さんが応援してくれていることや、ゲイの人たちが自分らしく過ごしている環境があることを知り、私は新しい世界を見たような気持ちになりました。
また、ニューヨークで通っていた美術大学では学部長が同性婚をしていたんですね。彼はグレーヘアーでおしゃれなメガネとスマートな洋服を着て、知識も豊富でみんなを取り纏めるカッコいい人でした。LGBTQの本や映画などもたくさん教えてくれたり、悩んでいたのは私だけじゃないって思うようになりました。今まで私は日本のメディアでオカマやオネエキャラの人たちしか見てこなかったんですけど、ゲイの人の在り方はたくさんあるんだとわかったのです。

 

 

嫌いである理由を確かめるために始めた僧侶という仕事、今では大切な存在に

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アメリカから日本に戻って来るときは、不安はありませんでしたか。

西村さん

そうですね。親にはまだカミングアウト出来ていなくて…。お寺を継いでくれとは言われなかったですけど、お寺を継ぐのなら奥さんがいないと大変な仕事だよとは言われました。昔、従妹にもらったマニキュアを塗っていたら、母に「宏ちゃんにそういうことをする大人になってほしくない」と言われたことがあったので、一番それが心配だったんですね。友達とメイクをしたり、アメリカでボーイフレンドが出来たりして、日本にいても自分らしくいられる幸せを感じていたいと思っていたので、意を決して親にカミングアウトをしました。父親は私が高校生の頃から分かっていたらしく「宏堂の人生なんだから好きなように生きなさい」と言ってくれ、母親はそれまで子育ての中で色々疑問に思うことがあったけど、ようやく疑問が解けて、宏ちゃんのことがわかったと言ってくれました。以前のマニキュアに関しては、「私が結婚式のときにマニキュアを塗ってもらって爪の息が出来なくなる気がしたから子供の健康によくないと思って言ったのよ。だって私のアクセサリーとかスカートとか貸してあげてたでしょ」と母に言われ、私自身、親に反対される、嫌われると先入観で思い込んでいたということに気が付きました。

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その後、なぜ小さい頃に絶対になりたくなかった僧侶の道に進むことになったのでしょうか。

西村さん

大学を卒業した後、今後について迷っていた時に、ピアニストである母親が言っていた「モーツァルトの曲が嫌いだというのであればモーツァルトの曲をしっかり勉強して、他の作曲家と比べてここが嫌いだと言えないのであれば意味のない批判だよ」という言葉を思い出して、私は仏教が嫌いな理由を探ってみたいと考えました。さらに仏教ってどういう教え・役割なのだろう、なんでお経を唱えて、なぜ人々はお寺に来るのだろうということも知りたいなと思ったのです。

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僧侶の修行も辛かったと思いますが、そんな中で希望を見つけられたそうですね。

西村さん

お坊さんの修行に行ったときはすごく辛かったんですが、「月の光が街の人全員を照らすように、仏教の教えが遊女、罪人、体が不自由な人など、どんな人にも届いて、皆平等に救われますよ」と説いていることを知りました。私は同性愛者であることを悩んでいたけれども、仏教は自分らしさを応援してくれるものなんだなと思いました。海外にいた時は宗教的な価値観によって同性愛者であることが否定されていると言う友達が多くいたので、私は宗教指導者の立場から仏教では問題ないと言われていますよ、と伝えてあげたいなと思いました。私が同性愛者として自信を持てるようになったお礼の代わり、彼らにも私が学んだ知識を届けられるようになりたいなと思うようになりました。

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日本でも時代錯誤な価値観がなかなか変わらず、自分らしく生きられない人がいると感じます。

西村さん

修行中お風呂に入るときに、ある修行僧が私に「カマかと思ったぜ」と言いました。高校生の頃の私だったら聞こえないふりをしていたんですけど、このまま私が黙ったり、はぐらかしたりしたら日本はこの先も変わらないと思ったので、スペインやアメリカの、カミングアウトして胸を張って生きている友達を思い出して、「そうだよ」と言うと、その子はすごくびっくりしていました。私の友達が横から「知ってる?西村くんはニューヨークでミス・ユニバースのメイクもしているんだよ」と言ったら彼はもっと驚いている様子でした。最後には彼は「ニューヨークでも頑張れよ!」と応援さえしてくれたのです。私はそれが衝撃的で、からかわれても自分に自信を持って「それが何?」という一切の疑いのない確信があると、周りの意見って変わるんだと思いました。自分が自分のセクシュアリティを隠そうとしたり、劣等だと捉えていると、他の人が突っつきたくなってしまうのかもしれません。大切なことは、自分の特徴についてしっかり学び、胸を張れるようになるということだと思います。

 

 

地球が自分の家、日本の一歩外に出れば新たな世界と自分に出会える

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僧侶、メイクアップアーティストのお仕事で海外に行く機会も多いと思いますが、プライベートでも旅行に行きますか。

西村さん

旅行は大好きです。
特にどんな景色が広がっているのか全く想像出来ない場所に行くことが一番ワクワクします。コロンビアがその例です。私は以前、ボストンに留学していた2008年ごろにコロンビア人のクラスメートがいたのですが、彼女は自分の国は治安が悪いと盛んに言っていたので、私は南米大陸にはいってみたいけど、いつになるのかな、というような気持ちでした。しかし私はコロンビア人のパートナーができて、コロンビアは安全になってきているということで、心配しながらも訪れることにしたのです。不安ながらも、南米の空気はどんな匂いがするんだろうとか、人はどういう価値観で生きているんだろうとか、写真や動画で見るだけではわからないことを、実際に行って感じられることが楽しみでした。
首都のボゴタを訪れて、今まで聞いたことのない名前のトロピカルフルーツジュース(ルロ、グワナバナ、マラクヤなど)を試したりしました。味はクリーミーだったり酸っぱかったりでしたが、クセになる食感や香りを堪能できました。またカリブ海にあるコロンビアの離島、サン・アンドレス島には7色の海の色があると言われ、色を数えてみると本当に7色あったんです。薄い青、水色、青、群青、エメラルドグリーン、緑、深緑などなど!数えながら感動しました。
そんな中、私が少し緊張したのはコムナという地域を訪れた時です。この場所はとりわけ治安が悪く、過去には銃撃戦があったそうで、壁に鉄砲の球の跡が残っていると聞きました。しかし今は街が再開発がされて、壁にグラフィティアートがたくさん描かれていて、原宿の竹下通りのように可愛いビーズのアクセサリーや色々トッピングが盛りだくさんのデザートの屋台が並んでいたりで、観光客で賑わっていました。コロンビアは変わってきている、ということを体感できました。
そして何より嬉しかったことは、パートナーのご両親の愛は国境を超えて、本当に暖かく、以心伝心で気持ちが通じて仲良くなれたことです。その後私たちはコロンビアで同性結婚しました。婚姻を結ぶ際に、役所では「コロンビアでは配偶者には異性、同性関係なく、同じ権利が与えられます」と言われて感動しました。勇気を出して旅をすることで出会えた人たちとの絆は私の宝物です。これからももっと旅に行ってみたいなという気持ちが高まりました。

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毎回旅を通じて新たな価値観に出会われているのですね。今後5年先などもこのような旅のかたちは変わらないと思いますか。

西村さん

変わらないこと、変わること両方あると思います。私は外国出身の友達と話す中で、新しいタイプの旅だなと思ったのは今後自分がどこに住みたいかを探しに行く旅です。デジタルノマドでリモートで仕事をして、祖国には帰らず、常に違う国を周りながら生きているロシア人の友達がいたり、どの国が同性愛者にとって住みやすいかを長期間住んでみて確かめる友人や、どこに住みたいのかを決めてから、そこでできる仕事を探す人がいたり、地球を自分の家として、国を跨いで自由に生きていく人が増えてきているんじゃないかなと思います。

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地球が自分の家という考え方は、私たちは日本人、男性、女性の身体として生まれただけで国籍、性別関係なしに人間であるという考え方にも繋がりますね。最後に西村さんにとって旅とは何でしょうか。

西村さん

自分の世界を広げてくれるものです。
若い頃、私にとっては自分の生まれ育った東京が私の生きる宇宙であって、その中の価値観だけで疑問に思ったり、息苦しく感じていたんだと思います。まだ知らない国や街を旅することによって、今まで想像もしていなかった出会いや考え方に触れて、私の宇宙が広がっていったと思います。同性愛者が尊重される場所に行き、自分の存在に自信を持つことができ、自分のことをもっと愛せるようになりました。違う人たちと自分を比較してみることで、知らなかった自分に出会えるという意味でも旅行は大事だと思っています。
今までは日本の中にいた小さい自分が、今では地球儀の上を歩いているような気分です。

今回の探検で見つけた「芽」

今回の探検で発見したのは、西村さんの一つ一つのことに真摯に向き合う姿勢でした。お母様からの教えである嫌いな理由を言えるように取り組むこと、周囲のデリカシーのない発言への対応、旅行先の裏側に隠れている背景を探求することなど、日頃から全てのことに一つ一つ丁寧に向き合う西村さんだからこそ、自分らしさを見つけ、ご自身の経験を通して人の心を動かすことが出来るのだと思います。そしてインタビュー中もスクリーンショットのためにわざわざ Tシャツから法衣に着替えてくださったり、気さくで心優しいお人柄にも私たちは心を動かされました。(YVR)